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2020年1月9日のブックマーク (3件)

  • ドキュマン/ジョルジュ・バタイユ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    2020年。新しいディケイドのはじまりの1冊は、大好きなバタイユの『ドキュマン』にした。そして、noteもここから書きはじめることにする。 いや、実は迷って選んでというよりは、あまり考えずに手にとったのが『ドキュマン』だったという方が良い。 しいて言えば、2019年最後に読み終えたアガンベンのに『ドキュマン』への言及があったからだろう。 というわけで『ドキュマン』だ。 このは、若きバタイユが1929年と30年の2年間主宰し刊行していた同名の雑誌に彼自身が執筆した文章を集めたものだ。 『ドキュマン』の創刊号に「学説、考古学、美術、民族誌」と書かれていたというが、そのとおり、や美術作品、演劇作品、美術展などへの批評もあれば、人類学や民族誌についてのものもあれば、古代や中世の歴史に目を向けたものあったりと、領域横断的な知が召喚され、広範囲にわたるバタイユの思考の展開に出会うことができる。

    ドキュマン/ジョルジュ・バタイユ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    gitanez
    gitanez 2020/01/09
  • 道化と笏杖/ウィリアム・ウィルフォード|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    ファクトは実は疑わしい。 いつも疑問視しているカントの物自体をここで持ちだすのもなんだが、物自体に近づくことができないとされる人間が何故ファクトが意味するものを相手にできるのだろう。時間さえ人間の認識力ゆえに存在しているだけの不確かなものだというのに、何故人間である僕らがファクトを扱えると考えるのか。 数値化されたデータを元に何かを理解すること、それがファクトを扱っていることになると考えるなら、あんまりだ。属人的な認識に頼ることを回避するという意味でなら客観的ではあるが、果たして、それはファクトを扱って言えるのかという問いが何故発せられないのだろう。 もちろん、データを元に思考すること自体を否定しないし、その有用性も大事さもわかる。 けれど、それもまた1つの人間的な見方でしかなく、事実そのものを表しているものではないことにはもっと自覚的であってよいと思うのだ。数値化されたデータが、非人間的

    道化と笏杖/ウィリアム・ウィルフォード|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    gitanez
    gitanez 2020/01/09
  • 2019年に読んだ30冊の本|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    個人的に、2019年は読書の当たり年だったように思う。 今年はいままでにも増して雑多な感じで、自分自身の興味関心の赴くまま、いろんな分野のを読んだのだけど、それが良かったみたい。 ジャンルも、書かれた時代も、書かれた文脈もバラバラでも、僕自身の視点によってそうしたバラバラのたちが大きく4つくらいの塊に縒り合わされて、僕の内に確かな知的感触を与えてくれた。 今回は、その4つの塊ごとに、今年の読書体験を振り返りつつ、読んだから30冊(正確には2冊のシリーズものもあるので31冊)をあらためて紹介しつつ、僕なりの2019年の振り返りとしたい。最初から長くなるのを覚悟して書き進めようと思うし、どこから読んでもいいように書こうと思うので、気になるところをピックアップして読んでもらえれば幸いだ。 時間とかたち1.時間は存在しない/カルロ・ロヴェッリ 過去と未来が違うのは、ひとえにこの世界を見ている

    2019年に読んだ30冊の本|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    gitanez
    gitanez 2020/01/09