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失言が許されるひと|ガジェット通信 GetNews
息子と一緒にお風呂に入りながら考えた。 我々が誰かを嫌いになるとき、たいていはその人物に対する評価... 息子と一緒にお風呂に入りながら考えた。 我々が誰かを嫌いになるとき、たいていはその人物に対する評価軸を我々は一つしか持たない。たとえば、「口が悪い」とか「ケチだ」とかそんな感じだ。ところが、口が悪い思っていたその人物に、実は結構優しい一面があることを発見したりすると、相手に対する評価が大きく変わることが多い。評価軸が二つになることで、その人物に対する好意が増すわけだ。 だから、我々がある人物を“嫌いでいたいとき”“嫌いでなくてはならないとき”、我々はその相手に対して複数の評価軸を適用することを拒否し、ある一面でもってのみその人を判断しようとする。嫌いな側面以外を見ないように一生懸命になったりもする。 もちろん、あらゆる評価軸から見て、その人物が駄目だという評価が下されることもありうるだろう。が、普通にであればそういうケースはまれで、人間、どこかしらにいいところがあるのではないかと思う。 話
2011/07/20 リンク