HONEST

猫好き・植物好き・ラジオ好きの齢31歳。日々の学びや気づきを、ちょっとだけ得意な文章とイラストで自由に記録していきます。

10月14日 上野

月曜日、

 

 

久々に訪れた場所、上野。

 

JR高崎線を使っていた学生時代、最初に降り立つ東京は上野だった。

数々のアルバイトをやっていた大学生時代。今でも印象に残っているのは、地元でやっていた塾講師と、上野でやっていたバイトである。文化会館のスタッフと、上野動物園のレストラン、それから受付で働いていた。

社会人になってから最初に一人暮らしをした場所、それも、当時勤めていた会社から乗り換えなしで行ける上野近辺だった。

 

学生の時から、都内をグルグルと巡ることが好きだったけれど、上野駅に着くと

「ああ、帰ってきたな」と、そういう安心感があった。

上野は、エリアによって全く違う風景を持っている。

東京藝大や西洋美術館がある文化的に洗練された高台のエリアもあれば、昔からの住宅街と現代の集合住宅が立ち並ぶ浅草に向かう道もある。

はたまた、決して綺麗とは言えないけれど、いつも賑わって混雑しているアメ横エリアもあれば、不忍の池から湯島の方に続く、自然と卑猥がミックスされたエリアもある。

ただ、どの景色を取っても、僕にとってはホームだった。

コロナ禍の2020年。よく深夜に不忍の池をジョギングしていた。

飲み屋、キャバクラ、ホスト、風俗、ラブホテル。ころな前は週末のこの時間となれば、とにかく客で溢れかえっていた街が、ガランとしていた光景を今でも覚えている。

 

そんな思い出がある上野だが、約1年ぶりに行ってみると、全くホームに感じなかったのだ。

街が変わったのか?僕が変わったのか?答えは明らかだ。僕が変わったのだ。

 

街は変わっていない。上野といえばホームレス。ドヤ街と呼ばれるエリアも近くにあるし、昔から上野公園にはたくさんのホームレスの方が住んでいる。

いつも同じ場所にいるホームレスの人が、今日通った時にも、まだいたのだ。しかも、1人や2人のレベルではない。

確かに、以前よりも訪日外国人の数は増えているかもしれないけれど、でもこの街は変わっていない。

 

上野に住んでいた約7年間。最初の3年は、とにかくお金がなくて、いつも割引セールの商品を探していた。こういう下町には、そういう割引をやっているスーパーしかないし、そういう商品を求めている人が沢山いるから、その中に溶け込んでいた。別に悪い意味ではない。それが当たり前の文化だった。

 

早朝ランニングをしていると、鶯谷付近で潰れている中年サラリーマンを多く見かけた。一方で朝6時前の浅草駅には、栃木の方からやってきている日光線伊勢崎線の電車が着いていて、ホームには人がたくさんいた。

そういう景色を見て、なんだかなぁと思いつつ、でも埼玉の田舎出身の僕は親近感を得ていた。

 

きっといい方向に変わったのだと、そう信じたい。成長したのだと、そう信じたい。

 

今は、どちらかというと西に向かう新幹線の玄関口、飛行機の玄関口に近いエリアに住んでいる。

このエリアに住み始めて、もう2年が経つけれど、最近はとても居心地がいい。

でもきっとこの街自体は変わっていない。僕自身が変わったのだと思う。

 

なかなか気づけない自分の変化。昔暮らしていた街を訪れてみて、どんな印象を抱くか。それによって自分の変化に気づけるかもしれない。

 

街は、自分の変化のバロメーターである。