★筆者(写真左下)身長175㎝から推定し高さ7.5~8mほどの津波大石(つなみうふいし・石垣島・大浜崎原公園・推定重量700トン) 津波によって海中にあったおびただしい数の大石が陸に打ち上げられている。その最大のものが大浜崎原公園の西北隅にある津波大石で、表面にはみどり石、テーブルサンゴなどサンゴ礁に寄生生物跡が残されている。(一部で明和大津波で打ち上げられたものと伝承されているが、最近の研究では約2000年ほど前の津波で打ち上げられたのではないかと推定されている。) ★日本最悪・最大85.4m(弐拾八丈弐尺)の津波 1771年4月24日(明和8年3月10日)午前8時ごろ、沖縄県石垣島南東沖約40Km(北緯24.0度、東経124.3度)を震源とするマグニチュード7.4の地震が発生。地震の揺れによる被害は一部の建物や石垣が崩れるなどの被害はあったが比較的軽微であった。しかし、この地震によって
碑文 故大川常吉氏之碑 関東大震災当時流言蜚語により激高した一部 暴民が鶴見に住む朝鮮人を虐殺しようとする 危機に際し当時の鶴見警察署長故大川常吉は 死を賭してその非を強く戒め三百余名の生命 を救護した事は誠に美徳である故私たちはここに 故人の冥福を祈りその徳を永久に讚揚する 一九五三年三月二十一日 在日朝鮮統一民主戦線 鶴見委員会 大川常吉氏の研究をされていて東漸寺(とうぜんじ)近くに住む「鶴見歴史の会」の林 正巳氏(85歳)にお話を伺った。そのときいただいた資料や内務省の震災誌等から石碑のいわれをたどる。 「この石碑は関東大震災から30年目に建てられたものです。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災は、10万人以上の死者・行方不明者を出したが、もう一つの悲劇はデマににより引き起こされた朝鮮人虐殺事件であった。このデマは『朝鮮人が婦女を犯し、井戸に毒物を投入した』などというもので、
★山村武彦の津波防災3か条 ★第1条「津波・洪水逃げるが勝ち!健常者は駆け足で、津波が来るぞーと叫びつつ」 地震の揺れを感じたとき、緊急地震速報を見たり聞いたりしたとき、海岸周辺や海岸近くの河川周辺にいたら、津波警報と思って1秒でも早く、1mでも高い高台に避難することです。誰かに言われて避難するのではなく、防災訓練と思って自分が最初の逃げる人になるつもりで避難を開始してください。 津波や洪水は「早期避難に勝る対策無し」「津波や洪水は逃げるが勝ち」です。小さな揺れだからといって油断せず、ラジオやテレビで情報を確認してください。明治三陸地震津波のときは「震度3」の小さな揺れでしたが、その30分後に大津波が襲ってきて2万人以上が犠牲になりました。地震後、大声で「津波が来るぞー、早く逃げろー」と大声を上げながら駆け足で逃げてください。人は誰かが逃げるとつられて逃げるものです。あなたの声が「津波警報
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く