団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖

都月満夫の短編小説集2

「羆霧(くまぎり)」
「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

「キヨシの帰省」
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「ポン酢の語源」について考える【2】

2013-11-30 10:22:22 | 言葉

先日、「ポン酢」の「ポン」オランダ語に由来すると書いたときに、ポルトガル語説、インド地名説もあると書きました。書きっぱなしでは、申し訳ないので、今日はそれを書きます。

ポルトガル語説

ポルトガル語「pom」に日本語「酢」のついたものだとする説です。 「pom」 の意味は「柑橘類やその果汁」であると言われています。しかし、「pom」を調べてみましたが、一般的なポルトガル語の辞書では確認することがでません。現代では使われていないようです。

ただし、りんごなどの球果類を表す古語に 「pomo」 があることから、これに関連した語源であった可能性は考えられなくはないようです。

ちなみに、「pomo」をポルトガル語辞典で調べてみると、「フルーツ肉質」、「アップル」、「女性の胸」と、ありました。

なお、「株式会社えひめ飲料」の「ポンジュース(POM Juice」は、はじめは「PON」でしたが、上記のことを考慮して「POM」にしたそうです。

インドの地名説

Photo インドの地名「プネ(Pune)」の旧称「プーナ (Poona)より派生した果樹を意味するヒンディー語「??ポン)」に中国で果実を意味する柑を続けた「椪柑ポンカン)」を用いた酢を「ポン酢」と呼んでいたそうです。

これが、次第にポンカン以外の柑橘類を用いた酢もすべてポン酢と呼ぶようになったとする説です。

したっけ。

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「海の生物読めますか【難読漢字】」について考える

2013-11-29 11:21:14 | 漢字・文字

海の生物の難読漢字です。漢字と発音が全く違うので難しいですよ。

 

    海豹

    海獺

    海象

    海馬

   

    海豚

    膃肭臍

    海驢

    水母

    海鞘

 

下↓のヒントを見て考えてください。

Photo

 

 

 

 

 

 

 

 

《 回答》

 

    海豹(あざらし):鰭脚(ききゃく)目アザラシ科の哺乳類の総称。陸上では、後肢が後方に向いたままで、前肢で体を引きずって前進する。クラカケアザラシ・ゴマフアザラシ・ゾウアザラシなど約20種が、世界各地の海洋、特に北洋に多く、淡水湖にも分布。シール。かいひょう。《季 春》

    海獺(らっこ):《アイヌ語から》イタチ科の哺乳類。海で生活し、体長約1.2メートル、尾長40センチ。全体に黒褐色から灰褐色で、四肢の指に水かきがある。海上であおむけに浮かび、腹の上に石をのせ、アワビ・ウニなどを打ちつけ殻を割って食べる。かつては北太平洋沿岸に広く分布したが、すぐれた毛皮のために乱獲されて激減、保護されている。【猟虎/獺虎】とも書く

    海象(せいうち):鰭脚(ききゃく)目セイウチ科の哺乳類。北極海にすみ、体長約3.8メートル、体重約3トンに達する。2本の牙(きば)が雌雄ともにあり、雄では1メートルにも達する。貝を主食とする

    海馬(たつのおとしご):ヨウジウオ科の海水魚。内湾の藻場に多く、全長約10センチ、褐色。体は骨板に覆われ、頭部は馬に似て、腹びれ・尾びれを欠き、細長く伸びた尾部を海草に巻きつけて休んだり、直立したまま静かに移動したりする。雄は下腹部に育児嚢(いくじのう)を備え、雌が産み入れた卵を孵化(ふか)させる。日本では同属のオオウミウマ・イバラタツなどもいる。干物を安産のお守りにする。海馬(かいば)。うみうま。うまうお。たつのこま。

    鯱(しゃち):マイルカ科の哺乳類。体長約7メートルのハクジラ。背は黒色、腹は白色。雄の背びれは大きく、直立する。性質は獰猛(どうもう)で、イカ・魚類のほかアザラシ・アシカ・イルカ類、時には群れで鯨などを襲う。さかまた。

    海豚(いるか):クジラ目の哺乳類のうち、小形のハクジラ類の総称。体長15メートル、体形は紡錘状、口の先がくちばし状で、背びれのあるものが多い。マイルカ・カマイルカ・バンドウイルカなど大部分が海洋性であるが、カワイルカなど淡水にすむものもある。多くは群れをなして泳ぎ、魚類を主食とする。知能が高い。《季冬》

    膃肭臍(おっとせい):アシカ科の哺乳類。体長は雄が約2メートル、雌が約1メートル。頭は丸く、四肢はひれ状で、全身に刺毛と綿毛が密生。北太平洋に分布し、夏、小さな島に多数集まり、一夫多妻の集団をつくって繁殖する。毛皮は良質だが、国際条約によって保護されている。ウニウ。

アイヌ語「オンネップ」を中国で「膃肭」と音写、この臍(へそ)が薬用として膃肭臍または海狗腎(かいくじん)の名で日本に入った。

    海驢(あしか):アシカ科の海獣。オットセイに似るが、やや大形で体長約2メートル、暗褐色。太平洋に分布。近縁のアザラシとは異なり、陸上では四肢で体を支えて歩行する。うみおそ。うみうそ。みち。

    水母(くらげ):腔腸(こうちょう)動物の基本形のうち、浮遊生活を送るもの。ハチクラゲ類・ヒドロ虫類など。体は寒天質からなり、傘の形をしていて、これを伸縮させて泳ぐこともある。傘の中に消化循環系・生殖腺(せいしょくせん)があり、骨はない。傘の周縁に多数並ぶ触手には刺胞(しほう)があり、強い毒をもつものもある。《季 夏》「横ざまに流るる潮かな/虚子」【海月】とも書く

    海鞘(ほや):尾索綱ホヤ目の原索動物の総称。海産で汽水にも生息し、単体、または群体をつくる。単体のものは球形ないし卵形で、岩や海草に固着。体は被嚢(ひのう)で覆われ、入水孔と出水孔とが開く。幼生はオタマジャクシ形をし、尾部に脊索(せきさく)をもち、自由に泳ぐ。マボヤ・アカボヤなどは食用。《季 夏》「酒に火の気なき炉に顔寄せあひ/桂郎」

その形状から「海のパイナップル」と比喩的に呼ばれる。

 

どうですか?難しいでしょう、難読漢字ですからね。ヒント、易しかったかな

 

したっけ。



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「ポン酢の「ポン」とはどういう意味なのか?」について考える

2013-11-28 10:11:08 | 似顔絵

今朝起きると雪が5㎝ほど積もっていました。冬らしくなりました、

いよいよ、お鍋が恋しい季節になりました。お鍋を囲みながら、ふうふう言いながら食べるのは各別です。

最近ではお鍋によく使われる「ポン酢」ですが、その「ポン」とはどこからきたのでしょうか。

ポン酢」といえば、柑橘類の酸味が味のベースになっています。ポンカンとかザボンなど、「ポン酢」の「ポン」に語感が近いので、日本語のように思いがちです。しかし、語源は意外なことにオランダ語なのです。

ポン酢」の「ポン」とは、オランダ語で柑橘類の果汁を意味する「pons(ポンス)」からきています。

これはビターオレンジ、日本でいえばダイダイの絞り汁のようなものです。これに、お酒や砂糖を加えて、温めて飲むそうです。つまり、お酒です。

ポンス【(オランダ)pons

1 ダイダイのしぼり汁。ポン酢。2 飲み物のポンチのこと。

大辞泉

Photo_2

このpons(ポンス)」が、日本語の「酢」を連想させるので、「酢」の字を当てて「ポン酢」と呼ぶようになったのです。

出島のオランダ商館にはポンスの作り方が書かれた文献が存在しているそうです。たしかに日本にもポンスは伝わっていたのです。

しかし、お酒であった「pons(ポンス)」が、なぜ酢を入れた調味料になってしまったのでしょう。

ここに、江戸時代の日本人の勘違いがあったのです。

じつはこれまでレモンやオレンジなどの柑橘類にあまり触れることがなかった日本人は、ポンスの作り方に必要な材料、つまり柑橘類の果汁をポンスと呼ぶようになってしまったのだ。

そしてその保存性を高めるために酢を入れ、いつしかソウル・フードである醤油が入れられ、それが「ポン酢醤油」、「ポン酢」として流通するようになったのです。

この「ポン酢」に、味醂、鰹節、昆布などを加えたものが「味付けポン酢」、「味ポン」です。

なお、「ポン酢」の語源には、ポルトガル語説、インドの地名説などがあり、はっきりはしていません。

Photo_4

したっけ。



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「パンドラの箱の残ったものは」について考える

2013-11-27 11:25:56 | 似顔絵

パンドラ‐の‐はこ【パンドラの箱】

ゼウスがパンドラに持たせた、あらゆる災いの詰まった箱(本来は壺)。彼女が地上に着いたとき好奇心から開けたところ、すべての災いが地上に飛び出したが、急いでふたをしたので希望だけが残ったという。

大辞泉

Photo_3 この神話から、パンドラの箱という言葉は「開けてはいけないもの」「わざわいをもたらすために触れてはいけないもの」を意味するようになりました。

本願寺(西本願寺)のページに面白い解釈が載っていたので紹介します、

最後に残ったもの

「パンドラの箱」という、有名なギリシァ神話があります。

人間に災いをもたらすために、神々によってパンドラという女性が創り出されました。パンドラは神々から美貌や知恵などさまざまな贈り物を受け、さらに「決して開けてはならない」と命じられた一つの箱と、好奇心を与えられ、地上に送り込まれました。

やがてパンドラが好奇心にかられ箱を開けてしまうと、そこから犯罪や病気など、ありとあらゆる災いが世界へ飛び出していきました。

この話のよく知られた結末は、あらゆる災いが飛び出していったあと、最後に「希望」が出てきたので、人間は絶望することだけは免れた、というものでしょう。

実は、この話の結末には別の解釈もあります。それは、箱の中にはただ一つ、「予知」、つまり未来を知る力だけが残された、というものです。

もし「予知」が世界に放たれれば、人間は未来にどんな災いが起きるかすべて知ってしまい、絶望して生きる力を失ってしまいます。その「予知」だけは箱の中に閉じこめられたので、人類は希望を失わずに生きていられるようになった、というわけです。

なんとも毒のある解釈ですが、箱にはあらゆる災いが入れられていたのですから、「予知」という災いが入っていたという説の方が、「希望」が入っていたという説よりもつじつまは合っているように思えます。

このパンドラの箱の最後「希望」が残ったとする説には「悲観説」と「楽観説」があります。

「悲観説」は、「希望」が閉じ込められたので人類は永遠に希望を持てなくなったというもの。

「楽観説」は、人類にたった一つ残ったものが「希望」だというものです。たとえどんな災難や困難な状況にあっても、「希望」だけは決して私たちを見捨てないのです。

昨日、わざわざ災いを作りだした愚か者がいます。

Photo

したっけ。

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「教科書検定 「国定」復活を危惧する」について考える

2013-11-26 07:32:32 | ニュース

教科書検定 「国定」復活を危惧する(11月25日)

北海道新聞

 これでは戦前の国定教科書の復活になりかねない。

 文部科学省は、小中高校向け教科書検定に介入を強める方針を打ち出した

 愛国心を養うことを盛り込んだ2006年改定の教育基本法の理念を厳格に反映させるよう、出版社に求めるという。政府見解も確実に記載させる

 国が出版社や書き手に教科書執筆の基本姿勢まで方向づけることにつながる。改変に疑問を抱かざるを得ない。文科省に再考を求めたい。

 戦後教育は政治から一線を保ち、中立維持を心がけてきた。国定教科書を使った戦前の国家主義的教育が若者を軍国主義に駆り立てていった反省に基づくのは言うまでもない。

 検定の是非を問う故家永三郎氏の教科書訴訟で、最高裁が国の裁量権乱用に歯止めをかけたことを思い起こしたい。こうした流れに矛盾するのは明らかだ。

 なぜいま、改変措置が必要なのか。安倍政権の意向が反映されているのは否定のしようがない。

 安倍晋三首相は検定基準に教育基本法の精神が生かされていないと、かねて見直しの考えを示していた。

 加えて自民党教育再生実行本部が今夏、「多くの教科書が(自国の歴史の負の部分を取り上げる)自虐史観に立つ」と批判を強めた。

 文科省の方針は、こんな教科書批判や教育観をくんだものだ。

 見逃せない問題は、新方針が「改正教育基本法の教育目標などに照らし、重大な欠陥がある場合は不合格にできる」とした点である。

 抽象的な尺度では「自虐史観の傾向がうかがえる」などと門前払いすることも可能になるだろう。大半の出版社が萎縮し、表現の自主規制を迫られるのは間違いない

 検定はこれまでも政権の政治姿勢や歴史観などを反映してきた。

 第1次安倍政権では高校日本史で、沖縄戦での住民集団自決の記述から「軍の強制」が削除された。その後は「軍の関与」や「日本兵による命令」の記述が認められてきた。

 国が今後、より強い態度で臨めば、さらに極端なぶれが生じよう。

 文科省は諸説ある場合はバランスの取れた執筆を求めるとしている。

 旧日本軍による南京虐殺の犠牲者数には諸説あり、従軍慰安婦の強制性をめぐっても見解が分かれている。こうした史実を念頭に置いているとすれば、歴史観の押しつけにつながりかねない。

 検定制度の趣旨には、民間の創意工夫に対する期待もあった。今回の措置は教科書の特色を弱め、画一化を加速させる懸念を拭えない

 何よりも教育現場や子どもたちへの影響が心配だ。

現在の教科書検定制度

現在の教科書検定制度は、1947年に制定された学校教育法に基づくものです。(第二次世界大戦の終了までは、一般的に教科書は政府が作成する制度でした。)この制度の下では、民間の出版社が教科書を執筆し、公的な検定と承認のために提出します。教科書は、日本の学校での教育の基準である学習指導要領に沿ったものでなければなりませんが、それ以外については、出版社は自社の教え方や考え方を内容に盛り込むことができます

教科書の執筆や検定はいくつかの過程を経ます。最初に、出版社は学者や教師を集めてチームをつくります。このチームが内容や編集方針に関する議論を行いつつ、教科書を執筆します。

教科書が完成すると、出版社は見本を文部科学省に提出します。そこでは、教科書用図書検定調査審議会が教科用図書検定基準に基づいてその内容を審査します。審議会の提言に沿って、文部科学省は、ふさわしくない文言について再度検討するように出版社に伝えます。その後、出版社の修正が出され、審議会が、十分修正がなされたと判断すれば、適正なものと答申され、これに基づき文部科学省が検定の合否を決定します。(なお、この過程は1989年にかなり簡略化されたため、出版物における出版社の表現の余地は拡大しました。修正が求められても、教科書自体が不合格となることは極めてまれとなっています。)

文部科学省によって認可された教科書は、市町村・地域にて陳列され、一般国民の閲覧に付されることになります。どの教科書を使用するかの最終決定は公立学校であるならば地元の教育委員会に、私立学校であるならば各学校に委ねられます。いったん学校が教科で使用する教科書を決定すると、出版社に注文が出され、印刷や配送作業が開始されます。

以上の全過程はかなりの時間を要します。ほとんどの教科書作成プロジェクトでは、執筆チームが結成されてから、教科書が教室で実際に使用されるようになるまでには最低でも丸3年かかります。

外務省の「教科書検定制度」のページより

「現在の教科書検定制度」では、何故いけないのでしょう。

なんだか、時代がどんどん逆行していく感じがします。教科書検定に介入を強めるなどとは・・・。

教科書出版会社は検定に通らなくなりますから商売に差し支えます。どうするか。従うしかありません。

こうして、教科書は国というより、頭のおかしな人の思い通りになる危険性があります。

事実上の「国定教科書」になる可能性があるのです。

都合の悪い史実は書かれなくなり、歴史の判断を誤ることになるのです。

「愛国心」は芽生えるものです。押し付けるものではありません。

国民は「知る権利」を失い、「偏った歴史認識」を植えつけられるのです。

子どもの頃から、刷り込まれた認識が、どんな結果になるか、私たちは知っています。

「特別秘密保護法」も、「教科書介入」も、その先にあるのは「国防軍」です。

怖い国になる。

Photo

したっけ。


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「特定秘密保護法に反対しよう」について考える

2013-11-25 10:25:55 | ニュース

秘密保護法案―「翼賛野党」の情けなさ

201311220028朝日新聞デジタル 

巨大与党の前に、あまりにも情けない野党の姿である。

このままでは自民党の「補完勢力」どころか「翼賛野党」と言われても仕方あるまい。

日本維新の会が、自民、公明の与党と、特定秘密保護法案の修正に合意した。

みんなの党に続く妥協だ。

いずれの修正も実質的な意味は乏しく、問題の根幹はまったく変わっていない

与党は、4党で修正案を共同提案し、26日の衆院通過をめざすという。野党はこれを許してしまうのか。

愕然(がくぜん)とするのは、維新との修正合意で、特定秘密の指定期間が後退したことだ。

維新は当初、「30年以上延長できない」と主張していた。ところが、合意では「60年たったら原則として解除」と期間が2倍に延びてしまった。

しかも60年を超えても延長できる7項目の例外まで、できてしまった。

まるで与党側の焼け太りだ。これでは、維新もみんなの党も利用されるだけではないか。

維新は秘密指定できる行政機関を絞り込む案も主張したが、与党にはねつけられた。「首相が有識者の意見を聴いて政令で限定できる」との合意では、およそ実効性に乏しい。

秘密指定のチェックについても、大きな疑問符がつく。

法案の付則に「第三者機関の設置検討」を盛り込むことで合意したが、付則に書いても実現の保証はない。どんな機関になるかも不明確で、期限も区切っていない

与党とみんなの党との合意では、首相が「第三者機関的観点」からかかわることで客観性が担保されるとした。最大の当事者を「第三者」とする意味不明。与党が真剣に問題を受けとめているとは思えない。

維新の内部からも「後退している」などの批判が噴出している。当然だ。今からでも対応を見直すべきだ。

野党ではほかに、民主党が対案を出している。

▽秘密の範囲は外交や国際テロに限る

▽国会が委員を指名する第三者機関「情報適正管理委員会」を設置し、個々の秘密指定が適当かどうかも調べる

▽罰則は政府案が最長懲役10年だったのを懲役5年以下とする――などの内容である。

政府案との隔たりは大きい。そこを埋める努力もせず、4党の修正案で突き進むのでは、巨大与党にすり寄っているとしか映らない。

与党に都合のいい修正をするのが野党の役割ではない。

今回、「朝日新聞」を引用しましたが、他の新聞もにたりよったり。

昨日、この問題の街頭インタビューで、「関心がない」、「自分に関係がない」、果ては「その法案が問題になっていることを知らない」などに愕然とした。

国民の半数近くが選挙に参加しないのだから無理もない。

しかし、無関心ではいられない。確実に我々に影響がある法律なのだ。

最大の問題は、「特定秘密」の中身がわからない。それは「秘密」だから・・・。

国民を馬鹿にしている。処罰の対象は公務員に限るというが、ならば公務員には「特定秘密」を知らせるのか?知らせるわけがない。公務員は何が秘密かわからぬままに、処罰の対象になる。たまたま、それを聞いた一般人は処罰の対象にならないのか?そんなはずがない。それでは「秘密」が広まってしまう。一般人も、知らずに巻き込まれるかも知れないのだ。

特定秘密を指定できるのが、各大臣で、5年間指定がなければ指定の権利を失う。一見よさそうだが、既得権益を失いたくない部署は、いらぬ秘密を指定しかねない。

第三者的な役割は総理大臣が、いちいち確認する。総理大臣は当事者ではないか。

指定期間が60年は長すぎる。60年後に今の大臣が生きているとは思えないし、60年も経ったら「特定秘密」膨大な数になり、管理しきれまい。

まだまだあるが、書ききれない。とにかく、恐ろしい法案なのだ。

最後にひとつ。政権が変わって、「特定秘密保護法」を廃案にしようと考えたとしよう。そのこと事態が、「特定秘密保護法」に抵触する恐れがあるのだ。

日本は、「大日本帝国」に戻ろうとしているのだ。こんな法律を絶対に許してはならぬ。

自衛隊法では、今も防衛に関する秘密の漏洩の罰則規定がある。

国家公務員法でも守秘義務違反について、「職務上知ることのできた秘密」について、在職中だけでなく、退職後も漏らすことを禁じている。

なぜ、そんなに秘密を作りたがるのか?自分たちにやましいところがあるからなのかと疑りたくなる。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

憲法には、「国民の知る権利」を明確に書いた条文はありませんが、上記21条に抵触する。「言論」、「出版」、「表現」の自由があってこそ、「知る権利」がまもられているのだ。

馬鹿につける薬がないなら、一人ひとりが声を上げようじゃありませんか。

「疑問点があまりに多い秘密保護法案」について考える

Photo

したっけ。




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「あおによし・・・枕詞・・・」について考える

2013-11-24 14:48:06 | 歴史

「あおによし」について、こんな面白い記事を見つけました。昨日とは全く異なる内容です。

「あおによし」は奈良が青丹(あおに)の産出地だったからだなんて、まったくいいかげんなこじつけだ。そうだったら、そう言い継がれてきている。そうしていまごろ奈良では、子供でも知っている常識になっていることだろう。

べつに青丹は奈良にしかなかったわけではないし、それが奈良の奈良たるゆえんになっていたわけでもあるまい。

「あおによし」と発声する感慨がある。そこのところがが、現在までの枕詞研究ではまだ問われていない。

「あお」は「青空」の「あお」、「あ」も「お」も、はるかな感慨から発声される。「あ」と気づき。「お」と気づく。そして「ああ」と嘆き、「おお」と驚く。

語源としては、はるかに遠いものを「あお」といったのだ。それが、古代以前の人々の「あお」という音声を発する感慨だった。彼らにとっては、「海の青」も「空の青」も「はるかに遠いもの」であり、それを見る「かなしみ」も込めて「あお」といった。

よし」の「よ」は「寄る」の「よ」、「接近」の語義。

」は「しーん」の「し」、「静寂」「孤独」「固有性」の語義。

よし」は、気持ちがひとつに定まってゆくこと。

「あおによし」とは、はるかに遠い奈良盆地に対する想いひとつで胸がいっぱいになってゆくこと、すなわちそこには旅人の奈良盆地に対するやみがたい望郷の念が込められている。

そういう言葉の「姿」というものがある。

一般的には、現代語訳にするとき基本的に枕詞は無視してもよい、というということにもなっているらしいが、ほんとにそれでいいのだろうか。

枕詞は、ほんとに無意味なただの飾りだろうか。

万葉集でいちばん有名な「あおによし」の歌は、これに尽きる。

あおによし奈良の都は咲く花の匂ふがごとく今盛りなり

九州大宰府の地から故郷の奈良を想う望郷の歌である。

枕詞の原型は祝詞の序詞にある、ともいわれている。つまり前置き、だから初期のころは必ず歌の頭に置いていたのだが、のちに途中から出てくる歌も生まれてきた。

まあ、序詞でもかまわない。それにしたがえば、この歌は「望郷やみがたし、奈良の都は咲く花の匂うがごとくいま盛りなり」と読むことができる。

これでは作者が表現しようとしていたこととは違ってくるだろうか。違わない。おそらくこれこそがこの歌の正味の姿なのだ。

「あおによし」というやみがたい望郷の念こそこの歌の主題であり、のうてんきに奈良の都を賛美しているだけの歌ではない。「あおによし」と語りはじめることこそこの歌の魅力であり、この枕詞がなければ名歌として現在まで語り継がれてくることもなかったにちがいない。

枕詞は、たとえ歌の序詞であったとしても、歌の主題でもあるのだ。

まあこの歌の作者である小野老(おののおゆ)は、ひとことではいえない胸に溢れるさまざまな望郷の念をこの「あおによし」という五文字に込めたのだ。そしてそれに誰もが「なるほど、そうか」と納得できる社会だった。

枕詞は、ただの飾り言葉だったのではない。そしてそれが表現する感慨の姿は、次の言葉だけではなく、歌全体を覆っている。

他にもいくつか、「あおによし」の歌を万葉集の中から挙げてみよう。

あをによし奈良の家には万代(よろずよ)に我れも通はむ忘ると思ふな

あをによし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも

あをによし奈良の都に行く人もがも 草枕 旅行く船の泊り告げむに

あをによし奈良の大道(おほじ)は行きよけどこの山道は行き悪しかりけり

あをによし奈良の都は古(ふ)りぬれどもと霍公鳥(ほととぎす)鳴かずあらなくに

あをによし奈良にある妹が高々に待つらむ心しかにはあらじか

あをによし奈良の人見むと我が背子が標(しめ)けむ黄葉(もみぢ)地(つち)に落ちめやも

すべて、奈良から遠く離れた地からの望郷の歌である。二番目の「あをによし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも」という歌も、「あおによし」から「やみがたい望郷の念」を読みとらなければただののうてんきな奈良賛歌になってしまう。しかしこれは、朝鮮の新羅に派遣されていった人の歌なのである。

つまり、すべてが「あおによし」が主題の歌なのだ。奈良盆地の住民がのうてんきにお国自慢している歌などひとつもない。「あおによし」は、ただ「奈良」という言葉を修飾しているだけの言葉ではないのだ。

故郷の奈良に対するやみがたい望郷の念」を読みとらないで、どうして「あおによし」という枕詞の解釈になり得ようか。

心が、そのはるかに遠いものを思うかなしみ一色に染まってゆくことを、「あおによし」という。

「青丹(あおに)がとれたから」とか、枕詞はそんな他愛のないただの無駄な飾りだったのではない。千字費やしてもまだ書きつくせない思いをこの「あおによし」という五文字が表してくれているのだ。

ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのかより

上記の歌の一般的な解釈(訳)を読んでください。

あおによし奈良の都は咲く花の匂ふがごとく今盛りなり

「奈良(寧楽)の都は今は、咲く花の匂うように真っ盛りである」

・あをによし奈良の家には万代(よろずよ)に我れも通はむ忘ると思ふな

「青丹の美しい 奈良の家には いつまでも変わらずに わたしも通いましょう 忘れるなどとと思わないで下さい」

・あをによし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも

「奈良の都にたなびく白いは、ずっと見ていても見飽きないものですよ」

・あをによし奈良の都に行く人もがも 草枕 旅行く船の泊り告げむに

「若葉が照り輝き美しい奈良の京に行く人がいてほしい。草を枕にするような苦しい旅を行く船中の日々での出来事を告げるために」

・あをによし奈良の大道(おほじ)は行きよけどこの山道は行き悪しかりけり

「奈良の大路(おおじ)は楽に歩けるけれど、この山道(やまみち)は通ってゆくのが大変でした」

・あをによし奈良の都は古(ふ)りぬれどもと霍公鳥(ほととぎす)鳴かずあらなくに

「美しい奈良の旧都はさびれてしまったが、だからとて昔馴染みの霍公鳥が鳴いてくれないわけはないのだ」

・あをによし奈良にある妹が高々に待つらむ心しかにはあらじか

「奈良の都に居る妻が、今か今かと貴方を待っているであろう心は、まさにその通りではありませんか」

・あをによし奈良の人見むと我が背子が標(しめ)けむ黄葉(もみぢ)地(つち)に落ちめやも

「青丹美しい奈良に住む人が見るだろうと、我が友が標を結ったという黄葉なのです、散ってしまうことなどありましょうか」

「やみがたい望郷の念」は読み取れますか?奈良を賛美している解釈のようです。

どちらが正解なのかは、私には解りません。

みなさんは、どう感じましたか?

たかが枕詞。されど枕詞・・・。

したっけ。

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「青丹(あをに)よし寧樂(なら)の都は咲く花の」について考える

2013-11-23 10:57:28 | 似顔絵




青丹(あをに)よし 寧樂(なら)の都は咲く花の  薫(にほ)ふがごとく 今盛りなり」小野老(おののおゆ):(万葉集巻三328

あおもよし、あかもよし、すべてがすばらしい奈良の都は 満開の梅がいい香りを放っているように、いま真っ盛りで賑やかなことよ」

今までは、「あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり」。

つまり、「あおによし」は単なる枕詞だと思っていました。

haruさんのブログ「趣味の歳時記」で、赤丹、青丹の記事を読み「青丹よし」で検索してみました

「青丹よし」は、奈良にかかる枕詞でその由来は二説あるという。ひとつは岩緑青(マラカイトグリーン)と呼ばれる色の元となる青丹が奈良に産出したとの記録があるからだとするもの。丹はここでは土の意味であり青丹とは文字どおり青い土を意味する。

もうひとつは、その青丹から抽出した色を馴熟すること、つまり「ならす」ことに由来するものだとするもの。そして、「よ」や「し」はどちらも間投の助詞で青丹を強調するもので特別な意味は持たない。

国文学的には、この解釈が一般的である。だがこの枕詞を単に枕詞として置かれたとだけ見るのではなく、意味を持つものとして角度を変えてみると少し様相が違ってくる。

平城京の都を、爛漫と咲き誇る桜の花に見立てたこの歌の持つ美しい背景がさらによく見えてくるはずだ。そのキーワードとなるのが「」の文字である。丹頂鶴とは頭のいただきの赤い鶴であり、丹花とは赤い花を指す。こうした言葉に見るように、「丹」は通常、鮮やかな赤を意味する言葉として用いられる。

それは硫黄と水銀との化合した鮮やかな赤い土である「丹」に由来する。丹は別名「辰砂(しんしゃ)」ともいわれる。中国湖南省辰州に産したことから名づけられたものだ。この辰砂から得られた赤い色は同音の「真赭」をあてて「まそほ」と読ませ、赤の別名ともなる。

水銀を含むこの赤が、強い殺菌力や防腐効果を持つことを知っていた古え人は、権力者の埋葬等にこれを用いていた。古墳内の石室が真っ赤に塗られているのもこの辰砂、すなわち丹である。高貴な者のみが独占的に利用していたと思われる古代の丹という色には、それを取り巻く者たちにまた特別な想いや意味を抱かせていたとは推察できないだろうか。

「青丹よし」より

あおに‐よし【青丹よし】アヲ

 枕 

(ヨもシもともに間投助詞) 「奈良」「国内クヌチ」にかかる。奈良に顔料の青丹を産出したことが秘府本万葉集抄にみえるが、事実か伝説の記録か不明。一説に、「なら」に続けたのは顔料にするために青丹を馴熟ナラすによるという。

広辞苑

『広辞苑』のにも青丹のことが書いてありました。

「奈良」の語源としては「平らな、平坦な(土地)」を意味する「なら(す)」であるという説。都城という意味を与えるために「城」という字を加えて「平城」を奈良と呼称したというのが一般的でした。

ちょっと、奈良の見方が変わってきました。

Photo

したっけ。

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お知らせ―キャプチャ画面表示設定について―

2013-11-22 22:21:58 | ごあいさつ

本日より、突然記事に無関係なコメントが大量に送信されてくるようになりました。

半端な量ではないので、削除もままならず「キャプチャ画面表示設定」をさせていただきました。

皆様には大変なご迷惑と、お手数をおかけすることになりますが、どうぞご理解いただきたくお願い申し上げます。

都月満夫

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「容姿のランク付け」について考える

2013-11-22 11:16:04 | 似顔絵



    佳人 「うつくしい人」のほかに「すぐれている人。りっぱな人」「きりっと美しい人」という意味があります。つまり、頭が良くて顔もいい、内面外面とも優れた人。

    麗人 「形が整って美しい人、うるわしい人」という意味があります。つまり、顔もスタイルもいい、外面がとってもいい人。

    別嬪 特別に優れた品物や人物のことで、男女を問いません。近世になってからは、とりわけ「器量よし」の女性のことを言います。

    美人 単純に「うつくしい人」のことを言います。

元々は人と言う漢語が、主に男性を社会的に指す言葉であったことから、古語では、女性ではありません(例えば、美しい少年は「美少人」と呼ばれました)。女性の場合は「美女(びじょ)」という言葉を用いました。世界三大美女◆漢語では「人」は男性のみを指していました。

    並上

   

    並下

    ブス 容姿が劣ることを指す侮蔑的な日本の俗語。男性の形容にも使われることがあるが、一般には女性の形容に使われます。◆漢字で「附子」と書き、トリカブトの塊根を意味します。漢方では、トリカブトの根を 「付子(ぶし)」や「烏頭(うず)」と呼び、鎮痛・強心剤として用いられるが、猛毒となる アルカロイドが含まれているため、誤って口に含むと神経系の機能が麻痺し無表情になることに由来します。

    鬼瓦 和式建築物の棟(大棟、隅棟、降り棟など)の端などに設置される板状の瓦の総称。略して「鬼」とも呼ばれる。厄除。

    夕日に鬼瓦 見れば目が潰れる

    人七化け三 《人間らしい部分が七分で、化け物のような部分が三分である意》容貌(ようぼう)の醜いこと。

    人三化け七 《人間らしい部分が三分で、化け物のような部分が七分である意》容貌(ようぼう)の醜いこと。

    化け十 《人間らしいところがない意》容貌(ようぼう)の醜いこと。

「人」という字がつくと男性をさしますが、③と⑤以下は男女を問いません

人間は、なんでもランク付けをしたい生き物のようです。それにしても、下のほうになってくると酷いです。よくこんなことを考えたものです。

最後のほうは、もう人間ではなくい鬼とか化け物です。

人を尊敬する言葉はいいですが、侮蔑する言葉は使いたくないものです。

Photo

したっけ。


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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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