まだ、10km。サイコンが壊れたのかと思う。いくら漕いだのかという気になる。いっこうにスピードは出ない。歩いたほうがまだ速いんじゃないかと思う。いくら脚を回そうとも体に熱は入らず、圧倒的に冷えていく。まったくうんざりしてしまう。今日みたいな日は、自転車を漕いでどこかに行くべきではないのだ。いや、そもそも月曜日の今日、なんで俺は自転車を漕いで16号を走っているのか? 旭区のどこか、マンションに併設された小さな公園に自転車を停める。過去、少なくとも三回はここに停まったことがある。iPhoneを取り出して、Safariの検索欄に「カレンダー」と打ち込む。祝日だった。いっそのこと、踵を返したいくらいだ。 背中のすばらしいドイタートランスアルパイン25から予備の手袋と100円ショップで買ったフリースのネックウォーマーを取り出して装備する。ヘルメット、サングラス、鼻まで隠したフリース、三番アイアンでも
泉太郎・遠藤一郎・遠藤利克・水谷一 Taro Izumi / Ichiro Endo / Toshikatsu Endo / Hajime Mizutani Opening Reception: Saturday, January 15, 18:00- island / アイランド 12:00-20:00 Closed on Tue. and Wed. 〒277-0024 千葉県柏市若葉町3-3 Tel: 047-170-2404 Access / Map→ DM(3.8MB)→ プレスリリース(984KB)→ このたび、island ATRIUMにて、美術家・水谷一企画による展覧会『暴力と宇宙』を開催致します。企画者の水谷一(b.1976)は、人間を自然物の一つと捉えながら、人(芸術)と世界の原初的な風景を“雨上がりの満月の夜のように”と形容し、希求して来たアーティストです
早稲田大学非常勤講師X氏の給与明細。コマ数は週二回。一コマ当たり一日90分で、報酬は一コマごとに月3万100円(90分当たり7525円)。交通費に当たる出校手当を含めると報酬は月6万6200円 博士号を取得し、専任の教授と同じように講義しても、年収250万円ほどで研究費・出張費も自腹、社会保障もない劣悪な待遇で暮らす人たち。それが大学の非常勤講師だ。その実態を探るべく当事者を取材し、2010年度早稲田大学文学部の年間トータル講義数と500人強に及ぶ非常勤講師全リストを照合したところ、全2032コマのうち、実に51%が非常勤講師の担当であることが分かった。搾取の上に成り立つ早大は、賃金格差5倍の身分制度を放置する「格差拡大装置」と化している。正規・非正規問題を論じる学者は、まず足もとを改革してから公の場に出てくることだ。(2010年度早大文学部「非常勤講師」講義全リストはエクセルダウンロード
アメリカ人→その場でクレーム 日本人→その場は我慢し帰国しブログで悪口 外人「日本人は静なる爆弾」 1 名前: ぽえみ(チベット自治区):2011/01/16(日) 14:20:21.05 ID:s175zGTa0 その場でクレームつけず、後から悪口ブログ そんな二面性がある日本人の性質。実はこんないい方をされているのをご存知だろうか。 「Silent Bomb」直訳すると「静なる爆弾」。海外で日本人は こう言われているのだそうだ。それも、少々恐れられながら。 どうして日本人は海外でこう評されているのか。ここでちょっと、ご自分が海外旅行に 行った時などを考えて欲しい。ウキウキしながらも不安でいっぱいの海外旅行。 着いてほっとしたいのが宿泊先のホテル。やっと落ち着けると思ったら、アメニティが たいしたことない、オーシャンビューのはずが全然海が見えない、電灯が切れている… など、ガッカリしたこ
鹿児島県阿久根市長選で竹原信一前市長の落選が確実に。午後7時投票終了。
以前こちらにアップした「はてなhaiku」でのtari-G氏とのやり取りは、以降以下のように展開した。 http://h.hatena.ne.jp/tari-G/9258658834641833355 http://h.hatena.ne.jp/quagma/9234082553158545707 http://h.hatena.ne.jp/tari-G/9234100145665692301 http://h.hatena.ne.jp/quagma/9234100145911770156 http://h.hatena.ne.jp/tari-G/9236563052140979102 http://h.hatena.ne.jp/tari-G/9259274564384171654 http://h.hatena.ne.jp/quagma/9234082574460918619 私は先日、
川俣正さんと桂英史さんのトークイベント。ちょうど東京藝大の先 端研の修了制作展のオープニングと重なっていて、大盛況でした... 以下、印象に残った発言をかいつまんで... 昨今のアートフェアのあり方について 川俣『ノウハウに乗った方法が定着してきてつまらなくなった。ま た、観る側もフレーズに乗ったものを要求するようになってきた。 サイトスペシフィックはもういいや。作りたくない。』 日本と西洋でのアートの観方にについて 川俣『西洋ではアートは特別な人しか作れないと思われている。だ から観客参加型の作品を海外に持っていったら注目を集めると思う。 一方、日本にはそうした考えがなく、誰もが作れると思っている。 だから観客参加型の展示がうける。』 日本と西洋でのマーケットについて 川俣『アブダビのような予算の上限のないところにプロポーザルを 出して、自分の小ささを知った。あそこは40年前まで砂漠だっ
2024.07 « 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 » 2024.09 森美術館で開催中の「小谷元彦展 幽体の知覚」に行って来ました。 私が小谷元彦の名前と作品を初めて接したのは、岡山県の大原美術館での≪ロンパース≫2003年だった。 最初に観たのが映像作品であったため、まさか彫刻科出身の方だとは夢にも思わず。しかし、不気味なんだけれど、全く目が離せない面白い映像であの初見の印象は今でも忘れられない。 その後しばらくの間、彼の名前を忘れていたが、ここ数年とても気になる作品や展覧会を拝見し、再び映像の記憶と共にその名前が蘇って来た。 そして、彼の作品についての思いや考え、背景にあるものに関心を持ち、昨年は京都造形大学神宮キャンパスでの小谷元彦×名和晃平対談や本展イベントである小谷元彦アーティストトークに参加し、本人の
哲人あるいは詩人と呼ばれ、あるときは孤高あるいは異端と形容され、生前から神話化されていた建築家、白井晟一(1905-1983)。戦後日本のモダニズムの潮流からスタンスを置き、初期の木造建築から黙示的な原爆堂プロジェクト、そして代表作の親和銀行本店から以後の展開に至るまで、象徴的で物語性に満ちた形態と光に特徴づけられる独自の建築を生み出しました。同時代の建築家とは明らかに異質で、かつ高度に完成された彼の作風は、一体どこから生まれたのでしょうかー多くの分析や批判が試みられましたが、謎は謎のまま残っています。20代後半ドイツに留学した白井は、1928年から33年のヨーロッパにあって独自の教養を身につけていきます。当時世界は全体主義への流れの中にあり、近代は輝かしいものではなくなっていました。ハイデルベルク大学のヤスパースの下やベルリン大学で白井が学んだドイツ哲学は、その近代を理解し対峙する手立て
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く