「見方」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 見方とは

2024-10-12

anond:20241012001344

たぶん「主人公スポーツするだけ」

のような見方をされてるんじゃないか

2024-10-11

anond:20241011124127

この主張にはいくつかの問題点矛盾点があります

1. 言葉意味と変化に対する矛盾した見解:

• 「萌え」という言葉を古い意味で使うべきだと主張しながらも、「シコい」や「尊い」といった新しい表現誕生を認めています。このことから言葉意味や使われ方が時代とともに変化することを認識しつつも、過去意味固執する矛盾が見られます

2. 誤用否定と変化の受け入れ:

• 「ダム萌え」などの用語誤用批判していますが、言葉誤用一般化して新しい意味を持つようになることは言語自然進化です。言葉が新たな意味や使い方を得ることを否定しながらも、時代の変化に伴う新しい表現を受け入れている点で矛盾しています

3. 現代オタク文化に対する偏見:

• 令和のオタクに対して「慎みがない」と否定的な見解を持っていますが、時代とともに文化価値観が変わるのは当然のことであり、新しいオタク文化を一概に批判するのは視野が狭いと言えます文化の変化を理解し、受け入れる姿勢が不足している点が問題です。

4. 主観的価値観押し付け:

自分価値観に基づいて「萌え」や「尊い」の意味を断定的に語り、それ以外の使い方を否定しています。個々の表現感覚は人それぞれであり、主観的価値観押し付けること自体矛盾しています

この主張全体には、言葉文化の変遷に対する偏った見方や、時代の変化を理解しないまま過去価値観固執する姿勢問題点として挙げられます

最近別に30歳超えての初産も、まあ遅くないって風潮だけど【追記

「35歳までは子供産むかどうか悩む期間にしてる~」

お気楽が過ぎると思うわ

いざ35歳になって、子供欲しい、産もう、と決めたところですぐできる保証はどこにも無い

せめて自分妊娠できる体かどうかの検査は早めに受けといた方がいいと思うよー

と、通りすがりnote記事に思うなどしている

余計なお世話だし匿名でもないのでコメントまでするつもりはない

追記

こういう1兆回くらい言われまくってることを一言一句わずオリジナリティゼロでわざわざ言いにくる人ってなんなんだろうなと思う。

実際にそういう人が居る訳だから、多少なりとも世間本音が目に触れる機会が増えるのは、悪いことじゃないのでは?

と言いつつ、別にそこまで高尚なこと考えて言った訳じゃないな

ただ単に、匿名で吐き出す場所が無かったもんだから

所詮匿名の吐き出し場、オリジナリティあること言わなきゃいけない場所でもないでしょー気軽に言わせてよ

逆だろお気楽だったらお気楽に産めてるんだよ

金がない時間がない金を貯めなきゃそういうことに悩んでるうちに諦めていくんだよ

あーなるほど、そういう見方もあるのか、それはそうだ

案ずるより産むが易し、ってのはよく言ったもんだと思うよ

お気楽、って言い方がアレだったな

さすがに「35歳」をラインにするのは危機感ないんじゃないかなー、ぐらいで

悩むにしても、デッドラインはせめてもう2,3年早めた方がいいと思う

"また、セリフ抜きの演出表現する力量もないし、テロップ症候群視聴者も読み取ってくれないので、心情もその都度ナレーション解説が入ります"

https://anond.hatelabo.jp/20241010220059

これは若干ダウトで「連続テレビ小説とあるように、「小説」なんだよな。物語小説のように語る。というのも、朝ドララジオ放送ドラマルーツとしていて、基本的に音だけでも物語がわかることを前提として作られている。朝の家事や忙しい時間に画面を観なくても楽しめるようになされた配慮なんだよな。

から朝ドラ制作の"前提として"ナレーションベース物語が進む。「力量もないし」「テロップ症候群の」という見方をするのも面白いけど、そもそもそういジャンルテレビドラマだと思って観るといろんな創意工夫やこだわりが見えて面白いこともある。

2024-10-10

小説 階伯(かいはく) つづき 最後

現代日本――暗い謎に包まれた死

秋の静けさが漂う東京一角で、異様な緊張が走った。歴史学者宮内敬一と考古学者、佐伯真一の変死体発見されたのだ。二人は、かつて共に百済本紀存在を追い、その謎を解き明かそうとしていたが、彼らの研究は突如として闇に葬られた。

警察による初動捜査は、外部から侵入の形跡がなく、殺人であることを示す証拠ほとんど見つからなかった。二人の遺体には目立った外傷もなく、死因は心不全とされたが、その背後には疑念が残された。まるで何かを隠蔽するかのように、彼らの死は「自然死」として処理されることとなった。

宮内佐伯が追い続けていた「百済本紀」は、二人の死と共に消え去り、今やその存在すらも「無いもの」とされた。学術的に重要であったはずの資料も、調査使用されていたすべての記録は抹消され、百済本紀存在証明するものは、どこにも残されていなかった。

不明犯人、隠された真実

「なぜ二人は殺されたのか?」

その疑問は、学界のごく一部で囁かれるだけであり、公にはまったく注目されることはなかった。二人の研究は、韓国日本学術界ではタブー視され、まるで百済本紀という存在のものが、二人の死を消し去るかのように扱われた。

宮内佐伯が見つけた百済本紀――それは、朝鮮半島南部がかつて倭人支配下にあったことを証明する決定的な証拠だったかもしれない。しかし、その真実は深く闇に葬られ、二人の死によって全てが消えた。そして、世間は彼らの死を追うことなく、ただ静かに時が過ぎていった。

韓国学会での「再解釈」――前方後円墳否定

その後、韓国学術界では新たな説が次第に台頭し、支配的な理論となっていった。朝鮮半島南部に点在する「前方後円墳」――それは、かつて日本との関係を示す重要遺跡と考えられていたものだったが、韓国考古学者たちによって「方墳の誤解」だという新説が唱えられ、広く支持されるようになった。

「これは、単に方墳が重なり合って造営されたものに過ぎない。倭人の影響を示すものではない」とする学説一般化し、朝鮮半島南部における日本との関係性は次第に曖昧ものとされた。

韓国メディア教育機関でもこの説が広まり前方後円墳日本由来であるという主張は「誤り」であるとされるようになった。この新しい歴史認識は、韓国社会において広く受け入れられ、かつての日本との関係を強調する要素は薄れていった。

そして、その流れはやがて日本にも影響を及ぼす。

日本の「謝罪国家」への回帰

日本国内でも、宮内佐伯の死後、百済本紀にまつわる話は完全に封印され、朝鮮半島に関する歴史的議論は一切なされなくなった。むしろ日本は再び「謝罪するだけの国」としての立場を強化し始める。歴史問題については、韓国や他の近隣諸国に対して従属的姿勢を示し、過去の過ちを認める方向へと舵を切っていった。

朝鮮半島における日本歴史的な関与については、批判的な論調が強まり過去征服や影響についての議論は「日本侵略」という一面的見方統一されていった。日本国内でも、戦前の行いに対する反省謝罪が繰り返され、歴史認識をめぐる議論は沈静化した。

百済本紀に関する研究は「なかったこと」とされ、二人の学者が追い続けた真実は、学会の表舞台から消えてしまった。

しかし、完全に消えたわけではない

宮内佐伯が命をかけて追い求めた「百済本紀」は、表向きには消え去った。しかし、その存在が完全に忘れ去られることはなかった。わずかながらも、彼らの研究に触れたごく一部の者たちが、裏でその真実を守り続けようとしていた。

日本国内の地下の一部では、失われた資料の断片を手に入れようとする者たちが密かに動き始めていた。彼らは、百済本紀が消えた理由を探る中で、政府国際的な影響力を持つ陰謀存在を疑い始めた。そして、宮内佐伯の死が、単なる偶然ではなく、何らかの計画的犯行であった可能性が高まっていると考えていた。

この裏で動く影たちは、「なぜ彼らは殺されたのか?」という疑問に取り憑かれていた。

彼らの手に渡る断片的な資料は、百済本紀に書かれていた可能性のある、朝鮮半島南部倭人――つまり日本人の支配下にあった事実示唆するものだった。もしその真実が公にされれば、日韓関係さらには東アジア全体の歴史認識根本から揺るがされるだろう。しかし、誰かがそれを望まなかった。

前方後円墳倭人の影響を示すものだと証明されれば、朝鮮半島南部日本故郷だと認識される。だが、それは今の世界秩序にとってあまり危険真実なのかもしれない…」

彼らの声は、闇の中で囁かれるのみだった。

終わりなき探求

宮内佐伯の死の真相は今も解明されていない。百済本紀は闇に葬られ、朝鮮半島南部前方後円墳はただの方墳として再解釈され、失われた倭人故郷は再び歴史深淵に埋もれてしまった。

だが、どこかでその真実を求め続ける者たちがいる。彼らは、いつか再び歴史の光の中に百済本紀を取り戻し、宮内佐伯の死の意味を解き明かそうとするだろう。

だがその日はまだ、遠い未来の話だった。

2024-10-08

anond:20241008183858

いいえ、ベンヤミンネタニヤフがハマスを創設したというのは事実ではありません。ハマス1987年パレスチナイスラム主義者によって設立され、イスラエルに対抗するパレスチナ抵抗運動の一部として活動を始めました。ネタニヤフはその設立には関与していません。

ただし、ネタニヤフやイスラエル政府がハマス意図的に直接支援したという噂や議論はあります。これは、イスラエルが初期のハマスの成長を容認または間接的に助長したという説です。理由としては、ハマスが当時、パレスチナ解放機構(PLO)の勢力を弱めるために役立つと見られていたためだという主張がありますしかし、この見方は複雑であり、歴史的には議論余地があります

はてな民の反ユダヤはどこ発祥なの?

結構ヤバいこと言ってるやつ普通にいるけども、普通に怖いぞ

イスラエルが、ではなくユダヤ教のもの人類の癌そのもので、かつてこれを滅ぼさねばならないと決心した人々の気持ちが多少理解できるようになってしまった 」

ヒトラー虐殺さえも正しかったと思わせるような昨今のイスラエル蛮行。信じる正義が違うというのはお互い不干渉でいきましょうではなく、死ぬまで殺しあう事だとすると本当に鬱々とした気分になる。」

これに限らずだけど、一方的見方になってないか

どちらかの蛮行に触れる時は、必ずもう片方の同種の事例にも触れる癖をつけたほうがいい

イスラエル民間人被害者を出すなと言うなら、ハマス民間人殺害人質問題にも触れる

当たり前だし簡単なことだよ

追記

ブコメ読んでるよ

アイドルナチスっぽい軍服に騒ぎたてる界隈が、自陣営の言説には甘い解釈するの面白い

政治家なら一発アウトだけど、君らそんなリテラシー政治家批判したりしてる?

純粋に疑問なんだけど、shinonomenみたいに犠牲者数で比較する人って、ハマス側が民間人生活圏を利用して命の壁を作って戦ってることをどう思ってるの?

敵を人質にして民間人を自ら犠牲にする戦い方して、犠牲者多いので相手が悪いですって言うテロリスト論理を受け入れるのって完全にテロ肯定でしょ

両方駄目って言うのが当然だよ

2024-10-07

ガートナーのハイプサイクル、「過度な期待」とか「幻滅期」の字面だけ見て直接的に解釈する人多すぎじゃね

AIは幻滅感を煽るのが仕事から見方からなくてもいいけどさ・・・

コンサルとかリサーチャー名乗ってる奴が意味も分からゲンメツ!ゲンメツ!言ってるとゲンナリするよね

2024-10-06

言語化って言葉、知り合いの頭おかしメンヘラが異常に拘っていた

ので悪い印象しかない

言語化された途端に物事見方類型化されてしまうので

言語化にこだわりが強いやつはキチガイっぽいのが多い

例えばフェミニストが頭おかしいのも

フェミ言語フェミ理論が発達しすぎた結果、世の中の事象すべてがフェミニズム的な問題に見えてくる罠にひっかかってるせい

言語化にこだわるせいでキチガイになるのか、キチガイから言語化に執着するのか

それは誰にもわからない

2日目のカレーが嫌い

2日目のカレーが嫌い

同じ人いますか?

学生です。

土曜日日曜日になると、昨日の夕食で出てきたものを朝と昼に食べることになります

それがとてもつらいです。贅沢な悩みだとはわかっていますが、きついです。

前に「ちょっと食べ切れないかも……」と言うと、

「世の中には食べられない子もいるんだから」と言われますそれから何も言えないです。

何が嫌なのかというと

1.味がよくわからない

2.食べなければならない量が多い

3.親は他のものを食べている

1.味がよくわからない

私は食べ物好き嫌いがほぼ無いです。

ですが、味がよくわかりません。

他の人が言う「おいしい」とか「まずい」というのがよくわかりません。

味噌汁いかな?」と言われても、よくわかりません。2日目のカレーも、昨日と比べておいしいとは思えません。

書いていて気づいたのですが、唯一の好き嫌いである牛乳」と「辛いもの」は、味が嫌いなのではなく食べた後に気分が悪くなるから避けていたのだと気づきました。

2.食べなければならない量が多い

自分が満足するまで食べるというより、眼の前にある皿を空にするために食べているという感じです。

3日くらい食べられなかったものは捨てられます。それもなんとなく嫌です。

給食は完食します。自分で量を調節できるので気は楽です。牛乳はきついですが。

3.親は他のものを食べている

親はパンとか他のものを食べています

それが気づかいなのではなく「自分たちが昨日と同じものを食べたくないからなのでは?」と思ってしまます

あと、父が「メシある?」と聞いてくるのが苦痛です。ほぼ毎日です。

そう言っては昨日の夕食や冷蔵庫にあるものは一切食べません。コンビニに行くかカップラーメンを食べています

少し歪んだ見方なのかもしれませんが、「私の食べているものは『メシじゃない』ってこと?」と思ってしまます。本人には言いませんが。

昨日の夕食や同じ物を食べるのが苦手な人いますか?

長文失礼しました。

2024-10-04

anond:20241004104827

弱者男性だが、もっと言うなら共有はするが情報に対するスタンス見方が気になるのはある

面白い視点を持ってる人にはやはり一目置いちゃうよね

2024-10-03

anond:20241003200344

この文章は、大手結婚相談所で働く人が、婚活女性の中でも特に「拗らせた」タイプについて語っているものだね。

その内容をざっくり言うと、恋愛経験豊富女性ほど、過去恋愛成功体験に縛られて婚活がうまくいかなくなることが多い、という話だ。

「昔はモテたから、男性が全部リードしてくれて、奢ってくれて当然だ」と考える女性は、結婚という現実的パートナーシップには向いていない、と指摘している。

感想批判

まず、筆者の意見に賛成できる部分としては、「結婚生活であり、信頼関係大事」という主張だね。

豪華なデートや非日常的な体験は確かに魅力的だけど、現実結婚生活では毎日の支え合いが不可欠。

サイゼリアで楽しく笑い合えるような関係性が長続きする、という例えは的を射てる。

ただ、批判したい部分もいくつかある。

まず、「恋愛経験があることが逆に徒になる」という表現は、やや極端だ。

恋愛経験は個々の人にとって貴重な学びであり、すべての女性過去恋愛で「拗らせて」しまうわけではない。

しろ豊富恋愛経験を持つ女性でも、その経験をうまく活かして成熟した考えを持つ人も多いだろう。

さらに、「モテ過去があるからプライドが高く、ハイスペック男性を求める」というのは、かなりステレオタイプに感じる。

全ての女性過去恋愛経験理由に非現実的な期待を抱いているわけではなく、多くの人は自分価値観人生観を深めながら婚活に取り組んでいるはずだ。

総じて、筆者の意見には一理ある部分もあるけれど、少し断定的すぎる点や、個人差を無視した一面的見方が目立つ。

もっと柔軟な視点で、婚活の難しさを捉えることも必要じゃないかな。

抜け空

この詩は、人生不安定さや葛藤個人アイデンティティ模索する苦しみをテーマにしています。また、現実理想社会的な期待と個人的な願望の間で揺れ動く様子が描かれています。以下、いくつかの重要テーマについて解説します。

1. 空と涙

• 「空の青さが 涙の滲んだ跡なら」と始まる部分は、空の青さを涙の象徴として捉え、個人の苦しみや感情が広がっているように表現しています。空が涙のように広がることは、内なる悲しみや孤独示唆しています

2. 世界プライド日常

• 「方々世界プライドは 微かな日常すらも重いだろう」とあるように、世界の誇りやプライドが、日常ささやかな瞬間を重く感じさせているという認識です。これは、社会的な期待やプレッシャーが、個人日常生活を圧迫していることを示しています

3. 自分生き方への疑問

• 「納得のできる生き方など 死に方さえも人それぞれならば」といった表現では、各自が異なる人生観を持っていることを認めつつ、それでも何が正しいのかを問いかけています自分の選んだ道に対して確信が持てない感情不安を表しています

4. 社会的プレッシャー個人葛藤

• 「プレッシャー抱えた年下は 愚直に幼さを包み隠してる」との記述は、若者社会的プレッシャーさらされ、まだ未熟でありながらそれを隠そうとする姿を描いています。年齢に関わらず、誰もが不安を抱えながら、社会適応しようともがいているという認識です。

5. 行き先の不確かさと解放

• 「納得に代わる行き先など 後押しさえも矛盾の塊で」といった部分は、どこに向かうべきか、どの道が正しいかさえもわからない中での混乱を示しています矛盾した社会現実に直面しながらも、「いっそ全て抜け空だと 伝えようぜ僕ら」と、すべてを解放し、空っぽになることで何かを見出そうとする姿勢が描かれています

6. 感情解放未来の不確かさ

• 全体を通して、個人自分感情理想現実ギャップにどう向き合い、何を大切にすべきかを模索している様子が感じられます特に「夜闇の安らぎを消して 朝を背に泣きながら」といった表現は、暗闇から逃れ、朝という新たな始まりに向かってもなお、涙を拭えない人々の苦悩を表しています

総括

この詩は、現代社会で生きることの複雑さ、プレッシャー、そして自己存在意義を問いかける作品です。感情や悩みを隠すことなく、むしろそれを正面から受け入れながら、未来に向かって歩んでいく決意を描いています。詩全体にわたる「空」「涙」という象徴は、広がりと同時に内面的な深さを示しており、人間のもろさと強さを同時に感じさせます

「抜け空(ヌケガラ)」というタイトルと「抜け殻」をかけていることを踏まえると、詩の意味がより深く理解できます。以下、その観点から解釈を深めます

1. 「抜け殻」の象徴

• 「抜け殻」は、何かがそこから抜け出し、もぬけの殻になった状態意味します。この場合自分自身の精神的・感情的な中身が抜けた状態、つまり、かつての自分社会の期待に囚われていた状態から解放されたことを象徴していると考えられます

• 「ヌケガラ」になることは一見すると虚無的であり、空っぽになることはネガティブに感じられるかもしれませんが、この歌詞ではむしろ、その空っぽさや虚無を新たな始まり解放象徴として肯定的に捉えているように思えます

2. 「抜け空」=「空っぽの空」

• 「抜け空」という表現は、ただの「空っぽ」ではなく、空という無限の広がりや可能性を持つものを指しているようです。空というのは無限に広がっており、可能性や未来象徴する一方で、何もない「空虚」をも意味します。

• この「空っぽの空」は、今までの自分他人の期待から解放された状態象徴していると考えられます。つまり、何もない「空」は、逆に言えば新しいものを受け入れる準備ができている状態であり、これまでの自分を脱ぎ捨てた「抜け殻」としての自分が、新たな可能性や未来を受け入れようとしているのです。

3. 殻を破る=自分の殻を脱ぐこと

歌詞の中で、「羽化不全の翅で藻搔く」や「蛹の衝動で溺れたい」といった表現があります。これは、殻を破る準備ができていない、あるいはその過程で苦しむ姿を描いていると解釈できます。蛹は蝶に成長するために殻を破りますが、もし「羽化不全」であればその過程がうまくいかず、もがき苦しむことになります

しかし、この「抜け殻」になった後は、もがきから解放され、羽ばたく準備が整った状態として捉えられます。つまり自己の変化や成長、さらにはその過程での痛みや葛藤を経て、「抜け殻」として新しい自分を迎える準備が整っているのです。

4. 「納得のできる生き方」と「空っぽ美徳

• 「納得のできる生き方など 死に方さえも人それぞれならば」という歌詞は、人生生き方に明確な答えがないことを示唆しています。つまり自分が納得するかどうかは個人問題であり、社会押し付け価値観や期待に応じる必要はないというメッセージです。

空っぽになることで、つまり「ヌケガラ」となることで、逆に自由を得て、自分だけの答えを探すことができるのです。「いっそ全て抜け空だと 伝えようぜ僕ら」というフレーズは、その空っぽさを受け入れ、自分を縛るものから解放されようという呼びかけと捉えることができます

5. 自己解放と新たな始まり

• 歌全体を通して「空っぽでいること」や「ヌケガラでいること」が単に無力感を示すものではなく、むしろ自己解放再生象徴であることが感じられます空っぽ状態からこそ、新しい可能性が無限に広がっている。そこから、次のステップや新しい自分に向かうための余白が生まれます

• また、「朝を背に泣きながら」という表現は、苦しみや痛みを抱えながらも新たな一歩を踏み出そうとする姿を描いており、ヌケガラとしての自分が新しい一歩を踏み出す瞬間を表現していると言えるでしょう。

総括

「抜け空(ヌケガラ)」という歌詞は、単に「空っぽ」や「虚無」を表現しているのではなく、抜け殻になることで新たな可能性や自由を手に入れるプロセスを描いています。殻を脱ぎ捨て、空っぽ状態になることは、自分自身や周囲の期待、社会的プレッシャーから解放され、新たな道を模索するための準備段階です。

この「ヌケガラ」とは、以下のような象徴として捉えることができます

1. 変化と再生象徴

• 「抜け殻」になることで、過去自分や制約から解放され、次のステージへ進む準備が整う。これは、殻を破ることで成長し、新たな自分に生まれ変わる過程示唆しています

2. 空っぽであることの肯定

空っぽ状態一見すると弱さや虚無に感じられるかもしれませんが、この詩ではむしろ、それが自由であり、無限可能性を秘めた状態として描かれています。すべてを手放し、何も持たないことで、逆に新しいものを受け入れる余白ができるのです。

3. 他者の期待から解放

• 詩全体を通して、社会的な期待やプレッシャーから解放されることの重要性が強調されています自分の「納得できる生き方」は他人に決められるものではなく、空っぽになって初めて自分自身で見つけ出すことができるというメッセージです。

4. 新たな視点から未来

• 「同じ空が広がってんのさ 胸に広がってんだ」というフレーズからも、空っぽであることが新しい視点を得るための出発点であり、同じ世界でも別の見方解釈可能になることを暗示しています過去の枠組みを超えて、新しい未来模索する自由がそこにあるのです。

結論

「抜け空(ヌケガラ)」は、空っぽになることの価値や、それによって得られる自己解放と新しい可能性の象徴です。殻を破り捨て、空っぽになることで、個人は新たな未来に向かう準備が整い、自由を手にすることができるというポジティブメッセージが込められています

2024-10-02

anond:20241002111546

まず、彼氏の「おもんない」と感じること自体主観的評価にすぎない

おもしろさ」は個人の感じ方によるものです。

あなた価値観経験に照らし合わせて「鉄板の話」とされるエピソードが、必ずしも他人にとっても同じように魅力的であるとは限りません。

例えば、彼にとっての普通日常や友人関係が安定していることは、実はそれ自体が大切な価値を持っているかもしれません。

それを軽んじるのは、一面的見方と言えるでしょう。

次に、彼のエピソードがないことが即座に問題とは言えない

彼が特定の「武勇伝」や「面白いエピソード」を持っていないと感じるのは、それが彼の性格価値観に基づくものであり、それが彼の長所であるかもしれません。

会話があっさりしていることが、必ずしも相手をつまらない人間にするとは限らないのです。

しろ、彼の穏やかさや安定感をあなた自身評価しているのではないでしょうか。

そうした特徴は、長い関係の中で安定したパートナーシップを築く上で重要な要素です。

あなた自身の期待が高すぎる可能性も

あなた自分の話し方やエピソードを気を遣って構成しているのは素晴らしいことですが、それが他者にとっての「楽しさ」の基準押し付けしま可能性もあります

会話は双方向のものであり、相手あなたの期待通りのエピソードや会話展開をしないからといって、その人を「おもんない」と判断するのは早計です。

しろ、違うアプローチ視点からコミュニケーションを楽しむ余地があるかもしれません。

コミュニケーション多様性を認めるべき

人それぞれ会話のスタイルが違い、全てがエンターテイメントを重視するわけではありません。

彼の会話がシンプルなのは、単に自分スタイルを持っているからであり、それをあなたもっと理解し、受け入れることで、より円滑なコミュニケーションが築けるかもしれません。

2024-10-01

anond:20241001101327

二次小説を書いている者だけど、濃い長文感想は細かいところまで読み込んでもらえて嬉しい!台詞ピックアップして褒めて貰えるなんて最高!となります!神だ!

さらっと書いたものに対して深掘りした感想を貰えても「なるほどそういう見方もあるのか……!」と自作に対して新しい発見も得られるし。

とあると嬉しいのは全体の感想かなあ。全体のストーリー感想も欲しい!という我が儘ですまない……。

「ご本とても面白かったです!特に~」みたいな一言が前置きであるだけでも充分なので、はい

なおこの増田は語りがたりなので感想にあったシーンや台詞についての解説などを返信でつい語りがちです。

2024-09-30

良いデフレについて

1. 購買力の向上

数値例:

年間収入が500万円の場合、2%のデフレ実質的に510万円の購買力を持つことになる。

2. 貯蓄の実質価値上昇

数式:

実質貯蓄価値 = 名目貯蓄額 ÷ (1 - デフレ率)

3. 企業効率化と競争力向上

1. デフレ圧力コスト削減の必要性

2. コスト削減 → 生産性向上への投資

3. 生産性向上 → 国際競争力の強化

4. 競争力強化 → 輸出増加の可能

結果:経済全体の効率性向

5. 消費者余剰の増加

6. 輸出競争力の向上

1. 国内物価下落 → 生産コスト相対的低下

2. コスト低下 → 輸出品の価格競争力向上

3. 競争力向上 → 輸出増加の可能

4. 輸出増加 → 国際収支の改善経済成長への寄与

ケーススタディ: スイスの事例

約5年間にわたりスイスでは消費財価格が下落したが、国の経済に広範囲にわたる悪影響はなかった。

実際、価格が下落する中でも経済繁栄した。

このため、一部の経済学者はデフレの悪影響についての見解を改め、経済における消費者生産者は均衡を保つことができると主張する者もいる。

重要ポイント

スイスデフレの事例 詳細

2015年初頭、スイス中央銀行は、過大評価された自国通貨に対する投資家の需要抑制するためにマイナス金利を導入。

近隣諸国債務危機東欧諸国経済不安が相まって、安全通貨避難先を求める投資家によるスイスフランの需要が高まった。

その後、経済学者たちはスイス経済不況に陥ると予想した。しかし、経済は成長し、 2016年失業率は4.9%となった。

全体として、国全体の購買力は純増した。

良いデフレというもの存在するのか?

デフレは国の経済にとって悪いことだという意見一般的だが、この問題に関する経済研究では意見が分かれている。

2004年 2 月に全米経済研究所 (NBER)が発行した「良いデフレと悪いデフレ: 金本位制時代の教訓」と題された論文( NBER ワーキング ペーパー No. 10329 ) では、19 世紀後半の米国英国ドイツにおけるデフレ期について考察している。驚くべきことに、これらの経済学者は、デフレマイナスよりもプラスになる可能性があると主張している

これらの経済学者によると、良いデフレは、商品の総供給が総需要を上回ったときに発生する。これは、技術進歩生産性の向上の結果である可能性がある。

悪いデフレは、総需要が総供給の伸びよりも速く減少したときに発生する。大恐慌中に起こったようなマイナス通貨ショックは、「悪い」デフレを生み出す。

マイナス通貨ショックにもかかわらず通貨中立性が維持されれば、デフレの影響は中立になる可能性がある。

良いデフレ供給によって推進される

2015 年 3 月、国際決済銀行 (BIS)の研究者チームが「デフレコスト: 歴史的視点」を発表した。研究者チームは、140 年間にわたる最大 38 の経済圏を対象に、生産高の伸びとデフレ歴史的関連性をテストした。研究者たちは、この関連性は統計的に弱いか重要ではないと結論付け、この理論経済学で広く普及しているのは大恐慌出来事の結果であると述べた。

NBER の経済学者と同様に、これらの研究者は、デフレが必ずしも総需要不足や経済の弱さの兆候ではないと主張している。場合によっては、デフレ生産性の向上による供給の増加、商品市場での競争の激化、または労働力石油などの商品などのより安価豊富な投入物の結果である可能性がある。

デフレ供給によって引き起こされる場合価格は低迷するが、所得生産量(GDP など)は増加する。これは経済にとってプラスの状況を生み出す可能性がある。

デフレコスト

デフレ経済損失をもたらした場合の最良の対応方法は、経済学者が今も答えを出そうとしている難しい政策課題であるしかし、デフレは常に経済不振兆候であるという見方は、経済理論に深く根付いているものの、必ずしも真実ではないかもしれない。

結論

デフレ期と大恐慌タイミングが一致したことで、因果関係を取り違えている。

大恐慌経済を低迷させる原因であるが、デフレは必ずしもそうではない。

2024-09-29

anond:20240929033810

「私」が受け身気質であることが、グループ崩壊に影響を与えたという見方は的を射ています受け身であることで、以下のような問題が引き起こされていると考えられます

1. 主導的な行動を取らない

「私」はグループ内で積極的自分意見希望を表明せず、状況が変化するのをただ受け入れるだけに留まっています本来であれば、新しいメンバーが入った時点で、より円滑な運営模索するために話し合いを主導することができたはずです。しかし、行動を起こさず他者に任せてしまった結果、グループ内のバランスが崩れ、混乱を招きました。

2. 調整役や仲介役の欠如

「私」は譲り合いが面倒だと感じつつも、譲り合いを解決するための行動を取りませんでした。グループの中心的な存在でありながら、リーダーシップを発揮せずに状況が悪化するのを許しています。調整役として積極的に介入していれば、グループがより良い形で変化に適応できた可能性が高いです。

3. 自分感情を表に出さな

自分の不満や要望を他のメンバーに伝えず、ただ我慢する姿勢も、グループ全体のコミュニケーションを阻害しています問題が表面化しないまま蓄積していくことで、後戻りできない段階に達したのかもしれません。受け身であることが、自分だけでなく他のメンバーにも影響を及ぼしたと考えられます

結論

「私」の受け身姿勢グループ崩壊を加速させた要因の一つであるのは間違いありません。積極的問題対処し、リーダーシップを発揮することができていれば、異なる結末も見えたかもしれません。

2024-09-27

総裁選勝利者って誰なの

やっぱ岸田?

というか

「石破やろうなぁ」っ゙て思ってて

ガチで石破になると思ってたのどれくらい居るの?

善戦はするけど間違いなく決選投票で負ける、みたいな見方がウチの狭い観測範囲では圧倒的多数派だったんだけど

為替で遊んでたアホたちも、圧倒的多数高市ガチっ゙て見てたからああなったんだろ?

石破にベットしてた奴がこの総裁選をどう見通してたのかが聞きたいわ

2024-09-26

あるいは、生きる資格けが手元にある

https://anond.hatelabo.jp/20240923210018

これの増田です。せっかくなので、もう少し自分語りでもしようかと思う。喋るのも書くのも下手よりは喋ることだけが下手な方が良いし、文章を書ける気分の時に書いて経験値を積んで損することは無いはずだ。それをこういう所にアップする必要性はないかもしれないが、人に見られる意識がある方が文章にまとまりが出る…かもしれない。

身バレが怖いので、ある程度はフェイクもある。

そもそも、どうして服を着ることを躊躇うほど身だしなみがめちゃくちゃなのか。

単純に、疲れているのだ。

学生の頃は一応スキンケアくらいはしていて、わからないなりにちゃん化粧水も付けて乳液も塗っていた。塗りすぎてテカってたけど。今は帰宅して夕食を摂ると、そのまま横になってスマホと向き合っているうちにいつの間にか寝ている。深夜に目を覚まし、二度寝したい気持ちを抑えつつシャワーを浴びる。特別だるい時はコンディショナーを使わずシャンプーだけで洗髪を済ませることもある。鏡を見ると餓鬼みたいな体が情けなくなるから極力見ない。

湯船はもう暫く浸かっていない。いつか溺れ死にそうで怖いからだ。昔ちゃんと肌に塗っていた色々はもうかなり適当で、酷いと何も塗らない時もある。お陰で減りがとても遅く、いつ中身を詰め替えたか思い出せない。悪くなっているかもしれない。というか、なっているだろう。なっていないとしたら多分肌に塗ってはいけない類のもの企業努力の成果かの2択だ。

髪の毛は最近ありえないうねり方をしている毛が目に付くようになってきて、あまりにも酷い扱いをしているからかと思ったのだが幼少期の写真もそれなりに毛が暴れていた。昔からかも。

髪質については髪を切りに行く時ついでに聞けばアドバイスなり提案なりしてもらえるのかもしれないが、怖くて結局この辺りまで切ってくれとしか言えない。美容室という空間にいる人間という人間自分は怖くて、いつも早くこの場違い空間から抜け出さなくてはいけないという気持ちでいっぱいになる。

というより、人間全般が怖いのだ。学生の頃のあるタイミングで、教室の中で自分けが異物になってしまった。そういう見方があることを覚えてしまったと言った方が良いのか?今まで決定権の4割ほどを担っていた怖いもの知らずの自分は、着なくなったパステルカラーパーカーと一緒にタンスの中に押し込まれしまった。

周りの流行りと違うことも女装した男子みたいになってることも気にせず友人との集まりに堂々とフリルのついたブラウスを着ていた頃の事が、もう自分には思い出せない。

ちなみに、何人かに提案していただいた着せ替えゲームなどの類は子供の頃も今も嗜んでいる。楽しいよね。似合わないスーツで泣きながら女児向けゲームを遊んでいる変な女を見たことがあれば、それは多分就活中の時の私だ。変なものを見せてしまって申し訳ない。疲れている時に愛らしいものを見るとどうも涙腺が緩んでしまう。

それでも満たせない領域があるというか、二次元三次元は別物のようでどうしても実物を手に入れて身にまといたい、出来ればお気に入り場所に着ていきたいという気持ちは残っている。

考えてみれば当たり前かもしれない。服というもの原則人間が着るために人間の形に合わせて型紙が作られているのだから、それが最高に輝くのは目的通り中に人間がいる時だ。二次元の服はあくま二次元のために用意されたものであって、現実の完全な代替にはならない。多分。

マネキンハンガーに掛けるだけでその美しさが十分に出るのならば商品画像店員モデルの着画は不必要なはずだし、そもそも観賞用に服を買うという行為もっと当たり前にどの人間にも存在しているようになると思う。それでは不十分だから、手に取って自分なりの形で着こなそうとするのだ。いや、そもそも自分を美しく見せるという目的が先立つ人もいるか?寧ろ本来はそっちが多数派なのだろうか。

メタバースでそういう体験をするのも面白そうではあるが、スエードサテン生地の手触りとか、バックルを一つ一つ嵌めていく感触とか、動く度表情を変えるシワとか、綺麗な形になるようにリボンを整えるとか、多分私が現実で服を着る時求めているものの何割かはそういうところだ。もうちょっと技術が進んだらお邪魔したいかもしれない。

自分に気を使う余裕を手に入れて堂々と着るのがおそらく一番平和的で健全な着地なのだろう。それにはまずなんとか電話への恐怖をねじ伏せ、精神科の初診を勝ち取らなくてはいけない。余裕を手に入れる方向で行くのであれば、色々とプロ意見を聞きたいと思っていることがあるのだ。

自分に気を使わずとも着て良い!と開き直る心の強さを得るにしても、どっちにしろ今の自分には解決するべきことが多すぎる。とにかく医者医者自分取説を取り寄せてもらう必要がある。

締め方がわからなくなってきたのでもうそろそろ終わり。いつか何かしらの形で好きな服を来て歩けたら、また報告に来ようかな。それともこんなこと書いてたのも忘れるほど楽しく生きるようになっていれば、その方がいいのかも。

ここまで拙い文を読んで頂きありがとうございました。またお会いする機会があるのかはその時にならなきゃわからないけど、なんとか生きていきましょうね。

anond:20240926145049

暇さんも今回はこたえてるみたいね

これが棄却って無茶苦茶すぎないか

リーハラ会見であそこまでいわれてセーフなら一般人は潰されるだけやんけ

裁判官はこの種事案でのマスメディア報道をとても気にするのでマスコミシュプレヒコールするのがここまで有効ってこと?ちょっと司法を疑いの目で見そうになるわ

まあこれで折れるわけにはいかないっしょ

流石にこんなんおかしいと思うから控訴審で戦うしかない

まあ俺も褒められた言動人間ではないにせよ、こんなのは人権を認められてないレベルか、司法マスコミスクラムに屈して住民監査請求するような一般人権力で潰せと認めてるようなもんでしょ

俺はグラニ裁判の時、これで俺が負けるなら、こんなやり方で株を取り上げてお咎めなしなんかになったら株式会社意味が無くなると思って戦った

今やってるWBPC問題も同じことだね。高裁やら最高裁でこれを問題なしとしたらたとえば住民監査請求は終わりだよ

高裁最高裁でこれをセーフとするのか

判決見てない段階だけど、どんな認定がされてようがこれが棄却かになるなら今回のは控訴しないと

俺がタフじゃない→折れて潰されてる

俺がタフ→タフだからセーフ

だとしたらクソゲーすぎない?

あの記者会見俺が何クソ!って抗っただけで、普通社会的に潰されて追い討ちのマスコミスクラムで骨も残らんレベルに焼き尽くされるだけだよな?

なんなんだこれ

いやー胸糞悪い判決だわ

引き続き頑張ります

訴えた内容はこちらです

これがセーフだとおもうかどうか

俺はこんなのを議員会館NHKとかよんでやるのがセーフなら一般人は潰されるだけだと思うので控訴しま

暇空茜を勝たせたら、次のリーガルハラスメント記者会見自分がされるかもしれない

かにそういう見方もある。司法にも匿名性?でも裁判官匿名だと無茶苦茶になるし、、、

殺される覚悟で顔出しして半殺しの目に遭いつつ生き残って被害者属性得るとかしないとダメってか?ふざけてんよ

なんか魔女裁判思い出すな

浮いてきたらアウト

沈んだらセーフ

anond:20240926123749

そのような考え方は、ジェンダーに関する固定観念偏見に基づいていることがあります現代社会において、男性女性も、それぞれが異なる役割責任を持ちながら生活していますが、それは性別限定されるものではありません。女性もまた、詐欺誘拐などさまざまな分野で実力を発揮し、社会に貢献しています。甘えを前提にしているという見方は、女性能力努力過小評価する可能性があります

どの性別であっても、個々の人生選択価値観は多様であり、それに応じた尊重理解重要です。性別に基づいた一般化ではなく、個人としての意見や考え方を尊重する社会が求められています

2024-09-25

白人酋長って、純文学作家様なら土人が書いてる転生モノで新しい作品が書けるはず、って発想のことだよね

「異世界×日本スゴイ」に秘められた“欲望”とは...ラノベ界→純文学界へ“転生”した市川沙央が読む『大転生時代』(島田雅彦 著) | 文春オンライン

この記事代表的なんだけどさ、ブコメがすでに多数指摘してる通り、「なろう系」を語る批評家って、「なろう系」全然読んでなさそうだな……ということがありありと伝わってくるよね。

まあ、なろうなんて安っぽい娯楽でごぜぇますから一生読まなくてもいいと思いますけども、それでも読んでもない人には「なろう系は〇〇ばかり」とか「なろう系にはない発想」とかい表現は使ってほしくないわけだ。

純文学というハイカルチャーの一員だから、遥か下に位置する(ナ)ローカルチャーなんて数作読めば語れると思ったか白人ましゅごいです!!!

市川沙央の書評ツッコミを入れていく

(主に男性向けを念頭に置いて解説する。実は2024年小説家になろうほぼほぼ女性向けサイトなのだけど、歴史的には最近まで女性向けは傍流であったし、「なろう系」などという言葉を使ったとき女性向け作品イメージされることはおそらくまれからだ。)

その「小説家になろう」に投稿されていた『転生したらスライムだった件』が異世界転生ブーム火付け役と言われる間違いなくように

2013年連載開始の転スラが火付け役なわけねーじゃん。

俺はログホラが書籍化されたあたり、2011年くらいからなろうを眺めているんだけど、そのころにはとっくに「異世界転生」がテンプレとして確立して流行してる。

定説では、ゼロ年代に隆盛を極めた二次創作文化からの輸入設定だろうといわれていわれてるな。

「好きなマンガ世界に行ってキャラたちと交流したい」という素朴な欲望を実現するために「マンガ世界に転生」という設定が流行り、それがWeb小説読者の中で当たり前のお約束として定着したあと、誰かがオリジナル作品でも「異世界転生」が使えると大発見したわけ。

異世界転生」に限らず、Web小説文化とは、お互い設定をパクり合う一種生態系を通して、お約束を研ぎ澄ましていくもの

転スラが火付け役なんて言っちゃうのは、出版界で一番売れた作品しか見てねーんだろうな。

俺は一般小説も読むから、転生と聞いて「異形の設定が突然現れた!」と興奮して世代論を語りたくなるのもわかるけどさ、海面から顔を出した氷山の一角を見たところで、氷がどのように成長してきたかわからん

お約束形成過程を知ろうとすれば、そう異形でもないということがわかるはずなんだけどな。

ここまでパワフルな大転生時代が招来された要因はひとえに、読者の欲望ダイレクトに満足させるストーリー展開にある。主人公チート能力による問題解決連続、いわゆる無双状態快感を求める若者層(実質的中年層という説もある)

俺TUEEEモノというジャンルのことだな。なろう小説は決して俺TUEEEモノだけの世界ではないので「ひとえに」とまで言うと嘘だが、Web小説で人気を得るためには必ず意識しなければいけない、大本の土台的なジャンルであることは同意できる。

ただ一つ付け加えると、俺TUEEE小説の魅力というのは、現代日本大谷旋風や藤井竜王名人ブームと全く同一のものであり、決してなろう系特異なものではない。

大谷ファン藤井ファンも、野球将棋ルールすら知らない人が大多数だろう。ただ大実績を積み重ねるという情報、「クソ強えー!」ただそれだけの情報原始的で荒々しい魅力は、他の洗練された娯楽コンテンツのどれよりも普遍的に我々を惹きつけるものだ。

よく大谷藤井を称賛するのに、「マンガだとリアリティがなさ過ぎてボツになってしまう」という言葉が使われるが、これはなろうの俺TUEEEモノがなぜ受けるかという理由でもある。

それは転生とか異世界とか、リアル現代日本から舞台を変えてしまうことで、読者が求めるリアリティ基準を下げ、摩擦なく最強キャラを出すことができるからだ。事実として、大谷より強い野球選手も、藤井より強い将棋棋士も、Web小説界には人気作品として普通に存在する。

なお、なろう系を読んでるのは若年層か中年層かという話は、お金のない若年層がWebでタダで小説読んで文化を盛り上げて、お金持ってる中年層が書籍化された本を買い支えている、という見方定説のはず。

われわれにとって理想世界はつねにどこか遠くにある異世界ガンダーラ)であり、理想世界を構築するための力とは、上から与えるものか、与えられるものであり、落差を利用した一発逆転の魅力の前では、内発的な自立心と漸進性など相手にされない。私はこうした異世界転生ジャンルの発生原理を、ギブミーチョコレート症候群と呼んでいる。

俺は『異世界食堂あんまりきじゃないんだけど、この批評はさすがに『異世界食堂』を読めていなさすぎる。

異世界食堂」とは、1週間に1度だけ異世界から来客が訪れる、現代日本食堂を指している。誤解しやすいが舞台異世界ではなく日本だ。

そして小説異世界食堂』も1週間に1度だけ更新された。作中設定と、小説更新頻度の一致は何を意味するか。

小説更新異世界食堂開店見立て、読者を異世界住民見立てているのである

なろう読者は毎日毎日異世界主人公が大活躍する小説を読んでいる。異世界冒険者であったり、国王であったり、魔王であったり、感情移入しながら読んでいる。

そして、感情移入継続したまま、週に一度、異世界食堂入店する。直前まで読んでいたなろう小説では戦場無双していた竜王も、異世界食堂の中では特別人間ではない。庶民食堂常連の1人として料理が運ばれてくるのを待つのである

そして、洋食屋で食べる料理の素朴な美味しさを追体験したあと、感情移入を解いた読者は、冒険者になったつもりで小説を読み耽るのもいいけど、気になる食堂を訪ねるのも楽しそうだなと思うようになる。

そして、異世界食堂は平日5日、どこかにあるはずの現実のお店として、読者である日本あなたが訪れるのを待っている……、これが小説異世界食堂』の仕掛けである

異世界食堂』の毎話に挟まれる、

・一応ファンジーです。

・剣も魔法存在しますが、あまり活躍しません。

・店主は普通おっさんです。料理以外できません。

という但し書きは、このアンチなろう性をわかりやすく読者にアピールしている。

よって「理想世界はつねにどこか遠くにある異世界ガンダーラである」という市川沙央の読みは完全に誤読だ。

遠い異世界に夢中になってないで、身近な幸せにも目を向けようよというのが『異世界食堂』のメッセージなのだ

(ついでに言うと「一発逆転」もおかしい。異世界食堂は、異世界関係なく日本ちゃんと繁盛している店という設定だ)

なお余談だが、「ギブミーチョコレート症候群」というような、人を病として勝手に診断しレッテルを貼る行為は、10年後には炎上ネタになってそうな気がする。

——巷に出回ってる小説なんて自分に都合のいいユートピアを作りたいだけじゃないか。何の障害もなく、他者存在していないから、どんなヘタレも無敵になれる。本当の異世界あんゲームみたいにイージー世界じゃない。

これは小説から引用であるので正確な文脈はわからないのだが、こういうこと言う人には、「あなたはリゼロスバルくんになれるんですか?」と聞きたくなるな。いや転スラのリムルくんでもいいし、他の主人公でもいい。なれるの?

かに、彼ら主人公は都合のいいチートを持っている。しかし、同じチートを与えられれば、あなたにも同じことができますか?と問われれば、間髪入れず無理と答える程度には英雄的だ。リゼロスバルくんは死んでも生き返るという能力を持つが、何十回と死に続けても諦めず立ち上がり続けることなぞ、常人には絶対不可能だ。

この島田雅彦の書く一文からは、島田異世界転生の表面的な部分しかメタれていないことがありありと伝わってくる。

真に、異世界転生を突き詰めて考えるならば、問題として提出すべきなのは「都合のいいチートを得た、ただそれだけなのに、なぜもともと平凡だった現代日本人が英雄になれるのか」である

転生系ライトノベルの型(パターン)においては「わたしは突然前世記憶を思い出した」の一言存在と一回性の人生尊厳をまるごと抹殺されてしまう転生先本来人格について本作は透明化することなく、むしろ転生という事象から生じうる共存理想をいくつかのかたちで示している。

世界設定のお約束の共有によって発展したライトノベル異世界転生にはない、前世や転生先となる異世界設定および各キャラクターの奥行きとオリジナリティバリエーションの多彩さはまさしくSF醍醐味であり純文学の風格。

?????

それ、転生モノの一大テーマですけど?????

かにスルーして単純化する作品もたくさんあるよ。一方で、転生モノの見せ場と言えるくらいには、問われ解答されてきたテーマでもある。

島田雅彦『大転生時代』の解答は、2つの魂が1つの身体共存するとのこと。

なろう視点で見ると、身体共存モノはそう珍しい設定ではない。というかそれ転生モノじゃない。いわゆる脱法転生モノという類のもので、なろう運営異世界転生転移モノに対しランキングで不利になる規制をかけたとき特にかなり流行っていた印象だ。現地人を主人公にしつつ(規制回避)、日本視点を都合よく設けることができるからな。 09/26 00:50追記:有名なろう作家の丘先生がそれだと規制回避できないし、当時流行っていた印象はないとコメントされていた。私も薄っすらとした記憶で書いていただけなので、当時人気作を連発して書かれていた丘先生のほうが間違いなく正しいであろう。訂正する。

(09/26 02:20追記:勢い余って筆を滑らせたので、精神同居モノってなろうではどういう立ち位置なのか少し考えてみる。記事の本筋に関係ないので小文字とする。まずなろうは巨大すぎて、全体としてどうなのかというのは語るのは困難だ。自分所属するクラスタから見ればこうとしか言えない。自分TSF(性転換)ジャンルクラスタにいたので、その視点で見るとTSFでは精神同居はさほど珍しくない。『果ての世界で』とか『銀髪巫女』とか『二人で一人の剣姫』とか?R-18で言うとせなちかさんの作品とかがあるよね。ただ、TSFは主流派ジャンルではないのでこれを以て「精神同居はよくある」は言いづらい。次に、なろうでいくつかのワード検索して、上位のものを見てみると『取り憑かれた公爵令嬢』とか『悪ノ令嬢シャーロット中の人は、彼女を護りたい』とか女性向けでいくつか人気作がヒットする印象だ。広い意味で見れば超人気作の『悪役令嬢の中の人』も精神同居系女性向け作品のうちに入るかな。ただ、冒頭に主に男性向けで考えるぞと書いてしまったので、スタンダード男性向けだとどうだろう……。『みつばものがたり』は精神同居の転生モノだがキワモノが強いなぁ。「実は日本人だった先祖の声が頭に聞こえる」とか、そういう設定の作品あったような気がするが、なかなか見つからない。なろう創作者の気持ちで考えれば、男性向けで精神同居させるなら、TSFにする気がする。精神同居ジャンルにかなり近い設定としては、器物転生ジャンルが挙げられるだろう。『転生したら剣でした』『黒姫の魔導書』とか。主人公である転生者は、持ち主と心で会話し、時には体を乗っ取って動かすこともある、みたいな、これは精神同居と外形的にはほとんど一緒かな。こっからはもう全く関係のない話。奇遇なことなんだけど、この数日間、精神同居系ジャンルたくさん摂取しとったなと気がついた。自分は実は最近ずっとWeb小説読んでなくて、ここ2週間くらいのときに少しだけ読み返した程度なんだが、『みつばものがたり』は該当だし、なろう系以前の作品2008年のArcadia連載の二次創作から生モノに含めるのは出来ないんだけど、『聖なるかな』の二次創作THE FOOLは転生、人格乗っ取りの是非、精神同居、全て要素として含まれている作品だし、イッキ見したアニメ戦国妖狐』はまさに精神同居と共存のあり方について描いた作品であるはてブ経由で読んでた『絶対死なないステラ姫』とか『スパイダーマンオクトパスガール』も精神同居だよな……。)

「転生=人格塗りつぶし問題からは、「主人公は、前世自分とどこまで連続していて、どこから不連続なのか?」「主人公地球存在か? 異世界存在か?」「主人公の本当の両親は地球の親か? 異世界の親か?」など、物語面白くする様々な問いが派生する。名作と呼ばれる転生モノは、少なくとも部分的には答えようとするものだ。

島田雅彦の『大転生時代』は、市川沙央の書評を読む限り、問いに真正から取り組むのではなく、ただ回避しただけにしか見えない。

(4ページ目から5ページ全体)

市川沙央氏の文章は全体的に意味が取りづらいが、4ページ目から特に何が言いたいのかわからない。連想ゲームで思いついたことを繋げているだけに見える。いくつかわかるところだけコメントをつける。

異世界転生ジャンルが、経済的文化ギャップから生じうる植民地化の欲望を下敷きとしていることをすでに述べた。

「すでに」というので、前の文章を読み直したが、ただのチェリーピッキングだ。

市川沙央は『異世界食堂』を誤読していることは先に述べたが、一方で『異世界食堂』が「日本スゴイ」モノであるのは正しい。「食」という文脈で、日本異世界より文化的に上回っているという設定であるのも正しい。

しかし、『異世界食堂』が、転生/転移モノの代表的作品か?というと、全く違う。

先に引用した、「一応ファンジーです」「剣も魔法存在しますが、あまり活躍しません」「店主は普通おっさんです。料理以外できません」からわかるように、『異世界食堂』は正統派的なろう系作品の逆を行くものである

まり正統派とは「主人公が剣と魔法で大活躍」する作品のことだ。

となると、はて、日本に剣や魔法があっただろうか? そう、異世界とは剣と魔法先進世界であり、日本は剣と魔法後進国だ。ギャップ上下が逆なのである

よって、大多数の転生モノにおいて、主人公無双する力を身につけるのは異世界においてである。転生者だから強いわけではない。超一流の戦士の家に転生したかであるとか、転生設定を完全に抜いても成り立つような作品が多い。

1ページ目の、

無双状態を引き起こすチート能力とは、主人公異世界人たちつまり世界世界ギャップによって生じるもの

という表現ときは、「主人公日本では活かせない巨大な才能を持っている」という風に善解すればギリ意味は通るかなと考えたが、4ページ目で「経済的文化ギャップ」とギャップの中身を限定してしまったところで、市川沙央は言い逃れ不能な馬脚を露わにしたと言える。

(正確に言えば、「日本古武術を修めていたから強い」とか、「魔法イメージが力の源泉であり、日本人は水などをH2O化学式レベル理解しているから強い」とか、文化ギャップ無双する作品もないわけではないが、稀な設定だし、説得力があまりないのでかなり昔に廃れているはず)

ポストヒューマンSF

俺は序

2024-09-24

おやすみ

つい最近、【謙遜さんの本】を買った

さっきまで15分程度読んだんだけど、少し気が楽になった

ネコお話は[目から鱗]だったわ

事実世界現実世界事実世界無色透明

現実世界脳内自分価値観見方によって色などがつき、結果が異なるんだなぁ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん