温泉リゾート尾久 大正から昭和にかけての荒川区は一種の温泉リゾート地だった。始まりは「寺の湯」。1914年(大正3年)に尾久・宮ノ前の碩運寺住職の松岡大機が、尾久村一帯の水が焼酎の製造に適すると考えて、衛生試験場に依頼して水質検査をしてもらったところ、ラジウムが含まれていることが判明したため、温泉を開くことにしたのである。その「寺の湯」が人気を得て、のちに新築され「不老閣」と名を変えた。その後、宮ノ前には保生館、大河亭、小泉園などの料亭付き温泉旅館が開業。尾久は温泉街のようになった。 しかし、温泉と料理はあるが女性がいないということで、1922年、芸妓屋と料理屋からなる二業組合の指定を警視庁から受け、その後、待合茶屋も加えた三業地となった。 その尾久三業地の旅館・満佐喜で二・二六事件と同じ1936年の5月20日に発生し、日本中の話題をさらったのが阿部定事件だった。芸者の女が惚れた男の局所を
