焼け野原から日本最大の繁華街に成長 歌舞伎町は戦後の焼け野原から始まっている。 戦前、現在の歌舞伎町は角筈つのはず一丁目という地名だった。古地図はいまも鬼王神社に飾られている。 焼け野原となった戦後、当時の町会長が角筈一丁目に歌舞伎劇場をつくって、娯楽地域として復興しようと計画した。角筈という地名から娯楽地域はイメージしづらい。町会長の提案で町名変更が検討され、1948(昭和23)年、予定されていた歌舞伎劇場にちなんで「歌舞伎町」と町名変更がされている。 戦後にヤクザが仕切るヤミ市が生まれたのは、新宿が最初だといわれている。新宿西口一帯、南口周辺に露店が集まってヤミ市マーケットが形成された。しかし、GHQ(連合国軍総司令部)から1950(昭和25)年3月末までの撤去を命令されて、多くの露天商や台湾人は歌舞伎町に移ったという。 昭和30年代に日本最大の繁華街となった歌舞伎町は、娯楽地域として