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2024-10-13

日本経済復活へやるべきこと

というのを考えたので駄文投下。

~~ 政治家に足きりの学力試験を設けろ


公務員試験法律行政経済くらいは課せ。

点数の公表は要らない。

点を公表すると、その点数だけで評価する有権者が出過ぎる懸念がある。

大学レベル勉強が仮に満点で出来ても、それほど大きな意味はない。

足きりで良い。

ともかく、政治家政治経済に関する最低限の知識と知能を保証しろ


~~ 政治専門家による評価しろ。それを放送しろ



国民投票で信任を問うな。

審査専門家しろ

国民素人だ。ほとんどの人は、ほとんどの争点を知ったこっちゃない。

M1だって初期は投票があったが糞だったか廃止しただろ。

お笑いじゃ無ければジョブチューンなんかでも良い。

素人評価なんて糞だ。

「良い人そうか」、「真面目そうか」くらいでしか素人評価できない。

からニュース政治と金ばかり話題になるんだ。

それよりも100兆を超える国家予算を適正に運用することの方がよほど重要だ。

例えば「今期、行ったこと」や「来期以降、やるべき課題」を閣僚野党党首等の重要責任を担う議員が45~60分程度でプレゼンし、それを財界トップ学者シンクタンクメディア出身者などの専門家批評して、どこか放送しろ

合計2時間。毎週でも良い。

国営放送でもいい。

現状でも政治討論番組は多いが、「プレゼン⇒指摘、批判提案⇒それに対する返答、再批判」という形式はない。

討論はその場の思い付きの話ばかりで、話が発散する。

討論なんて自己満だ。なんらの建設性もない。

プレゼン形式で、プレゼン話者にその場の責任を持たせろ。

話題責任所在を明らかにしろ

そして、批判、指摘にどれだけ返答できたか審査までしろ


万が一にでも、うまくこの過程が熟すれば、

審査員を審査するメディア一般人

・それを通じて、政治さら評価できる土壌

ができてくる。

そうでなくとも、プレゼン批判⇒返答のプロセスエンタメとしても政治評価としても意味があるからやってみろ。

~~ 都市再生計画シャッター商店街対策空き家問題対策



更地にするにも金がかかるし」で放置されてる商店空き家が増えすぎ。

そんな放置状態物件都市郊外駅前にザラにある。

商店街なんて、数件そういう空き商店が出始めたら、客足が遠のき、さらに空き商店が増加する。

この負のループによってシャッター商店街化してる場所日本全国で多すぎる。

しかも、子育て世代が住みたいと思える駅前土地が、そういう形態放置されている。

商店に定額の税金をかけて、「やってない商店物件として保持し続けるくらいなら、売却しよう」という動きを促せ。

それか補助金をだして、立ち退きを促せ。

また相続不明になって、空き家として放置されている物件も多い。

今後も増えるだろう。

最近、ようやく相続登記義務化があったが、刑罰10万円以下の罰金となってるが、土地公有地にしてもっと早急に競売にかけることまで制度化したほうがいい。

一般論として、土地有効活用とか都市再生計画もっとマニフェストの前に押し出せ。

そろそろ手遅れだぞ。

~~ 財政金融政策に期待しすぎるな


もう財政金融政策は十分やっただろ。

この20年間、ゼロ金利

財政負債が積みあがった。

その結果がこれだ。

しろ、既に書いたような都市再生のための規制改革の方が大事だ。


~~ 子づくり支援子供一人当たりの住宅ローン補助金の導入



子供が増えると必要な家の大きさも変わる。

高校無償化」等、教育費ばかりが政治的争点になってるが、家も子づくりと重要関係を持つ。

都市部だと、一部屋増やすと、家の価格が数千万上がることだってある。

「3人を上限に、子供一人当たり、住宅ローン0.5%減」くらいが当たり前にならないと、子供を持つ余裕なんてない。


財源は、消費税しろ

労働をしてない高齢者から税金をとる方法消費税だ。

もしくは今の高齢者から年金下げろ。

この世代は詰みあがった国債享受してきた世代だ。

年金も、今後の若い世代よりは多く受け取ってる。

世代間格差を是正して、消費税を上げて取れ。

健康保険料等で現役世代から取るな。

それと、不妊治療もっと安くしろ

不妊治療無料でもいい。

わざわざ子供を作りたいと考えてる世帯のことを全力で支援しろ

~~ 子育て支援



もはや、夫婦共働きが当たり前だ。

保育園もようやく待機児童がなくなってきたが、次の問題小学校以降だ。

夏休み等の長期休暇はどうするんだ。

教員は反対するだろうが、託児所的な役割を担ってもらわないと社会が回らなくなっている。

長時間労働理由部活動を無くすのは構わんが、長期休暇中といえど平日は通常業務しろ

~~ 地方創生をある程度あきらめろ



完全な過疎地域は諦めろ。

人口減少社会過疎地域地方創生机上の空論というのは爺婆しかいない地方人間が分かり切ってる。

もう手遅れだ。

都市圏の郊外ベッドタウンでさえ、上述のように、シャッター商店街問題が続出してる。

地方都市に関しては、長崎スタジアムティだとか、北海道エスコンフィールドみたいに、エンタメ商業施設等で再生するのが昨今の成功事例か?

特にバスケバレーで使うアリーナは、他のイベントにも使えるから上手く有効活用しろ

どちらも今、成長産業だ。

サッカースタジアムは正直商業的に微妙

芝がサッカー以外で使えない。

過疎地域で起きた大規模災害被災地の復旧とか夢を見すぎるな。

現実的には、大規模な被災をしたら若い世帯はさっさと転居して、余計にその地域過疎化は進む。

完全復旧なんて夢物語だ。

どうせ無理だから被災していない近隣都市部の郊外公営住宅を準備する方がコスパ良いだろ。

文句は出るだろうが、大規模な災害がある時点で不満が出るのは仕方ないと腹をくくった対応しろ


~~ 超高齢者投票権取り上げ、または、未成年者の投票付与



判断力が無い未成年者に投票権がないなら、判断力が低下してる超高齢者投票権があるのもおかしいだろう。

とりあえず、穏便に100歳以上の投票権を撤廃から、徐々に切り下げていけ。

90歳や85歳くらいまで、引き下げられたら、上述の地方切り捨てをしても、選挙に影響もなくなるはず。

まあ、これを実施するのが実質不可能なのは分かり切ってるから未成年の子供に投票権を付与するのが代替案だ。

そして、実質的保護者世代がその投票を担えば、高齢者の影響を薄めることが出来る。

18歳ではなく、15歳、12歳と引き下げていけ。

ついでに、運転免許は当然に高齢者から取り上げろ。

85歳以上は更新停止だ。

子供の命を何人犠牲にしたら気が済むんだ。

~~ 付加価値創造型とか夢物語を語るな



コストカット型も日本経済重要アイデンティティだ。

そういう日本の強みを忘れて、無謀な勝負を仕掛けるな。

そもそもそうやって、自分たちの良さを自覚できなかったから、例えばガラケー市場を取れなかったのではないか

上手くマーケティングすれば、日本品質改善型・コストカットビジネス世界に出れる余地はないのか。

経済の在り方を政治で主導できる時代は終わった。

市場の在り方は市場に任せろ。

~~ 大学受験を大きく変えろ



受験の難問を解けるようになることに、若くて頭の良い人間が労力を割きすぎだ。

ある程度の成績が良い人間は、大学科目の勉強に進めるような形態に変化しろ

ともかく、難問を解かせるよりも、さっさと受験勉強より上位の科学等に取り組ませろ。

そして、それを評価するような体制にしないといけない。

かなり大きな教育改革となるが、受験勉強に割かれている若年層の多大な労力を、より生産的な努力に転換することは重要だ。

アメリカ型のエッセイ共通テスト+成績でも良いかもしれない。

それと数学無しの大学受験をやめろ。

いわゆる、私立文系受験方式やばい

いまどき、文系でも統計データサイエンス知識は最低限必要

そもそもだが、任意とか存在とか、必要条件と十分条件みたいな数学の基礎概念理解してないと、論理的な会話は不可能

~~ トップ人材教育支援



ギフテッドみたいなトップ人材教育支援に力を入れろ。

結局、国を引っ張るのはそういうトップ人材だ。

本人や保護者希望場合飛び級できる制度を導入しろ

それと、東大生等の留学支援もっとしろ

日本で頭良いやつを育てられるような教育制度を作るより、頭良いやつを海外に送って教育してもらう方が安上がりかもしれん。

企業も、マイナー競技スポンサーとかするよりも、ハーバードスタンフォード留学する学生支援するスポンサーがあってもいいんじゃないか。


こんな感じだがどう思う?

2024-10-12

ノーベル平和賞を与えるべきは「はだしのゲン」の方だと思ってしま

が、それをやると作者と集英社が手柄を総取りした感じになっちゃうから被団協にしたんだろうなあ。

でもやっぱ影響力や訴求力という点では「はだしのゲン」が圧倒的に感じる。

連載開始から50年の間、戦争原爆についての市民目線でのエピソード子どもたちに与え続けてきたのは本当に凄い。

戦争エピソードをお祖父ちゃんに聞こう」みたいなのはさ、結局その人達体験したことしか言わないから都会なら田舎疎開した話だし、田舎なら都会から疎開なだれまれた話だけになっちゃうんだよね。

本当に原爆のことを実体験を持って伝えられる人は広島長崎の極一部にいた人だけで、あまりにも数が少ない。

でもジャンプ漫画だったら日本全国の子どもたちが読むし、学校公立図書館単行本も置かれているから皆いつの間にか読んで学ぶことが出来てる。

ゲンの良い所って「戦争を持ち上げたり批判したりで手の平クルクルしてる奴らはカス」ってエピソードはあっても「天皇かい詐欺師に騙されてアジア搾取した日本民族はカスから滅んだほうがいい」ってエピソードはないこと。

戦争に対して後ろ向きな作品によくあるただただ悲観的な内容じゃなくて、トラウマエピソードがクソほど山盛りなはずなのにやたら前向きなノリなんだよね。

当時の出版業界の多少の無茶ならセーフなノリのおかげで、米軍に「オウ、ナイスデザイン」な骸骨を売りつける今なら通らなそうなエピソードとかもあるし。

戦争によって普通暮らしを取り上げられた子ども等身大の戦いを描いて、その中で原爆による悲惨な影響が現れているって所が、読み手に対して原爆人間距離感を考えさせると思うんだよ。

ぶっちゃけさ、被爆体験者のエピソードってどっかで他人事じゃん?

だっていきなり現れて1時間だけ好き放題言って帰っていくだけの被爆前は学校通ってたっぽいこと以外は何の情報もない老人でしかないもの

でもゲン被爆する前から戦争と戦ってきた数々のエピソードがあって、被爆の影響が人によってバラバラタイミングでいつ現れるとも知れない中でどこまでも付きまとってくることの恐怖を語ってくれるわけだよ。

この生々しさはさ、いきなりやってきたよく分からんジジババの「辛かったねえ・・・戦争はクソだねえ・・・天皇はいい人なのに不思議だねえ・・・」な思い出話からだけじゃ伝わらねえわけよ。

やっぱ「はだしのゲン」は凄いと思うよ。

ノーベル平和賞もらって良かったと思う。

anond:20241012143459

平和式典でイスラエル呼ばなかった長崎はかっこよかったぞ

欧米の醜さが際立ってた

2024-10-11

来年にはやっとJリーグが東は関東から西は広島までのセントラルリーグになるな

横浜FC清水長崎が昇格した来年新潟福岡長崎が降格

来年までに千葉岡山水戸磐田などはJ1へ昇格だ

2024-10-02

 三四郎は、その不思議な事を、すぐ話せばいいと思うのに、与次郎は平気なもので、一人でのみこんで、一人で不思議がっている。三四郎はしばらく我慢していたが、とうとう焦れったくなって、与次郎に、美禰子に関するすべての事実を隠さずに話してくれと請求した。与次郎は笑いだした。そうして慰謝のためかなんだか、とんだところへ話頭を持っていってしまった。 「ばかだなあ、あんな女を思って。思ったってしかたがないよ。第一、君と同年ぐらいじゃないか。同年ぐらいの男にほれるのは昔の事だ。八百屋お七時代の恋だ」  三四郎は黙っていた。けれども与次郎意味はよくわからなかった。 「なぜというに。二十前後の同じ年の男女を二人並べてみろ。女のほうが万事上手だあね。男は馬鹿にされるばかりだ。女だって自分軽蔑する男の所へ嫁へ行く気は出ないやね。もっと自分世界いちばん偉いと思ってる女は例外だ。軽蔑する所へ行かなければ独身で暮らすよりほかに方法はないんだから。よく金持ちの娘や何かにそんなのがあるじゃないか、望んで嫁に来ておきながら、亭主を軽蔑しているのが。美禰子さんはそれよりずっと偉い。その代り、夫として尊敬のできない人の所へははじめから行く気はないんだから相手になるものはその気でいなくっちゃいけない。そういう点で君だのぼくだのは、あの女の夫になる資格はないんだよ」  三四郎はとうとう与次郎といっしょにされてしまった。しかし依然として黙っていた。 「そりゃ君だって、ぼくだって、あの女よりはるかに偉いさ。お互いにこれでも、なあ。けれども、もう五、六年たたなくっちゃ、その偉さ加減がかの女の目に映ってこない。しかして、かの女は五、六年じっとしている気づかいはない。したがって、君があの女と結婚する事は風馬牛だ」  与次郎は風馬牛という熟字を妙なところへ使った。そうして一人で笑っている。 「なに、もう五、六年もすると、あれより、ずっと上等なのが、あらわれて来るよ。日本じゃ今女のほうが余っているんだから風邪なんか引いて熱を出したってはじまらない。――なに世の中は広いから、心配するがものはない。じつはぼくにもいろいろあるんだが、ぼくのほうであんまりうるさいから、御用で長崎出張すると言ってね」 「なんだ、それは」 「なんだって、ぼくの関係した女さ」  三四郎は驚いた。 「なに、女だって、君なんぞのかつて近寄ったことのない種類の女だよ。それをね、長崎へ黴菌の試験出張するから当分だめだってわっちまった。ところがその女が林檎を持って停車場まで送りに行くと言いだしたんで、ぼくは弱ったね」  三四郎ますます驚いた。驚きながら聞いた。 「それで、どうした」 「どうしたか知らない。林檎を持って、停車場に待っていたんだろう」 「ひどい男だ。よく、そんな悪い事ができるね」 「悪い事で、かあいそうな事だとは知ってるけれども、しかたがない。はじめから次第次第に、そこまで運命に持っていかれるんだから。じつはとうのさきからぼくが医科の学生になっていたんだからなあ」 「なんで、そんなよけいな嘘をつくんだ」 「そりゃ、またそれぞれの事情のあることなのさ。それで、女が病気の時に、診断を頼まれて困ったこともある」  三四郎おかしくなった。 「その時は舌を見て、胸をたたいて、いいかげんにごまかしたが、その次に病院へ行って、見てもらいたいがいいかと聞かれたには閉口した」  三四郎はとうとう笑いだした。与次郎は、 「そういうこともたくさんあるから、まあ安心するがよかろう」と言った。なんの事だかわからない。しかし愉快になった。  与次郎はその時はじめて、美禰子に関する不思議説明した。与次郎の言うところによると、よし子にも結婚の話がある。それから美禰子にもある。それだけならばいいが、よし子の行く所と、美禰子の行く所が、同じ人らしい。だから不思議なのだそうだ。  三四郎も少しばかにされたような気がした。しかしよし子の結婚だけはたしかである。現に自分がその話をそばで聞いていた。ことによるとその話を美禰子のと取り違えたのかもしれない。けれども美禰子の結婚も、まったく嘘ではないらしい。三四郎ははっきりしたところが知りたくなった。ついでだから与次郎に教えてくれと頼んだ。与次郎はわけなく承知した。よし子を見舞いに来るようにしてやるから、じかに聞いてみろという。うまい事を考えた。 「だから、薬を飲んで、待っていなくってはいけない」 「病気が直っても、寝て待っている」  二人は笑って別れた。帰りがけに与次郎が、近所の医者に来てもらう手続きをした。  晩になって、医者が来た。三四郎自分医者を迎えた覚えがないんだから、はじめは少し狼狽した。そのうち脈を取られたのでようやく気がついた。年の若い丁寧な男である三四郎は代診と鑑定した。五分ののち病症はインフルエンザときまった。今夜頓服を飲んで、なるべく風にあたらないようにしろという注意である。  翌日目がさめると、頭がだいぶ軽くなっている。寝ていれば、ほとんど常体に近い。ただ枕を離れると、ふらふらする下女が来て、だいぶ部屋の中が熱臭いと言った。三四郎は飯も食わずに、仰向けに天井をながめていた。時々うとうと眠くなる。明らかに熱と疲れとにとらわれたありさである三四郎は、とらわれたまま、逆らわずに、寝たりさめたりするあいだに、自然に従う一種快感を得た。病症が軽いからだと思った。  四時間、五時間とたつうちに、そろそろ退屈を感じだした。しきりに寝返りを打つ。外はいい天気である。障子にあたる日が、次第に影を移してゆく。雀が鳴く。三四郎はきょうも与次郎が遊びに来てくれればいいと思った。  ところへ下女が障子をあけて、女のお客様だと言う。よし子が、そう早く来ようとは待ち設けなかった。与次郎だけに敏捷な働きをした。寝たまま、あけ放しの入口に目をつけていると、やがて高い姿が敷居の上へ現われた。きょうは紫の袴をはいている。足は両方とも廊下にある。ちょっとはいるのを躊躇した様子が見える。三四郎は肩を床から上げて、「いらっしゃい」と言った。  よし子は障子をたてて、枕元へすわった。六畳の座敷が、取り乱してあるうえに、けさは掃除をしないから、なお狭苦しい。女は、三四郎に、 「寝ていらっしゃい」と言った。三四郎はまた頭を枕へつけた。自分だけは穏やかである。 「臭くはないですか」と聞いた。 「ええ、少し」と言ったが、べつだん臭い顔もしなかった。「熱がおありなの。なんなんでしょう、御病気は。お医者はいらしって」 「医者はゆうべ来ました。インフルエンザだそうです」 「けさ早く佐々木さんがおいでになって、小川病気から見舞いに行ってやってください。何病だかわからないが、なんでも軽くはないようだっておっしゃるものから、私も美禰子さんもびっくりしたの」  与次郎がまた少しほらを吹いた。悪く言えば、よし子を釣り出したようなものである三四郎は人がいいから、気の毒でならない。「どうもありがとう」と言って寝ている。よし子は風呂敷包みの中から蜜柑の籠を出した。 「美禰子さんの御注意があったから買ってきました」と正直な事を言う。どっちのお見舞だかわからない。三四郎はよし子に対して礼を述べておいた。 「美禰子さんもあがるはずですが、このごろ少し忙しいものですから――どうぞよろしくって……」 「何か特別に忙しいことができたのですか」 「ええ。できたの」と言った。大きな黒い目が、枕についた三四郎の顔の上に落ちている。三四郎は下から、よし子の青白い額を見上げた。はじめてこの女に病院で会った昔を思い出した。今でもものうげに見える。同時に快活である。頼りになるべきすべての慰謝を三四郎の枕の上にもたらしてきた。 「蜜柑をむいてあげましょうか」  女は青い葉の間から果物を取り出した。渇いた人は、香にほとばしる甘い露を、したたかに飲んだ。 「おいしいでしょう。美禰子さんのお見舞よ」 「もうたくさん」  女は袂から白いハンケチを出して手をふいた。 「野々宮さん、あなたの御縁談はどうなりました」 「あれぎりです」 「美禰子さんにも縁談の口があるそうじゃありませんか」 「ええ、もうまとまりました」 「だれですか、さきは」 「私をもらうと言ったかたなの。ほほほおかしいでしょう。美禰子さんのお兄いさんのお友だちよ。私近いうちにまた兄といっしょに家を持ちますの。美禰子さんが行ってしまうと、もうご厄介になってるわけにゆかないから」 「あなたはお嫁には行かないんですか」 「行きたい所がありさえすれば行きますわ」  女はこう言い捨てて心持ちよく笑った。まだ行きたい所がないにきまっている。  三四郎はその日から四日ほど床を離れなかった。五日目にこわごわながら湯にはいって、鏡を見た。亡者の相がある。思い切って床屋へ行った。そのあくる日は日曜である。  朝飯後、シャツを重ねて、外套を着て、寒くないようにして美禰子の家へ行った。玄関によし子が立って、今沓脱へ降りようとしている。今兄の所へ行くところだと言う。美禰子はいない。三四郎はいっしょに表へ出た。 「もうすっかりいいんですか」 「ありがとう。もう直りました。――里見さんはどこへ行ったんですか」 「にいさん?」 「いいえ、美禰子さんです」 「美禰子さんは会堂」  美禰子の会堂へ行くことは、はじめて聞いた。どこの会堂か教えてもらって、三四郎はよし子に別れた。横町を三つほど曲がると、すぐ前へ出た。三四郎はまったく耶蘇教に縁のない男である。会堂の中はのぞいて見たこともない。前へ立って、建物をながめた。説教掲示を読んだ。鉄柵の所を行ったり来たりした。ある時は寄りかかってみた。三四郎はともかくもして、美禰子の出てくるのを待つつもりである。  やがて唱歌の声が聞こえた。賛美歌というものだろうと考えた。締め切った高い窓のうちのでき事である。音量から察するとよほどの人数らしい。美禰子の声もそのうちにある。三四郎は耳を傾けた。歌はやんだ。風が吹く。三四郎外套の襟を立てた。空に美禰子の好きな雲が出た。  かつて美禰子といっしょに秋の空を見たこともあった。所は広田先生の二階であった。田端小川の縁にすわったこともあった。その時も一人ではなかった。迷羊。迷羊。雲が羊の形をしている。  忽然として会堂の戸が開いた。中から人が出る。人は天国から浮世へ帰る。美禰子は終りから四番目であった。縞の吾妻コートを着て、うつ向いて、上り口の階段を降りて来た。寒いみえて、肩をすぼめて、両手を前で重ねて、できるだけ外界との交渉を少なくしている。美禰子はこのすべてにあがらざる態度を門ぎわまで持続した。その時、往来の忙しさに、はじめて気がついたように顔を上げた。三四郎の脱いだ帽子の影が、女の目に映った。二人は説教掲示のある所で、互いに近寄った。 「どうなすって」 「今お宅までちょっと出たところです」 「そう、じゃいらっしゃい」  女はなかば歩をめぐらしかけた。相変らず低い下駄はいている。男はわざと会堂の垣に身を寄せた。 「ここでお目にかかればそれでよい。さっきからあなたの出て来るのを待っていた」 「おはいりになればよいのに。寒かったでしょう」 「寒かった」 「お風邪はもうよいの。大事になさらないと、ぶり返しますよ。まだ顔色がよくないようね」  男は返事をしずに、外套の隠袋から半紙に包んだものを出した。 「拝借した金です。ながながありがとう。返そう返そうと思って、ついおそくなった」  美禰子はちょっと三四郎の顔を見たが、そのまま逆らわずに、紙包みを受け取った。しかし手に持ったなり、しまわずにながめている。三四郎もそれをながめている。言葉が少しのあいだ切れた。やがて、美禰子が言った。 「あなた、御不自由じゃなくって」 「いいえ、このあいからそのつもりで国から取り寄せておいたのだから、どうか取ってください」 「そう。じゃいただいておきましょう」  女は紙包みを懐へ入れた。その手を吾妻コートから出した時、白いハンケチを持っていた。鼻のところへあてて、三四郎を見ている。ハンケチをかぐ様子でもある。やがて、その手を不意に延ばした。ハンケチ三四郎の顔の前へ来た。鋭い香がぷんとする。 「ヘリオトロープ」と女が静かに言った。三四郎は思わず顔をあとへ引いた。ヘリオトロープの罎。四丁目の夕暮。迷羊。迷羊。空には高い日が明らかにかかる。 「結婚なさるそうですね」  美禰子は白いハンケチを袂へ落とした。 「御存じなの」と言いながら、二重瞼を細目にして、男の顔を見た。三四郎を遠くに置いて、かえって遠くにいるのを気づかいすぎた目つきである。そのくせ眉だけははっきりおちついている。三四郎の舌が上顎へひっついてしまった。  女はややしばらく三四郎をながめたのち、聞きかねるほどのため息をかすかにもらした。やがて細い手を濃い眉の上に加えて言った。 「我はわが愆を知る。わが罪は常にわが前にあり」  聞き取れないくらいな声であった。それを三四郎は明らかに聞き取った。三四郎と美禰子はかようにして別れた。下宿へ帰ったら母から電報が来ていた。あけて見ると、いつ立つとある

anond:20241002010446

東海道新幹線開業60周年

私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線開業して30年以上経った90年代

母方の実家があるため静岡病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。

そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶

当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。

全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピード新幹線新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。

こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系ホームに滑り込んでくる。

これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。

そんなわけでしばらく新横浜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。

ある時、静岡祖父旅行企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさ九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父神奈川まで来てくれた)

500系運用は決まってのぞみ静岡は停車しない。

フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。

空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。

何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜ホームに降り立っていた。

そこから中学修学旅行京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女京都に行ったり。

そして現在に至る。

三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったもの電車マスコンハンドルを握って仕事をしている。

JR東海新卒普通に落ちた。

恨むこともないし、社会人になり親友名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。

飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。

車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母距離は遠くなっていた。

そして、今年の正月祖父が亡くなった。

仕事中に訃報を伝えられ、品川から東海道新幹線に乗り込んだ。

予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。

流れる車窓を眺めながら、祖父との思い出が駆け巡る。

新幹線に乗り愛知万博家族みんなで行ったこと。

静岡ホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。

社会人になった後に神奈川祖父母が来た時、帰りの切符グリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。

祖父との思い出の節々に東海道新幹線が出てくる。

母は、修学旅行では寝台特急長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。

現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆ど目的地へ行くことが出来る。

私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。

会いに行こう、をテーマ曲に。これから日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。

そう思って文を締めます

東海道新幹線開業60周年

私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線開業して30年以上経った90年代

母方の実家があるため静岡病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。

そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶

当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。

全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピード新幹線新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。

こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系ホームに滑り込んでくる。

これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。

そんなわけでしばらく新横浜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。

ある時、静岡祖父旅行企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさ九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父神奈川まで来てくれた)

500系運用は決まってのぞみ静岡は停車しない。

フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。

空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。

何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜ホームに降り立っていた。

そこから中学修学旅行京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女京都に行ったり。

そして現在に至る。

三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったもの電車マスコンハンドルを握って仕事をしている。

JR東海新卒普通に落ちた。

恨むこともないし、社会人になり親友名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。

飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。

車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母距離は遠くなっていた。

そして、今年の正月祖父が亡くなった。

仕事中に訃報を伝えられ、品川から東海道新幹線に乗り込んだ。

予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。

流れる車窓を眺めながら、祖父との思い出が駆け巡る。

新幹線に乗り愛知万博家族みんなで行ったこと。

静岡ホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。

社会人になった後に神奈川祖父母が来た時、帰りの切符グリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。

祖父との思い出の節々に東海道新幹線が出てくる。

母は、修学旅行では寝台特急長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。

現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆ど目的地へ行くことが出来る。

私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。

会いに行こう、をテーマ曲に。これから日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。

そう思って文を締めます

2024-09-28

anond:20240928113746

北海道 旭川いのちの電話 0166-23-4343

北海道 北海道いのちの電話 011-231-4343

青森県 あおもりいのちの電話 0172-33-7830

秋田県 秋田いのちの電話 018-865-4343

岩手県 盛岡いのちの電話 019-654-7575

宮城県 仙台いのちの電話 022-718-4343

山形県 山形いのちの電話 023-645-4343

福島県 福島いのちの電話 024-536-4343

新潟県 新潟いのちの電話 025-288-4343

福井県 坂井西警察署(東尋坊) 0776-82-0110

富山県 こころ電話 076-428-0606

石川県 こころ相談ダイヤル 076-237ー2700

長野県 長野いのちの電話 026-223-4343

長野県 松本いのちの電話 0263-88-8776

群馬県 群馬いのちの電話 027-221-0783

栃木県 栃木いのちの電話 028-643-7830

栃木県 足利いのちの電話 0284-44-0783

茨城県 茨城いのちの電話 029-855-1000

茨城県 水戸いのちの電話 029-350-1000

埼玉県 埼玉いのちの電話 048-645-4343

千葉県 千葉いのちの電話 043-227-3900

東京都 東京いのちの電話 03-3264-4343

東京都 多摩いのちの電話 042-327-4343

東京都 英語いのちの電話 03-5774-0992

神奈川県 川崎いのちの電話 044-733-4343

神奈川県 横浜いのちの電話 045-335-4343

山梨県 山梨いのちの電話 055-221-4343

静岡県 静岡いのちの電話 054-272-4343

静岡県 浜松いのちの電話 053-473-6222

岐阜県 岐阜いのちの電話 058-277-4343

愛知県 名古屋いのちの電話 052-931-4343

三重県 三重いのちの電話 059-221-2525

滋賀県 滋賀いのちの電話 077-553-7387

京都府 京都いのちの電話 075-864-4343

奈良県 奈良いのちの電話 0742-35-1000

大阪府 関西いのちの電話 06-6309-1121

兵庫県 神戸いのちの電話 078-371-4343

兵庫県 はりまいのちの電話 079-222-4343

和歌山県 和歌山いのちの電話 073-424-5000

鳥取県 鳥取いのちの電話 0857-21-4343

島根県 島根いのちの電話 0852-26-7575

岡山県 岡山いのちの電話 086-245-4343

広島県 広島いのちの電話 082-221-4343

山口県 山口いのちの電話 0836-22-4343

香川県 香川いのちの電話 087-833-7830

愛媛県 愛媛いのちの電話 089-958-1111

徳島県 いのち希望 088-623-0444

高知県 高知いのちの電話 088-824-6300

福岡県 北九州いのちの電話 093-653-4343

福岡県 福岡いのちの電話 092-741-4343

佐賀県 佐賀いのちの電話 0952-34-4343

長崎県 長崎いのちの電話 095-842-4343

熊本県 熊本いのちの電話 096-353-4343

大分県 大分いのちの電話 097-536-4343

宮崎県 宮崎いのちの電話 0570-783-556

鹿児島県 鹿児島いのちの電話 099-250-7000

沖縄県 沖縄いのちの電話 098-888-4343

2024-09-27

愛媛の人は黙って11月10日前日夜から長崎へ行ってくれ

自家用車レンタカー

松山から小倉までのフェリー

松山から福岡空港

小倉博多からJR線高速バス

これらを駆使して長崎へ行きましょう

用事サッカーじゃなくてもサッカーですと言いましょう

佐賀新幹線がなくて疲れたと言いましょう

2024-09-26

江戸時代は藩ごとの司法制度があったが、明治以降は、薩摩長洲司法外国法を少々追加したような司法が導入されたはずだ(保険法分野では鍋島藩長崎藩もありうる)

そして当時の裁判制度がすでに、気狂い的な証拠捏造フリーダムで成立していたはず(だから大審院以降は予審制度もあった)

一方、皇族司法族の懲戒事案の個別案文書は全て「非公開」だから警察検察が、保険金事件ウマーで捏造やらかそうが、まず罰せられんよね

良く知らんけど、袴田事件裏金が動いてなかったら嘘だよなあ

2024-09-23

浦和レッズ関東ローカルチームでしかないのはかわいそう

三菱レッズって名前にすれば浦和ファンが全国に増えて全国的なチームになるのに

三菱重工跡地に出来た長崎の新スタも使わせてくれるだろうに

2024-09-22

佐賀中国からODAをしてもらって新幹線を通すことも考えている人もいるだろう

長崎が不便だ

2024-09-21

anond:20240921143557

長崎毎日雨が降るというイメージをお持ちの方が多いかもしれませんが、実はそれは少し誤解があります

なぜ「長崎は雨が多い」というイメージが生まれたのか?

長崎は今日も雨だった」という歌の影響: この歌がヒットしたことで、長崎は雨が多いというイメージが定着してしまいました。

九州全体の気候: 九州梅雨前線がかかりやすく、他の地域に比べて雨が多いというイメージがあるかもしれません。

地域差: 長崎県内でも、場所によって降水量は大きく異なります普賢岳周辺は特に降水量が多いですが、長崎市など他の地域はそれほど雨が多いわけではありません。

長崎気候の特徴

海洋気候: 長崎県は、対馬海流の影響を受けて温暖で湿潤な海洋気候です。

梅雨期: 梅雨期には、年間降水量の約30%にあたる雨が降ります

台風: 台風シーズンには、まとまった雨が降ることがあります

長崎の雨についてまとめると

毎日雨が降るわけではない: 長崎は雨が多い地域ではありますが、毎日雨が降るわけではありません。

場所による違い: 長崎県内でも、場所によって降水量は大きく異なります

季節による違い: 梅雨期や台風シーズン特に雨が多い傾向にあります

さらに詳しく知りたい方へ

長崎県の気候について、より詳しく知りたい場合は、以下の情報も参考になるかもしれません。

長崎県の気候に関するウェブサイト: 長崎県の観光情報サイトなどには、気候に関する詳しい情報掲載されている場合があります

気象庁データ: 気象庁ウェブサイトでは、長崎県の過去の降水量データなどを確認することができます

まとめると、長崎は雨が多い地域ではありますが、毎日雨が降るわけではありません。場所や季節によって降水量は大きく異なります

もし、長崎への旅行計画されているのであれば、事前に天気予報などを確認し、適切な服装や持ち物をご準備ください。

2024-09-20

長崎出身女友達ができた

つい最近長崎出身女友達ができた。

で、俺と俺の友人と彼女の三人でさっきまで飲んできたんだよ。

これが結構面白かった。彼女は俺のドイツ人友達に会うのは初めてだったんだけど、最初からすぐに打ち解けて、あっという間に仲良しになってた。

その友達、めちゃくちゃ日本語ペラペラなんだよね。それで彼女に「長崎って、カステラのところやろ?」って聞くと、彼女もすぐに「そうですそうです!」って笑顔で答えてさ、今度は彼女が「ドイツバームクーヘンですよね!?」って返して、それに友人も「せやで!」って答えてさ。

なんとなく俺も話に乗っかって、「カステラバームクーヘンも一緒じゃね?」って言ったんだよね。正直、そんなに違いがわからんし。

そしたら「全然うから!」「全然ちゃうわ!!」って二人同時にツッコんできてさ、ビール吹いたw

二人の反応がシンクロしすぎてて、まじで面白かったんだよなぁ。

そんな感じで、飲んで騒いでさっき帰ってきて、今すぐ寝て忘れる前に日記代わりに書いてるんだけど、もう限界に近いわw

酔ってるとこうやって頭に浮かんだこと書きたくなるんだよねw 明日になったら読み返して恥ずかしいんだろうけど、まぁそん時に消せばいいし。

大学って面白いわ。

2024-09-19

長崎博多が1時間で繋がっているはずなのに、新幹線がないせいで長崎スタジアムティ行きたくない人が多い

東京長崎旅がブームになるはずなのに佐賀新幹線を通さないことによる経済損失が大きい

JR九州佐賀駅に止まらないリレーかもめ長崎スタジアムティ行き表示の列車を設定すべし

平日の賑わいを応援するために平日も運行すべし

anond:20240919004934

長崎黒人が死んでたら動いたかもだけど、ないだろ。

あいつら黒人しか興味無いから。

2024-09-18

サッカーの偉い人、サポーター佐賀県を説得してくれ

長崎博多直通乗り換えなしの新幹線が通らないと長崎無駄になる

anond:20240918215047

福岡側には山があって長崎側は平地が少なく長崎市が端すぎるというが今ほど交通が発達していない頃の線引きだもんな

佐賀から博多駅に直通する運賃を5倍にして新幹線建設の積み立て金とするべき

長崎犠牲にして成り立っている佐賀

2024-09-17

子どもの数に対して大学数が充足している都道府県ランキング

都道府県の「大学数(国立私立公立の合算)」で「各都道府県1014歳人口(2022年人口統計)」を割った値。

調査の次の年齢階層が15~19歳で進路等でばらつくことから1014歳の値を使用あくまでも各地域の子もの人口の目安。

人/校、この数字が小さいほど子ども地元を離れずに大学に通うことができる。

逆に大きい場合子どもの数に対して地元大学数が少なく、大学に通うには他の都道府県に出ていく必要がある。

結果を見ると近隣の都道府県に吸収されている印象。

順位都道府県|人/校|( )は大学

01 京都 3059 (34)

02 石川 3500 (14)

03 東京  3625 (144)

04 新潟  4045 (22)

05 岡山  4556 (18)

06 青森  4700 (10

07 山梨  4714 (7)

08 秋田  4857 (7)

09 北海道 5378 (37)

10 高知  5400 (5)

11 群馬  5467 (15)

12 奈良  5600 (10

13 山口  5600 (10

14 福井  5667 (6)

15 広島  6000 (21)

16 山形  6143 (7)

17 大阪  6224 (58)

18 愛知  6615 (52)

19 福岡  6686 (35)

20 岐阜  6769 (13)

21 兵庫  6800 (35)

22 宮城  6857 (14)

23 徳島  7000 (4)

24 宮崎  7143 (7)

25 長崎  7250 (8)

26 滋賀  7556 (9)

27 和歌山 7600 (5)

28 岩手 8000 (6)

29 長野  800011

30 鳥取  8000 (3)

31 富山  8400 (5)

32 熊本  9000 (9)

33 栃木  9111 (9)

34 福島  9125 (8)

35 千葉  9704 (27)

36 大分  9800 (5)

37 香川  10250 (4)

38 沖縄  10500 (8)

39 茨城  11000 (11

40 埼玉  11000 (28

41 三重  11000 (7)

42 愛媛  11200 (5)

43 静岡  11357 (14)

44 神奈川 11576 (33

45 鹿児島 12333 (6)

46 島根  14500 (2)

47 佐賀  19500 (2)

個人的感想

1位と最下位子どもの数に対して6倍ほど大学数に差があるので、

大学を通じた社会底上げというならこの差を小さくする必要があるんじゃないか

ただ、見方によっては下位は大学に行かずとも地域経済が回っているところなのかもしれない?

2024-09-15

長崎の新サッカースタジアムに行きたい人に残念なお知らせがあります

佐賀新幹線を通しませんので新幹線が通るまでの間はジャパネットが1000億円かけた街づくりが冷え込みます

サッカーの動員が悪いならば新幹線のせいです

勘違いしないようにしましょう

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