この年も番付編成は過渡期であった。詳細は本場所の一覧の項目を参照のこと。 春場所の優勝をめぐっての騒動(三杦磯善七の項目参照)もあり、不戦勝の制度が確立した。また、長引く相撲に対して、二番後取り直しの制度が制定された。 春場所からラジオの中継放送が始まり、それをきっかけに立合いの制限時間が定められた。(当時は幕内10分、十両7分、幕下以下5分であった) 幕内総合優勝 * 春(1月12日初日、両国国技館):東大関 常陸岩英太郎(10勝1敗) * 3月(3月14日初日、名古屋市大池町):東大関 能代潟錦作(10勝1敗) * 夏(5月10日初日、両国国技館):西横綱 常ノ花寛市(11戦全勝) * 10月(10月4日初日、広島市西練兵場):東横綱 宮城山福松(9勝2敗) 優勝旗手 * 春:西前頭13枚目 三杦磯善七(10勝1敗) * 3月:西前頭14枚目 鏡岩善四郎(8勝3敗) * 夏:西関脇 玉錦三右エ門(9勝2敗) * 10月:西前頭12枚目 玉碇佐太郎(8勝3敗)