(574〜622)飛鳥時代の政治家。
本名は厩戸皇子(うまやどのおうじ)。父・用明天皇
『日本書紀』崇峻天皇紀に、崇仏戦争の際は蘇我氏側に付き物部氏調伏の儀を行ったとある。
仏教を広めたため、日蓮宗など聖徳太子を重んじる仏教宗派もある。
・604年に「冠位十二階」、「十七条憲法」を定める。
・607年に遣隋使・小野妹子を中国に送る。
・法隆寺、四天王寺を建てることを命じた
豊聡耳(とよとみみ)と呼ばれ、ある時、10人の請願者が発した言葉を漏らさず、全て的確に返したことが有名。
最近は、聖徳太子は架空の人物だったという説が有名