俳句を嗜んでいる。が、納得のいく句ができたためしがない。 いつも時間に追われ、きょうは、この程度にしておくか、と大抵妥協する。その繰り返し。だから、ちっとも上達しない。 でも、いいんだ。 その一瞬一瞬の生きた証を刻めれば。それが主眼だもの。 作る時は説明にならないように心掛ける。注意するのはそれだけ。 感覚を研ぎ澄ますことに理屈はいらない。 推敲はする。もっと気のきいた表現があるんじゃないかと常に考える。で、最終的にはボキャブラリーの貧困さに絶望して筆を投げる。なんてこった、になる。 【書】『おくのほそ道』70(平泉4)(No.1,928) 「予て耳驚したる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、…