普天間「最低以下」で問われる鳩山首相の進退
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舛添新党の誤算

JR徳島駅前で街頭演説する新党改革の舛添要一代表=2010年5月10日、徳島市【時事通信社】

 4月23日に新党改革を発足させた舛添要一前厚生労働相にも同じことが言える。舛添氏サイドからみれば、自民党内にとどまって党執行部刷新を目指したが、受け入れられなかったのでやむなく新党結成を決意したのだ、という理屈なのかもしれない。たしかに、具体的に舛添氏が党執行部刷新を要求する場面もあった。だが、こうした動きは、党内での改革にも努力はしたのだ、ということを見せるための一種の「アリバイ作り」だったふしがある。

 同僚議員の一人は、1月末の段階で舛添氏の決意を聞いたという。

「舛添氏ははじめから新党結成の覚悟だった。執行部一新とかいろいろ言っていたが、舛添氏の本音は新党だった」

 舛添氏にもいくつかの誤算があった。ひとつは連携を模索していた鳩山邦夫元総務相が何の相談もなく、先走って3月15日に自民党離党届を提出したことだ。これが党内の強い反発を招き、かえって自民党内の離党予備軍の動きが萎縮してしまった。この鳩山氏の行動には、「たちあがれ日本」の方も影響を受けたようで、その後、平沼氏らは鳩山氏との連携を拒否している。

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