たった10万で何株買う気なんだよw
明日発表のロト7でキャリーオーバー20億円なのに、アメリカの宝くじ1500億円のせいで誰も騒がない件。
日本の宝くじはクソなのは宝くじを買うのが老害世代だけなので、老害はジャンボの抽選券を調べてもらうために30分も売り場を専有して調べてもらうのでロト7買いたくても買うのに時間が掛かるという。
しかも売り場の店員も老害なので後列の客には一切対応せず放置なので長時間の行列に耐えられずに購入を諦める。
えーと、若者の宝くじ離れ?老害が売り場を専有するのが理由だろ?売り子も老害だからマルチタスクで販売対応出来ないし。
宝くじはみずほ系列独占させなきゃ売れるのに何で未だに不祥事多発みずほ系列独占だから旨いよ。
自民党と安部政権は早急に尊厳死法案可決成立目指して社会保障減額化しろよ。ついでに無駄に植物状態で活かされる老人に対して尊厳死適用法案も。
ニコ生のみにすれば、特定時間のみTLにそのワードが多く登場する
じゃあ私寝るね
ネットがイキナリつながらなくなって。
いじくってる内にルータすら認識しなくなって。モウダメだなって思ってたら。
ポチポチやって2時間。「自動で認識する」なるボタンがあって。なんだよそんなのでつながるモンかよ。
ってオモって、ポチって押した。
すごすぎるわ。パソコン様。
人類敗北待ったなし。
http://anond.hatelabo.jp/20160110131135
だからあくまで「俺から見て」という話になりますけども、イケダハヤトという人のブログからはおもしろみを感じることができなかった。役に立つかというと、それもあまりそうは思えない。
おもしろくない、役に立たないという結論を出しているが、イケダ氏がどうおもしろくないのか、
なぜ役に立たないのか、その根拠が書かれていない。
あれつくづく俺と対極にいる人なんだなあと思いました。
文章への情熱や原初的な感動が感じられないイケダハヤトは、自分とは対極の人だと断じているコンビニ店長。
だが、なぜイケダハヤトにはそれらが感じられないと判断できるのか、その根拠が書かれていない。
さて、彼は三度のメシよりなにが好きなんでしょう。俺にはそれがわかりません。その答えがおそらく彼があのような手法をとる理由であり、そしてどうやら俺は、わからないながらもなんとなくその理由があまり好きではないのです。
「わからない」を「つまらない」「嫌い」等に結び付けてしまう人をたまに見るが、
わからないのに判断を下しているおかしさに気付かないのだろうか。
すでに多くの人がやっているイケダハヤト叩きに手を出したあげく、鋭いことを何も言えず、
自身の陳腐な文章哲学を並べただけのコンビニ店長。独自性が無く、結論を根拠立てて説明するという
作法すら知らない人が、文章への情熱を自負している様は滑稽でしかない。
大学の知見や論文レポートの下地があるイケダハヤトは、自説を根拠立てて説明する文章を普通に書いているし、
顔や実名を明かしているぶん、コンビニ店長よりも文章に対する責任や覚悟があるのではないか。
なんにせよ、他人の情熱を否定するような傲慢を冒すなら、相応の論を出せないと恥ずかしい。
・発音やリズムに気を配って、読み心地のいい文章を作る(語句の反復もその一例)。
・漢字をひらいたり、常用外の漢字を使ったりして、ビジュアル的なニュアンスを出す。
これらは比較的ポピュラーな文章術であり、例えば大ベストセラー作家の村上春樹もやっている。
だから、こうしたテクニックを駆使しただけでは評価に値しない。
小説なら、どのような形でテーマを見せるか。評論なら、どれだけ鋭いことを言えるか。
文章術なら、まだ知られていない面白い文章術を編み出せるかどうか。
コンビニ店長が今回書いた増田は評論に該当するが、鋭いことを何も言えていないので価値が無い。
「俺はアマチュアリズムの信奉者でした」と書くだけでも自覚や熱意を表現できるわけだが、
わざわざ「かなり自覚的な」という句を入れて野暮ったくしている。言葉のセンスが無い。
アマチュアリズムというとかっこよく聞こえるんですが、要は「無料なんだからなに書いたっていいだろ」っていうことです。あるいは「なに書いてもいい自由を俺から奪うな」「つーか金とるにあたって発生する責任とかとる気ねえから」ということでもあります。
考えてみると、俺は常におすそわけの原理で動いていた気がします。たとえばカレー作った。なんかおいしくできた。じゃあ隣にも分けてあげよう。やっべー俺の作ったカレー超うめえっすよ。でも隣の人がカレー好きじゃなかったらおすそわけしない。インターネットのすばらしさは、俺にとっては「俺の作ったカレーここにあり!」「俺は超うまいと思うからカレー好きな人は食え!」「でも俺の好みで作ったから好みにあわない人ごめんね」「そのかわり無料」っていうところです。
かといって日本全国のカレー好きの人に俺のすばらしいカレーを届けるための努力をするほどではないのです。だから別に有名になる必要はなかった。それに俺には「今日はカレーを作ろう」「いや、気分的に今日はうどん」という自由がありました。その自由を捨てる気はなかったのです。カレー職人になりカレーで金をとるためには、三度のメシよりカレーが好きであり、魂がカレーでできている必要があります。それでいえば俺は「料理が好き」なだけであり、だれかがおいしいといってくれればそれで満足だったのです。もっといえば「おいしいといってくれる可能性がある」だけで満足だった。
それでも俺は、なにも書かれていないテキストエディタを前にしたときの「さあ、いまから俺はなにを書いてもいい。そしてだれかがそれを読んでくれるかもしれないんだ。こんな素晴らしいことがあるだろうか」という原初的な感動を捨てたくはないです。
こういうのは、ネットで文章を書いている人の多くが日常感覚的に思うことだ。
それをさもマイナーな価値観のように語っているところに、コンビニ店長の井の中の蛙ぶりが見てとれる。
大卒の人や、それなりに本を読む人の語彙や理解力を想像する力がコンビニ店長には無い。
だから「かなり自覚的な」等の過剰な説明をしたり、誰もが知っていることを念入りに語ったりする。
言わずもがなの言葉ばかりで埋められた文章は、文字量のわりに読み応えに乏しい。
私はコンビニ店長の文章を面白いと思わない。コンビニ店長の文章には知的刺激が無い。
誰もが知っていること(共感性)をまわりくどい言葉(歯ごたえ)で書いていて、
その共感性+歯ごたえが、コンビニ店長の人気の理由ではないかと推測している。
粋な文芸の世界を知らない人や、文章を批評的に読む習慣の無い人が、コンビニ店長に釣られてしまう。
生放送で配信するなら動画の方も普通に最新話1週間無料で配信しろよって思うわマジで。
いやいっそニコ生もニコ動も配信なしとかならむしろわかるんだよ?
意味わかんねーよ。