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ブックマーク / urbansea.hatenadiary.org (18)

  • 告白について - 北小路ゲバ子の恋

    風俗嬢の妊娠線、履歴書の空白期間、ケータイに出るなり ふいに名乗った日名 … 想いがけないところで言葉によらない告白が始まる。そう、告白は多くにおいて異性に愛を伝えることの謂いで用いられるが、それは用途のひとつにすぎず、元活動家であること、刺青を負っていること、母親が禁治産者であること、執行猶予中であること、おっさんなのにチャットモンチーのファンであること、符の計算が出来るのは嘘であること、あるいは出産、ニート、国籍など、告白のその題材は多彩であるし、冒頭に記すように形態とて多様である。 ブログの文章の一端が、掲載された写真に入り込んだ何かが、エントリ旨とは別のことを告白し始めることだってある。 そのうちIDごと消えてしまうのではないか、と不安を覚えさせるようなブログに惹かれる。言わなくていいこと、撮らなくていいこと、そのようなもろさのうえに立つそれに。そう気づいたのはこちら様のブログ

    告白について - 北小路ゲバ子の恋
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    delayedresolve 2010/10/16
    『ブログの文章の一端が、掲載された写真に入り込んだ何かが、エントリ本旨とは別のことを告白し始めることだってある。』
  • 虹の彼方 - 北小路ゲバ子の恋

    夜の学校「トゥナイト2」のMCはすでに斎藤陽子だった。二十世紀、夏、深夜。西武新宿線都立家政駅の北口にある古屋で、電気グルーヴ「DRAGON」の中古と一緒に買ったと記憶する。「別冊宝島143競馬名馬読」。いまだに表4には400円の値札が貼ったままになっている。 「DRAGON」を聴きながら「信長の野望」だかなんだかに明け暮れ、つかれると「競馬名馬読」をめくった。つまらない生活だった。「DRAGON」の最終曲「niji」の、長い長いイントロと石野卓球のパートを終えて、4分40秒、五島良子の儚げな声が流れはじるのだけが希望だった。いや、もうひとつの希望があった。「競馬名馬読」の、山隆司「虹の彼方の希望 オーバーレインボー」*1である。出身地が同じで、おまけに麻雀と競馬と映画に憑かれた山隆司に、自らの希望をむりやりに見つけ出そうとしていた。ようするに愚か者であった。いずれにせよ、

    虹の彼方 - 北小路ゲバ子の恋
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    delayedresolve 2010/07/25
    『燃えるゴミの日の朝、道端の縛られた週刊プロレスや競馬ブックを見ると、ああ誰かの青春が終わったんだなと想う。』
  • 1984.08.20 - 北小路ゲバ子の恋

    出不精の子供であった。夏休みは「アフタヌーンショー」を見るための日々であった。そんな子供であった。失踪した家族に呼びかける特集、スタジオに殺人現場のセットを組んでの検証etc、稲川淳二の生き人形の語りもこれでみたと記憶する。来る日も来る日もスプライトを飲みながら「アフタヌーンショー」を見ていたのだ。州のサイハテでは「笑っていいとも」は16時からで、「アフタヌーンショー」は14時からであった。中学にあがり、ホライズンなる教科書で「afternoon」が正午の謂いと知った時は衝撃的であった。呉一郎が九州のキチガイ病院で受けたのと同じくらいの戦慄であった。あれは来、あなたの知らない世界の裏番組であったのか!と。(嘘だけど) 私の両親は歳の離れた姉たちを育てるので子育てに飽きてしまった。あるいは親、というものを姉たちを育てることで満喫したのかも知れない。一学期の終業式直後の夜、両親と姉たちは映

    1984.08.20 - 北小路ゲバ子の恋
  • 太田英子との蜜月 - 北小路ゲバ子の恋

    隣り合った女の左肘と私の右肘がぶつかり、その度に互いに顔を見合わせた。左利きと右利きが隣り合ったのだから仕方がない。そんなこんなで太田英子と親しくなった。バイト先で知り合った上和田義彦君のライブに出向き、その後に催された打ち上げにのこのこと出かけた際のことである。 二十世紀のお終い近く、ふり返るにその秋は珍しく仕合わせであった。私が仕合わせだった時期などほとんどないのだから、貴重なそれである。TBSで「青い鳥」をやっていた秋である。霧に包まれた京都競馬場でエリモダンディーが京阪杯を勝った秋である。暮れには西早稲田のACTミニシアターでボリス・バルネット特集があり、中野武蔵野ホールでは黒沢清の「蛇の道」がひっそりと上映された。 そんな季節、私は太田英子と蜜月であった。 太田英子は悪い冗談のような話を始め、次第にずるずると鼻水をすするようになった。「ほら」といってシャツから肌を露出すると、そこ

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  • エヴァンゲリオンとは無縁の生活 - 北小路ゲバ子の恋

    それを放映していた当時、明治大学にすら入れなかった半端者が敗北感を背負って入学する学校に通っていた。そこに行くはめとなった夜、高卒の父親はなんだ法政かと吐き捨てるように言う始末であった。予備校の講師にロックアウトでろくに授業がないときいていたので、まあいいかと自らを慰めたのだが、実際のところはそうでもなく、とはいえ、公安の監視を遮るために飯田橋門はカクマルセンメツとペンキで描かれたベニヤ板で封鎖され、*1年に数回、警察が突入してきたりもしていて、*2小学5年で中核派ファンの私にはお誂え向きではあった。水道橋の場外で紙クズを買い込み、部室で麻雀しながら競馬中継を見ようと学館に向かっていると、「例の女」に出くわしたりもした。柄谷行人には一度たりとも会うことはなかったけれども。なにしろ学校に入っても、校舎には滅多にいかないのだから。そうだ、土曜日の昼下がり、Tシャツに軍手でタテ看を書く彼らはとて

    エヴァンゲリオンとは無縁の生活 - 北小路ゲバ子の恋
  • おかしな夢の記録 - 北小路ゲバ子の恋

    「しかし考えてみれば、われわれはみんな哀れである」 (グレアム・グリーン「第三の男」のお終い) つまるところ、私が好きなお話はこのようなものであって、善−悪や勝者−敗者のお話ではない。たまたま居合わせた敗者と敗者の物語、相米慎二の「ラブホテル」や三隅研次「座頭市物語」がそうであるように。 以下は競馬に関する記述であるが、G1馬なんて出てきやしない。私におかしな夢を見させてくれた競走馬のことを、忘れないうちに記しておく。ただそれだけである。 サンデーブランチ 有馬記念前の追い切りで熊沢が落馬したのだが、サンスポに「調教で落馬した熊沢は買い」のジングスが書かれており、私は自信を持ってサンデーブランチを買ったのであるが、重賞未勝利の馬がそんなジンクスごときで有馬記念を勝てるはずがないじゃないか。 センターフレッシュ 角田がダービージョッキーになる日を夢見ていた私は、21世紀など待ってはいられずに

    おかしな夢の記録 - 北小路ゲバ子の恋
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    delayedresolve 2009/06/20
    [トラックバック]ときどきこういう馬たちのレース映像を見たくなるんですけど最近のレースじゃないとG1だけしか見れないし、なんとかならんもんですかね。
  • どうでもいいことについて / 阿部和重「グランドフィナーレ」 - 北小路ゲバ子の恋

    どうでもいいことについて 私の祖母は老いて外出できなくなると、一日中洗濯物の乾き具合を気にするようになった。ほっておけば乾くものを、日がなそれを気にして過ごし、庭に出ては乾き具合の確認を繰り返すのであった。阿部和重「ニッポニアニッポン」を読んだ際に想うたのは祖母のそうした行動であった。ひとは余地が目減りする程に、どうでもいいことにこだわり始めるのだな、と。(件の小説は、引きこもりの男・鴇谷春生が名字にある「鴇」(とき)にこだわり、その果てに佐渡島で飼育される朱鷺を解放するために、飼育所の襲撃を決行する話である) 元官僚殺しの小泉毅も無職となって、他人にとっては想いがけないことにこだわり、人殺しに及ぶ。報道にしたがえば、三十数年前に飼い犬を保健所に処分された恨みとのことであるが、この拍子抜けする動機もさることながら、それが随分と昔のできごとに起因するのには「今さら」に想える。しかしながら意外

    どうでもいいことについて / 阿部和重「グランドフィナーレ」 - 北小路ゲバ子の恋
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    delayedresolve 2009/05/31
    『孤独な生活のなかにあっても自らに喜びを与えようとした形跡に言いしれぬ感情を憶えた…そのように凡庸な生にあっては、どうでもいいこと、取るに足らないことに喜びを見出していく他ないのだと…』
  • 京都・京阪線沿い - 北小路ゲバ子の恋

    広告代理店が01月05日を年始とするため、その下請けに身をおいた私のそれは06日であった。お陰で帰省先より戻るおり、京都に立ち寄り、毎年05日を開催日とする京都金杯を見るのを行事とすることが出来た。京都駅で押し寿司を買い、京阪電車で とぼとぼと京都競馬場へ。スタンド席にて横書きの馬柱を眺めながら、押し寿司を肴にビールを呑む。この世にこんな幸福があろうかと想うた。 ● 2007.01 中書島(京都市伏見区) 左端は「新地湯」。宇治川が流れ、その周囲に黄桜酒造や月桂冠、寺田屋のあるこの町を西口克己「廓」は舞台とする。 ● 2007.01 橋(京都府八幡市) 旧京街道と大谷川の合間に古い建物が残り並ぶ。 帰り、すなわち京都競馬場から駅までの道程は なんとも夕映えが似合い、明くる日より徹夜続きの生活が再開すると想うと余計にやるせなくなった。そうして京都競馬場の出てくる車谷長吉「三笠山」を想うた。

    京都・京阪線沿い - 北小路ゲバ子の恋
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    delayedresolve 2009/05/31
    『サラ金から借りてようよう集めた50万円を競馬につっ込む。第57回菊花賞。馬券はおろか、スポーツ新聞すら買ったことがない男の最後のあがきであった。枠番連勝1-8に命をかけた…明くる日、一家で奈良のドリー』
  • 電線の町〜千束(1) - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2005.07 千束(東京都台東区) 「道徳などというものは、そうですね、土曜日の午後、発売されたばかりの村上春樹の新著をさっそく読んでいる、そういう余裕のある人たちに任せればいいのだと想いますよ。社会は彼らのものですし、世間とは彼らのことですから」 (杉並区・会社員) 「誤解されない人間など、毒にも薬にもならない。そういう人は、何か人間の条件に於いて、欠けているものがある人だ。」 (小林秀雄「イデオロギイの問題」より) 「もう昭和のものを残さなければなりません。」 (小沢昭一「日遊廓建築残骸大全」 『芸術新潮』1987年6月号) ○ 2003.06〜2006.04 千束(東京都台東区)

    電線の町〜千束(1) - 北小路ゲバ子の恋
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    delayedresolve 2009/05/30
    『「…社会は彼らのものですし、世間とは彼らのことですから」 (杉並区・会社員)』
  • 津田沼 - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2009.05 JR市ヶ谷駅(東京都千代田区) 東京の西の方より、朝、中央線でなしに総武線に乗ってみる。少しでも会社への到着を遅らせたいからで、要するに一時しのぎの現実逃避。10分程度の違いしかないのだが。いや、それ以上の違いがあるか。どのみち東京駅までしか行かれない中央線と違い、総武線は隅田川を越え、荒川を越え、千葉県まで行ける。「津田沼行き」、どんな沼だかは知らないけれども、沼にさえも行ける。そんな総武線ならば、ほんとうに現実から、私という事実から逃避してしまえるかもしれない。 そのようなことを想いながら総武線に乗ってみては、ちゃんと秋葉原で京浜東北線に乗り換える。四の五の言いながらも、結局は踏み外せない。高校も卒業したし、大学も出たし、就職をしもした。働きもしている。これは、無能でありながらも、身の程をわきまえることなく普通であろうとするあまりに、無理した結果に過ぎない。 よくよ

    津田沼 - 北小路ゲバ子の恋
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    delayedresolve 2009/05/22
    『2階の窓辺の席でサンスポのセリーグ打率順位を見る。知らない選手ばかりで、失った時間を想う。』
  • おれinボートピア横浜 くそったれY150 - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2009.05 石川町(神奈川県横浜市中区) 都会で「ユタカ」といったら武豊かも知れんが、山口県で「ユタカ」といったら、そりゃあ、今村豊だろう。 (昔のおれの名言) 夜、横浜で打合せがあり、早めに横浜に行く。"5分前行動"どころじゃないぞ。6時間前着だ。伊東豊雄による みなとみらい線の元町・中華街駅を凝視したいこともあって早めに会社を出たのだが、いくら何でも早過ぎる。となると横浜見物といきたいところだが、休日ということもあってやたらとひとが多く、うんざりするので、ボートピア横浜にいってみることにした。 ボートピア横浜、ひとによってはこの名前からヨットハーバーでも想像するかもしれないが、そんなところに敗残者の私が行くわけがない。これは賭場の名称、3K1オートの一郭である競艇の場外舟券売り場である。 (intermission) 関内関外日記「公営ギャンブル場が福祉に貢献しうるなんてことが

    おれinボートピア横浜 くそったれY150 - 北小路ゲバ子の恋
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    delayedresolve 2009/05/10
    『…とんでもないところだ。やたらと清潔で、警備員が目立ち、カッコーの巣の上でを想い出したくらいだ。管理&監視された場所の何が楽しいというのだ。頭にきた私は、100円たりとも舟券を買わずに立ち去った。』
  • 伊東豊雄による みなとみらい線 元町・中華街駅とわたしの1998年05月 - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2009.05 みなとみらい線 元町・中華街駅(神奈川県横浜市) 98-05-11  浅草お兄さん会vol.8(シアターモリエール)、幕間にRCサクセションの「ソウルメイツ」が流れていた。スピーク☆イージーが最高に面白かった。"ボキャブラー"がおんなこどもにきゃーきゃー言われていた時代、浅草お兄さん会の会場は男の墓場だった。 98-05-15  ユーロスペースのレイトショーにて瀬々敬久「汚れた女」。この時はじめて瀬々の映画を見る。以降ぴあで瀬々のそれを見つけては方々に出かける。瀬々の「赫い情事」は私のいちばん好きな映画であり、「夜、啼く蝉」はいちばん好きな映画の題名である。 98-05-16  ゴッドスピードが京都大障害を圧勝。いつもの5倍のカネを単勝につぎ込んでいた。しかしそれで儲けた銭金は、プリンシパルSでサンプレイスが紙屑に変えてくれた。この後の、京王杯のタイキシャトル、翌日のエ

    伊東豊雄による みなとみらい線 元町・中華街駅とわたしの1998年05月 - 北小路ゲバ子の恋
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    delayedresolve 2009/05/10
    『ゴッドスピードが京都大障害を圧勝。いつもの5倍のカネを単勝につぎ込んでいた。しかしそれで儲けた銭金は、プリンシパルSでサンプレイスが紙屑に変えてくれた。この後の、京王杯のタイキシャトル、翌日のエ…』
  • 夜の砂、六月の記憶 - 北小路ゲバ子の恋

    書くことの目的はまず第一に、愚かな自分の救済だ。  (ブコウスキー「死をポケットに入れて」81頁) ある夜、会社をたたんだ男、それはかつての上司でもあるのだが、誘われて大井にいった。ちょうど御神訓史がやってきた頃のこと。この縁起のよい名字のジョッキーは島根県益田市にある小さな競馬場にいたのだが、そこが廃止となったので大井競馬場に移籍したのである。遅れて到着した私に、男は御神を応援しているんだよと言って、多点買いした馬券を見せる。男が御神の境遇に自分を重ねていたのは言うまでもない。だから私も御神から買いまくった。 御神は馬券に絡めなかった。ああ、はずれましたね。そういって馬券をちぎる私。あっそう、ぼくは馬連とったよ、と男。男は御神以外も買っていたのだ。私は御神からの馬単流しだったというのに。つまるところ、私はお人好しの愚か者である。 その数年前、就職も決まらぬままに大学を出て六

    夜の砂、六月の記憶 - 北小路ゲバ子の恋
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    delayedresolve 2009/04/18
    『"書くことの目的はまず第一に、愚かな自分の救済だ。" (ブコウスキー「死をポケットに入れて」81頁)』/『あっそう、ぼくは馬連とったよ』
  • 秋の福島 4レースでも走りにいくか - 北小路ゲバ子の恋

    何にでもなれる、その可能性があるような気がしていた時代、何になるかは自分の選択だと思っていた時代、時がたってみると、ただそこに追いこまれて、こうしているほかはない自分。 (色川武大「狂人日記」) 競馬場に集まる人の群れは、仮面をはぎ取られた世界であり、敗北に擦り減らされた人生そのものなのだ。最後に勝つ者など誰一人してなく、わたしたちはただ一時的な猶予、眩しい光から逃れる一瞬を追い求めているだけなのだ。 (ブコウスキー「死をポケットに入れて」) 「この『未勝利』って俺達の事じゃね?」 (2ch競馬板「競馬場のオッサン達から聞いた名言集」) ひと昔前、秋の福島は4歳未勝利戦がやたらと組まれていて、まともに予想していると全頭がケシになってしまう、そんな競走だらけであった。どうしようもなく弱い馬同士の争いなもんだから、仕方ない。しかし走る方は、いわば崖っぷち、ここで勝ち上がれないとなると地方競馬へ

    秋の福島 4レースでも走りにいくか - 北小路ゲバ子の恋
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    delayedresolve 2009/04/12
    『今の私は間違いなく秋の福島の未勝利戦を走っている。どうしようもなく敗者であり、終わりが確実に迫りつつある。かなしい話だ。』
  • 神奈川県 - 北小路ゲバ子の恋

    なにか書きたいことがあって、しかしそれをそのまま書くのはつらかったり、リアルバレしそうだという際には、嘘まみれのなかに「書きたいこと」を紛れ込ませばよいに違いない。読む方にしても、その方が読み易いだろう。 たとえば、である。ブログエントリに「井の頭線と京王線とが交差する附近の学校に通っていた頃」と書いてあれば、そこでは明治大学の学生か中退者か卒業者になる。一方で3月にはじまったと記憶するMyはてなの「プロフィール」の項目に「学校」があるが、ここに明治大学と書き込めば、そのID主は明治大学の学生が中退者か卒業者になる。 で、前者の事例と後者のそれでは、同じようでありながら、違うだろう。(ここで一行目に戻ろうか) ブックマークなりブログなりにて、えんえんとそれらを読むうちに、すこしづつ、ぼんやりとそのIDの素性が知れてくるのに面白みを憶える。すこしづつ、ぼんやりと。あるいは男だと想っていたID

    神奈川県 - 北小路ゲバ子の恋
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    delayedresolve 2009/04/11
    『なにか書きたいことがあって、しかしそれをそのまま書くのはつらかったり、リアルバレしそうだという際には、嘘まみれのなかに「書きたいこと」を紛れ込ませばよいに違いない。読む方にしても、その方が読み易…』
  • 安コーヒー屋でブコウスキーを読みながら、「ヒッチャー」のジェニファー・ジェイソン・リーを想い出す。 - 北小路ゲバ子の恋

    *1 なんとかかんとかed by 関内関外日記「『死をポケットに入れて』チャールズ・ブコウスキー/中川五郎訳」(2005-08-09) ←のリンクこそ、このエントリのすべてである。以下に書かれるものは、まったくの余談に過ぎない。 みじめったらしい部屋で読むのも何だしなと、ブコウスキーの「死をポケットに入れて」をわしづかみにして、サンマルクカフェに入る。私の中では色川武大「狂人日記」と並ぶものになるかもしれない。そんな書籍を読むのだから、タリーズに行ってもいいくらいだ。 河出文庫を買ったのはいつ以来であろうか。背のデザインが変な黄色になってからは初めてのはず。以前の白の"ぬめっ"としたカバーは好きだったのだが。松浦理英子の小説には、あの"ぬめっ"としたカバーがほんとうによく似合っていたじゃないか。 はじめて買った河出文庫は何だったかといえば、「ブルックリン最終出口」。著者の名前はなんど目にし

    安コーヒー屋でブコウスキーを読みながら、「ヒッチャー」のジェニファー・ジェイソン・リーを想い出す。 - 北小路ゲバ子の恋
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/03/09
    『ブコウスキーの「死をポケットに入れて」をわしづかみにして、サンマルクカフェに入る。私の中では色川武大「狂人日記」と並ぶものになるかもしれない。』決めた。
  • 群衆の中の孤独〜澁澤龍彦 - 北小路ゲバ子の恋

    私大生の頃、水道橋ウインズA館の8階にほぼ毎週土日 通っていたのだが、そうこうするうちに顔見知りの年増女が出来て、ある日その年増女にお辞儀までされたことがある。やばいと想うた。どんだけおれはウインズに馴染んでいるんだよ…と。他に「トータライザー」*1を読み込んでいる女や、いつも階段に腰掛けて自作の馬柱を見ている若者もいたりした。彼らは彼らで私のことをどう想うていたのだろう。 関内関外日記さん方のエントリ「幻の名競馬エッセイスト」(04-09-22)に「自分の知る限り、澁澤が競馬をメーン・テーマとした随筆は一つしかない。『群衆の中の孤独』だ」とあり、さっそく澁澤龍彦のそれを読む。初出は「朝日ジャーナル」(1966-01-16号)で、上述ブログにあるように少年時代の想い出を綴り、それに続けて競馬についてパスカルやホイジンガーを引き合いに続けるも 書いても書いても原稿用紙のマスが埋まらない、そん

    群衆の中の孤独〜澁澤龍彦 - 北小路ゲバ子の恋
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    delayedresolve 2009/02/26
    『内藤は自厩舎の熊ちゃんでなく騎手としての弟弟子にあたる岡部幸雄に乗ってもらいたかった…競走後、岡部が内藤のもとに来て、「先生、僕が乗っていたら、果たして勝てたかどうか…」と唖然としていったという』
  • 蛭子能収「ヘタウマな愛」 - 北小路ゲバ子の恋

    図書館でついつい繰り返し借りてしまう蛭子能収「ヘタウマな愛」、ぐっとくる度の高い書籍である。これは最愛の(なにしろエビスさんは奥さんしか"知らない"のである)を失い、泣きに泣き、死を受け入れ、気持ちの折り合いをつけていく、その道程を書いたもの。エビスさんは御存じの通りのひとであり、お葬式でついつい笑い出してしまうひとである。実の息子を自らの漫画で何度も殺すひとである。(てなエビスさんの人柄については別冊宝島250「トンデモ悪趣味」の根敬の記事などでも探しだして読んでちょ) そんなエビスさんも奥さんが心肺停止で病院に運ばれてからは、ひたすら泣く。書はそんな01年8月の日記形式の文章と、横尾忠則にあこがれ長崎を出て、東京で奥さんと同棲し、「ガロ」に原稿が載ってお祝いに豚肉入りのカレーを夫婦でべ、その他なんやかんやの日々をつづった、すなわちエビスさんの半生記、その構成となっている。

    蛭子能収「ヘタウマな愛」 - 北小路ゲバ子の恋
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    delayedresolve 2009/02/26
    [life]『8月5日、平和島競艇場で遊ぶエビスさんのケータイがなり、奥さんが倒れたと知らされる。その2日後の8月7日に死去。』
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