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good jobに関するheis101のブックマーク (31)

  • 『バッタを倒しにアフリカへ』行き、必殺技を見つけてきました - 砂漠のリアルムシキング

    皆さまがお元気であることを信じてやまない2021年の秋。 今回、久しぶりのブログのため、力が入っており、めちゃ長です。 全部読むのに12分はかかるので、心してお読みくださいませ。 吉報です。 長い修行の末、とうとうバッタを退治する必殺技を編み出しました! (殴っているフリです。植物を痛めつけるようなことはしておりません) 私の正拳突きでも愛するバッタを叩き潰すことは可能ですが、彼らは空を飛ぶため、私のこぶしは彼らに届きません。 そこで、彼らの繁殖行動を研究し、その習性を逆手に取って、バッタをやっつけ放題になる状況を突き止めました。 研究内容に触れる前に、まずは今回の研究を実行するための私の心構えを先に説明いたします。 私は今、婚活中で、異性との出会いに大変興味があります。 出会うだけではダメです。相手に気に入ってもらい、そして私も相手を気に入るという、マッチングも望んでいます。 さらに、ゆ

    『バッタを倒しにアフリカへ』行き、必殺技を見つけてきました - 砂漠のリアルムシキング
  • 吉岡忍さん「なぜ、彼は人を殺したのか」|平成 -次代への道標|NHK NEWS WEB

    東京・埼玉幼女連続誘拐殺人事件に、神戸児童連続殺傷事件、そして秋葉原通り魔事件…。ノンフィクション作家の吉岡忍さんは、昭和から平成にかけて数多くの事件現場を取材してきた。吉岡さんがこだわってきたのが「加害者の取材」。理解しにくい存在を排除せず、知ろうとすることが、時代を、社会を知ることにつながるという。吉岡さんに「事件から見た平成の30年間」について語ってもらった。(聞き手:ネットワーク報道部記者 高橋大地) ――平成という時代をひとことで表すと、どのような時代でしたでしょうか。 平成の時代というのはいろんな事件、嫌な事件が多いですけれども、被害者ではなくて加害者のほうばかりと言ってもいいくらいに、加害者側を僕は取材してきたんですね。彼らがどんな子ども時代を過ごし、どんな友達関係があって、そしてなぜ犯行に至ったのか、というプロセスを取材してくると気がついたことがいくつかあって、その1つが「

    吉岡忍さん「なぜ、彼は人を殺したのか」|平成 -次代への道標|NHK NEWS WEB
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    heis101 2019/06/01
    歴史の蒸発
  • 毒親を想定しない制度の多さ - Tritamaブログ

    1、はじめに t-ritama.hatenablog.com この記事は「私が休学を決めるまで」の記事の既読を前提と書かれている。よって、その既読を前提とした文章構成となっているので、初めましての方はまず上記リンクから記事を読んでいただきたい。 この「私が休学を決めるまで」の記事の公開において一番反響が多かったのは毒親の存在を想定していない日社会の制度について言及する声であった。という私も、「毒親」という言葉の存在をこの反響によって知り、調べてほーなるほどなあと納得した。 毒親(どくおや、英:toxic parents)とは、児童虐待などで一種の毒のような影響を子供に与える親のこと。母の場合は毒母(どくはは、どくぼ)、毒ママ(どくママ)[1]と称される。また、父の場合は毒父(どくちち、どくふ)、毒パパ(どくパパ)と称される。毒母の別名として、モラ母(モラはは)[2]と称されることもある。

    毒親を想定しない制度の多さ - Tritamaブログ
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    heis101 2016/08/21
    喫緊の課題
  • 弁護士会の読書:中流社会を捨てた国

    著者 ポリー・トインビー、デイヴィッド・ウォーカー、 出版 東洋経済新報社 イギリスについて書かれたです。初めにイギリスの富裕層の暮らしぶりの一端が紹介されます。 3675万円の時計、94万円のショール、60万円のバッグなどの広告が富裕層向けの新聞広告にあるそうです。買う人がいるわけです。 1997年に労働党が政権についてから、上位10%のもつ個人資産が全体に占める割合は、47%から54%に増えた。 イギリスとアメリカでは、親が裕福だと子どもも裕福になる傾向にある。 1979年、サッチャー政権は誕生すると同時に、所得税の最高税率を83%から60%へ引き下げた。1988年にはさらに40%へ下げられた。 イギリスの億万長者54人の資産合計は18兆9000億円であるのにもかかわらず、所得税として納めたのは、わずか22億円ほどでしかない。うち32人は所得税をまったく納めていない。高額所得者たちに

    弁護士会の読書:中流社会を捨てた国
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    heis101 2016/08/11
    「3歳の時点で、専門職家庭の子どもは肯定的な言葉を70万回、否定的な言葉は8万回。福祉家庭の子は6万回、12万回」「3歳児の到達度が9歳から10歳にかけての状況をきわめて正確に予言している」
  • 日経xwoman:doors 20代からのキャリアとライフ:日経xwoman:日経xwoman

    「もう40歳、嫌われてもいい」総務省→ベンチャーへ…覚悟の先に NEW キャリア 2024.07.22

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  • 「健康で文化的な最低限度の生活」に必要なのは、カネやモノだけなのか - シロクマの屑籠

    中学校の公民の授業で、「健康で文化的な最低限度の生活」について習ったのを覚えている。生存権とか、あのへんの話だ。日国憲法では「健康で文化的な最低限度の生活」が保障されていて、過去には裁判で争われたこともあった、という。 現在も、生活保護やベーシックインカムに関する方面などで「健康で文化的な最低限度の生活」を維持するために何をどこまで支給すれば良いのか、議論が行われている。例えば携帯電話やスマートフォンが普及した現代において、それら無しの生活を「最低限度の生活」と言ってしまって構わないのか、等々。確かに、通信機器は石鹸やテレビと同じぐらい生活必需品になっているのかもしれない。 ところで、「最低限度の生活」というやつは、携帯電話やスマートフォンといったモノさえあれば成立するものなのだろうか?つまり、「最低限度の生活」に必要なのは、カネやモノだけなのか。 「最低限度の生活」のための判断力 そん

    「健康で文化的な最低限度の生活」に必要なのは、カネやモノだけなのか - シロクマの屑籠
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    heis101 2012/09/29
    「「最低限度の生活」を維持・成立させるためには、カネやモノだけでは足りない。全く足りない。カネやモノも必要だが、それをマネジメントし、リスクや危険から身を守るための判断力も必要になる。」
  • "叩いて構わない奴はとことん叩く"空気と、いじめの共通点 - シロクマの屑籠

    ネットを眺めていてふと気付いた。 現在、日のメディア上では、ネットであれテレビであれ「バッシングを公認されるような過失・落度のある相手は、どれだけ叩いても構わない。その際、相手がどうなるかは配慮しなくて構わない。それが社会だ」という風景がリピート再生されている。なにか不祥事や事故があったら、法的責任が問われるだけでなく、責任者は罵倒され、土下座させられる。法的責任を追求するのとは別に、“感情を納得させる”ために罵倒すること・土下座させることを、社会正義とみなすような空気ができあがっている。もちろん、そうした罵倒や土下座に警察が口出しをすることはないし、マスメディアも何わぬ顔で報道する*1。バッシングが公認される大義名分がある限り、責任者が唾を吐きかけられてもしようがないよねー、という不文律ができているらしい。 インターネット上での“炎上”も似ている。失言・過失・違法行為があったと判明し

    "叩いて構わない奴はとことん叩く"空気と、いじめの共通点 - シロクマの屑籠
  • 文字は学習の基本 - 考えるのが好きだった

    たぶん、ここ十年くらいだと思うが、文字の指導がいい加減になっているように思う。ひらがなカタカナ、アルファベットの全部がそうだ。微妙な形の違いや書き順などの指導がうまく行われていない。だから、変な形で書く、筆順はむちゃくちゃ。 で、「理解のある人」は言う。「文字が区別が付けば良い」「細かい区別に無駄な労力を使うより、他にやるべきことがある。」←たぶんね。 しかし、生徒を見ると、文字の形がいい加減な生徒は、概して、できない。例外的な生徒がいないと言わない。しかし、統計的に言えば、おそらく、いい加減にしか文字が書けない生徒は、勉強ができない。 たぶん、形をとらえて書く、という脳への入出力の能力の問題だと思う。長い短い、どのあたりで、どれくらいの割合で曲げて書くか、方向がどうであるかなど、言ってみれば、図形をどのように認識するかと同義だ。これができなければ、数学はできない。文字の学習を通して、子ど

    文字は学習の基本 - 考えるのが好きだった
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    heis101 2011/07/04
    剣道がオリンピックの種目にならない理由と重なる。「生徒の能力の向上を目的とするのではなく、Aさん、Bさんの能力を「誰でにも明確にわかるように序列化すること」を目的とするからそうなる。」
  • 天才とは何だ?〜ブラームス型凡楽のすすめ - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    以前、とあるクラシックの音楽番組からブラームスについての取材を受けたことがある。開口一番「ブラームスはどんなところが天才なんでしょうか?」と聞かれたので、言下に「いや、彼は天才じゃないでしょう」と応えたところ、「・・・・・」。 取材はボツになった。 どうやら番組としては・・・ブラームスは「保守的」な作曲家というイメージがあるが、実は「こんなに斬新」で「こんなに画期的」なことをやっていたんです・・・というような指摘とコメントが欲しかったらしいのだが、私の意見は全く逆。 ブラームスは「保守的で」「新しいことをやらない」「才能のない作曲家」なのに、現代に至る〈クラシック音楽〉の基礎を作った。そこが凄いのだ。 そもそも、昔から「天才」という言い方はどうも違和感がある。人のプラス部分をなんでも「天才」と一括りにしてしまうのは、マイナス部分を何でもかんでも「気違い」と一括りにしてしまうのと同じで「思考

    天才とは何だ?〜ブラームス型凡楽のすすめ - 月刊クラシック音楽探偵事務所
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    私、餡子のためなら逆立ちだってしますよ。 こじらせている。 べたいと思ったらべたいのである。 ここが北カリフォルニアの片田舎であろうと、私があんみつがべたいと思えば、あんみつは今すぐ作ってべなくてはいけないものになる。いしん坊の思考は凄まじい。 子供が観ていたアニメで、赤ちゃんが空の…

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    heis101 2010/07/08
    「「見て」「自分の行動に反映する」この二者のあいだが、なんらかの理由で断絶している。」「なんでもいいから定期的に売場を見て、いま店内のどこに何人くらいの客がいるのか把握しろ、ということを強制した」
  • むかつく人のこと - レジデント初期研修用資料

    自分の人間性に問題があると言われれば、これはもうそのとおりとしか言いようがないんだけれど、 いろんな人と喋ったり、何かをお願いする機会があって、「この人は使える」なんて感じる人と、 話していてもなんだか暑苦しいというか、「この人は使えないな」なんて感じる人とが明らかにいる。 誰かの評判が、医局で話題になることは滅多にないんだけれど、その人の使える、使えないという感覚は、 他の先生がたを見ていても、ある程度共通しているように思えて、その感覚は一応、 個人的な好き嫌いとは、異なっている気がする。 恐らくはたぶん、その人の「使える度」というものは、仕事の成果だとか、成功率なんかとは、事実上無関係なのだと思う。 どうしたってバイアスがかかる 当直をするときには、いろんな職種の人と一緒に泊まることになる。ものすごく気がつく人もいれば、 何かをお願いして、けっこうな確率でそれを忘れてしまう人もいる。

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    heis101 2010/06/06
    「お金を支払っても、空っぽのトレイが会計台に置かれている限り、お客さんには「自分のタスクがまだ継続している」というメッセージが伝わるから、あのトレイは、お互いずれを防ぐ役に立っている。」
  • 自我は肥大しているか - M17星雲の光と影:楽天ブログ

    2006.06.09 自我は肥大しているか (7) カテゴリ:その他 「自我肥大症の患者が増えている。他人のことはいっさい目に入らず、利己心の命ずるままに行動し、知り合い以外はみな風景というような目つきで街中を歩いている人々が多い。実に嘆かわしいことである」というような発言をよく耳にする。まあ、たしかに私自身そう感じることがないわけでもないし、以前にそれに近いことをこのブログに書いたことがあったかもしれない(よく覚えてないけど)。でもこういうあまりにもわかりやすすぎる話には少し警戒心をもったほうがいいのではないかという気がする。 たとえば、今、電車に乗っているとする。駅にとまり、座席に座っていた人が一人立ち上がって降りていく。その近くには杖をついたおばあさんが立っている。その空席目指して、就職活動中とおぼしきスーツを着た若い女性が突進してきて、どっこらしょっと腰をおろし、さっそく携帯メール

    自我は肥大しているか - M17星雲の光と影:楽天ブログ
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    heis101 2010/01/30
    「第一、自分で自分に与えることのできる快楽などたかが知れているではないか。より大きな快楽や利益を受けようと思ったら、他者に働きかけ、他者からそれを与えてもらうしかない。そうではないだろうか。」
  • ノーブレス・オブリージュについて | 安敦誌

    語で言うと、「品格」騒動の内容に近いのだと思う。品格というのは、格に見合った品の良さというようなものであって、まず大前提に「格」がなければならない。ノーブレス・オブリージュ、高貴さゆえの義務を期待するならば、まずは高貴さを保証しなくてはならない。ノーブルでないところにオブリージュに見合う精神は育たない。 横綱朝青龍に横綱としての品格を要求する声が上がっていたが、その品格を要求する側の一部に見られた品のなさが目に余った。なぜ横綱に品格が求められるのかというと、歴史を持った横綱という格に対する、人々が持つ無条件の敬意があるからだ。個人的品位が高いから横綱が尊敬されるのではなく、まず人々が横綱という格に対して無条件に尊敬する態度を見せるから、そういう格に置かれた個人は、否応なく格にふさわしい品位を持たざるを得ないところまで追い詰められる。これが品格というものだろう。 横綱という格から降りたと

  • ひとつの夢を追い求めない生き方

    Ricoh GX100 / Shibuya / Tokyo. 「ひとつの夢を追いかけている人は美しい!」「なにかを極めた人は素敵!」「黙々と自分の仕事に打ち込んでいる職人は格好いい!」という奇妙な宗教が社会にはびこっている。多くの人は、「ひとつの夢」幻想に苦しめられている。「将来何になりたいですか?」と訊かれ、当たり障りのない答えをはにかみながら返すものの、「ひとつに絞りきれねーよ知るかボケ!」と、内心では憂な思いを抱えていたりする。自分だってもちろんそうだ。10日くらい前に爆発的に話題になっていた美しいエントリー”「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法”は、そのことを見事に指摘していた(超オススメなのでぜひ読んでみてください)。だが、その文章では、ある大事な点が見落とされていた。 まず、簡潔にその文章の内容をまとめておこう。人は瞬間ごとに多様な興味を持ち、色々なことをやりたくな

    ひとつの夢を追い求めない生き方
    heis101
    heis101 2009/12/01
    「社会が専門分化すればするほど<わたし>は他者に依存し、<わたし>は誰かにとって必要な存在となってしまう」「分裂的な生き方を肯定する者は、その痛みと罪を全身に背負いながら日々を刻んでいく必要がある」
  • しつこい「なぜ」への対処法、理由は自分の都合で十分 - ろば日誌 アラビア語とエジプトとニュース

    元「エジプト アラビア語語学留学ブログ」。翻訳と留学記録・旅行記、イスラーム関連のメモ سبحان الله وبحمده سبحان الله العظيم 昼にF先生の授業。フスハーで、前半は描写の多い難しめの文章、後半は新聞を読む。まだ二回目ですが、少し先生のリード力が欠け、こちらが気を使う必要があります。逆に「何でも支配しよう」という強引さがなく、気楽と言えば気楽です。 授業後、夕方までカフェで新聞を読む。 その途中、以前に一度だけ声をかけてきて、その後何度か電話を貰っていたものの完全スルーしていたH氏にバッタリ会う。 要するにこの人は日人と結婚してVISAが欲しいだけのようなのですが、それがどうして拒否されるのか、全然理解できないようです。 人間的には別に悪い人ではないと思うのですが、「何を言っても無駄なんやろうなぁ」と遠い目になります。この人に限らず、こういう「話甲斐のなさ」

  • Logical Sebastian : 失われた伝統は永遠に戻らない

    2009年07月02日15:06 カテゴリ詮無い事(4) 失われた伝統は永遠に戻らない 農民の子孫が武士道を語るな。 とまでは言いませんけど。 古き良き日の伝統が失われている、とか、誇りを取り戻せば日は救われる、みたいな言説は、お話としては美しいかも知れないけど非現実的です。 そういうものを、平等なこの世の中で実現しようと思っても、中身の伴わない、偏狭なナショナリズムに陥るのが落ち。 そしたら、知識人さんたちは、もっと世界に開かれた自由な国を、とか言い出すに決まっているのです。 権利には義務が伴う、とはよく言われることですが。 美風は義務によって生み出される、とも言えるのではないかな、と思うのです。 貴族階級、日で言えば武士であることには、権利と共に様々な義務が伴います。 ノーブレス・オブリージュってやつですね。 そして、美風というものはその義務を果たすためにあるのではないか、と私は

    heis101
    heis101 2009/07/02
    「農民の子孫が武士道を語るな。とまでは言いませんけど。」←これ、時々思う。というより、昔から引っかかってた。/「美風は義務によって生み出される」
  • 個人の狂気を見い出すフィルタリングシステム:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点

    映画は風景を描く 世界を代表する三つの国の映画産業――アメリカ映画とフランス映画、そして日映画の違いって何だろうか? そういう問題提起がある。 観点はさまざまにあるから単純化しすぎるのは危険かもしれないが、こういうひとつの切り口がある。「アメリカ映画は物語を描き、フランス映画は人間関係を描き、日映画は風景を描く」。ハリウッド映画は完璧なプロットの世界で、物語という構造を徹底的に鍛え抜いて作り上げ、導入部からラストシーンまで破綻なく一道を走り抜けられるように構成されている。 フランス映画の中心的なテーマは、関係性だ。夫婦、父と子、男と愛人、友人。そこに生まれる愛惜と憎悪をともに描くことによって、人間社会の重層性を浮かび上がらせる。 日映画は、風景を描く。自然の風景という意味ではない。目の前に起きているさまざまな社会問題や人間関係の葛藤、他人の苦しみ、さらには自分の痛み。われわれに

    個人の狂気を見い出すフィルタリングシステム:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点
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    heis101 2009/06/11
    「米国映画と仏映画、日本映画の違い。仏→関係性。日本→(コミットしきれない所与のものとしての)風景。冷笑的で傍観者的な立ち位置。米→(構造をつくりだす)西部劇性」/sub-cultureがmain-culture化しない理由。
  • 日本語の実力その2】日本語なしには成り立たない現代中国語 - Suzacu Late Show

    もっと評価されるべき日語の実力シリーズの第2回。今回は現代中国語が日起源の和製漢語なしには成り立たないというお話。やや硬い内容なので興味のある方はどうぞ。 漢字の特徴の一つとして高い造語能力があげられる。ところが歴史を見てみると漢字の造語能力を存分に活用した事例は意外に少ない。伝統的中国語(漢文)においては漢字一文字で一つの概念や事柄を表すのが普通で、二文字以上の熟語は実はそれほど多くない。そのため中国では思想活動の活発だった春秋戦国時代(紀元前770-前221年)と仏教用語を翻訳するときに二文字以上の新語を多く造りだした程度である。漢字の高い造語能力は近代に至るまでかなり低レベルでしか活用されてこなかった。 ベトナムや韓国はもっぱら中国式の漢文を忠実に受け入れてその枠の外に出ることはほとんどなかった。韓国独自の造語もあることはあるのだがその数は少ない。 日はまったくの例外である。漢

  • 経済学の「科学性」について : ECONO斬り!!

    経済学者 | 安田洋祐(やすだようすけ) のブログ。久々にデザインを変更しました!(2016年1月28日) 追記アリ(24日1時30分) 先日『天才竹内教授はかく語りぬ』でご紹介した『統計学と経済学のあいだ』竹内啓(1977年)から、今度は第4章の「経済学の科学性について」の一部を引用させて頂きます。前回の記事と合わせてお楽しみ頂ければ、と思います。(前回の第1章は書下ろし原稿でしたが、今回の第4章は『現代思想』1977年4月号からの転載とのことです。) 理論と現実 「科学」というものの質的な性格の一つは、いかなる理論体系もいわば仮のものtentativeであって、必ず後の発展によってのり越えられるということである。ニュートン力学などの場合には、その正しさは200年間全く疑われることなく、現在でもその有用性は失われていないけれども、そういう意味で、ほとんど「真理」といってもよいほどのもの

    経済学の「科学性」について : ECONO斬り!!
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    heis101 2009/05/25
    竹内先生の文章すばらしい
  • 「グダグダ」駆動型の問題解決手法 - レジデント初期研修用資料

    厚生労働省が、まだ感染の拡大を阻止する時期だ、なんていう立場を崩していない中、大阪と神戸の人たちは、もう感染は蔓延しているから、発熱外来に患者さんを集中させても意味がない、という認識を表明して、「蔓延期」のやりかたに舵を切った。 恐らくこれからは、全ての一般病院で通常の診察が始まって、タミフルだとか、検査キットだとか、今まで派遣のレベルで流通を止めていた道具が解禁されて、あのエリアは落ち着いていく。 このままお話しが弱毒のまま進む、という前提が崩れない限り、あの人たちがやろうとしていること、あるいは、大阪の橋府知事が最初から言っていたような、「そんなに重たく考えるの止めようよ」という立場が正しくて、そっちのほうがお金がかからないから、他の県もこれから、神戸や大阪に続くんだろう。 ぐだぐだではあったけれど、結果として日は、だいたい1週間ぐらいの経過で、それでも世界レベルの、常識的なやりか

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    heis101 2009/05/21
    「グダグダ駆動の問題解決は、案外ありなんじゃないか」「上司の役割は、だから「無能な上司それ自体が有事」という空気を作りだすこと」「限界はあるだろうけれど、日本には、こういうのがあってるような気がする」