第32駆逐隊とは、大日本帝国海軍が舞鶴鎮守府籍(原則)の駆逐艦で編成した駆逐隊の1つである。
舞鶴鎮守府の要港部格下げの影響もあり、生粋の32駆は戦中編成の第3代のみ。
初代
初代:第十六駆逐隊(横須賀)→2代:第二駆逐隊(同)→初代:第三二駆逐隊(舞鶴)→2代:第十七駆逐隊(呉)
海風型駆逐艦「海風」「山風」により1912年6月、横須賀鎮守府籍第十六駆逐隊として編成。
1918年、駆逐隊名規則変更により2代第二駆逐隊と改称。楢型駆逐艦「楢」「榎」を加える。
同年11月、「海風」「山風」「楢」「榎」の舞鶴鎮守府転籍を受け、第三二駆逐隊(初代)と改称。
1922年、舞鶴鎮守府の要港部格下げに伴い呉鎮守府に転籍、第十七駆逐隊(2代)に改称。
1930年、全艦掃海艇籍に編入され解隊。
2代
1931年、若竹型駆逐艦「若竹」「芙蓉」「刈萱」「朝顔」で編成。
歴代駆逐隊司令に、大森仙太郎中佐(後に第一水雷戦隊司令官)、木村昌福中佐(後に、第三・第一・第二水雷戦隊司令官)、中川浩中佐(後に第三水雷戦隊司令官)、島崎利雄中佐(後に、陽炎型・第4代の第十六駆逐隊司令、改称後の32駆司令、川内艦長、金剛艦長)ら(階位は司令就任時)がいる。
1939年、舞鶴鎮守府籍となり、2代目の第三二駆逐隊と改称される。
開戦時の司令は山本岩多中佐(戦没時の多摩艦長。レイテ沖海戦・機動部隊本隊の巡洋艦部隊を指揮した)。隊は鎮海警備府に所属していた。
1942年、南西方面艦隊第一海上護衛隊に編入され、1943年1月に解隊された。
3代
舞鶴鎮守府籍夕雲型駆逐艦「早波」「涼波」「藤波」により1943年8月20日、第十一水雷戦隊隷下に編成。同年9月30日、第二艦隊第二水雷戦隊に編入(但し、丁三号輸送作戦終了の10月下旬まで引き続き軍隊区分十一水戦隷下)、10月1日、姉妹艦「玉波」(当時単独で二水戦付)を編入。10月下旬、丁三号輸送作戦終了に伴い原隊の第二水雷戦隊に復し、栗田艦隊隷下。
11月11日、ラバウル空襲時に涼波戦没。12月15日、第十一水雷戦隊付、姉妹艦「浜波」を編入。以降、44年初頭は各艦輸送作戦等に従事。
1944年6月7日、マリアナ沖海戦の対潜掃討中に早波戦没。この際、折田司令も戦死。
同年7月7日、玉波戦没。前玉波艦長の青木司令も戦死。
前第27駆逐隊司令の大島一太郎大佐が着任し、浜波を司令駆逐艦とする。
10月27日、レイテ沖海戦にて藤波戦没。救助していた鳥海乗組員を含む総員が戦死。
11月11日、第三次多号作戦にて浜波放棄。31駆姉妹艦朝霜に大島司令らが移乗し助けられた。
11月15日、放棄された浜波は第31駆逐隊に書類上編入され解隊された。
駆逐隊司令
- 中原義一郎大佐(兵48)
三日月・栗・疾風・汐風・天霧艦長、夕立・時津風艤装員長・初代艦長、第24駆逐隊司令を経て初代32駆司令。長良艦長として戦死。中将特進。 - 折田常雄大佐(兵49)
弥生・敷波(浦波兼務)・白雪(吹雪兼務)・雷艦長、浜風・照月艤装員長・初代艦長、第30駆逐隊司令を経て2代32駆司令。乗艦早波戦没時戦死。少将特進。 - 青木久治中佐(兵50)
蔦・秋風(羽風兼務)・暁艦長、第13駆潜隊司令、隠岐艤装員長・初代艦長、玉波艦長を経て3代32駆司令。引き続き乗艦していた玉波戦没時に戦死。大佐特進。 - 大島一太郎大佐(兵50)
大井水雷長・羽風・文月・三日月・若葉・満潮艦長、水雷学校教官、第22戦隊先任参謀。第27駆逐隊司令を経て4代32駆司令。
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 1
- 0pt