アリーゴ・ペリッチャ(Arrigo Pelliccia, 1912年11月4日 - 1987年7月19日)は、イタリアのヴァイオリン奏者、ヴィオラ奏者。 ヴィアレッジョの生まれ。ヴァイオリン奏者だった父親から音楽の手ほどきを受け、父の死後はボローニャ音楽院でグイド・マロッティの薫陶を受けた。また、ローマ聖チェチーリア音楽院でアリゴ・セラート、ベルリン高等音楽院でカール・フレッシュの各氏から指導も受けた。1931年にローマでヴァイオリニストとして演奏活動を開始した。1942年にはサントリクイード三重奏団にヴァイオリン奏者として参加し、1956年にはローマ四重奏団にも加わったほか、ボッケリーニ五重奏団の第一ヴァイオリン奏者も務めた。 音楽教師としては、1934年からジョコンダ・デ・ヴィートの後任としてバーリ音楽院でヴァイオリンとヴィオラを教え、1939年にはナポリ音楽院、1959年には母校のローマ聖チェチーリア音楽院にそれぞれ転任して後進の指導に当たった。1976年にヨーロッパ弦楽器教育者協会のイタリア部会が設立された時には、初代会長を務めた。 ローマにて没。

Property Value
dbo:abstract
  • アリーゴ・ペリッチャ(Arrigo Pelliccia, 1912年11月4日 - 1987年7月19日)は、イタリアのヴァイオリン奏者、ヴィオラ奏者。 ヴィアレッジョの生まれ。ヴァイオリン奏者だった父親から音楽の手ほどきを受け、父の死後はボローニャ音楽院でグイド・マロッティの薫陶を受けた。また、ローマ聖チェチーリア音楽院でアリゴ・セラート、ベルリン高等音楽院でカール・フレッシュの各氏から指導も受けた。1931年にローマでヴァイオリニストとして演奏活動を開始した。1942年にはサントリクイード三重奏団にヴァイオリン奏者として参加し、1956年にはローマ四重奏団にも加わったほか、ボッケリーニ五重奏団の第一ヴァイオリン奏者も務めた。 音楽教師としては、1934年からジョコンダ・デ・ヴィートの後任としてバーリ音楽院でヴァイオリンとヴィオラを教え、1939年にはナポリ音楽院、1959年には母校のローマ聖チェチーリア音楽院にそれぞれ転任して後進の指導に当たった。1976年にヨーロッパ弦楽器教育者協会のイタリア部会が設立された時には、初代会長を務めた。 ローマにて没。 (ja)
  • アリーゴ・ペリッチャ(Arrigo Pelliccia, 1912年11月4日 - 1987年7月19日)は、イタリアのヴァイオリン奏者、ヴィオラ奏者。 ヴィアレッジョの生まれ。ヴァイオリン奏者だった父親から音楽の手ほどきを受け、父の死後はボローニャ音楽院でグイド・マロッティの薫陶を受けた。また、ローマ聖チェチーリア音楽院でアリゴ・セラート、ベルリン高等音楽院でカール・フレッシュの各氏から指導も受けた。1931年にローマでヴァイオリニストとして演奏活動を開始した。1942年にはサントリクイード三重奏団にヴァイオリン奏者として参加し、1956年にはローマ四重奏団にも加わったほか、ボッケリーニ五重奏団の第一ヴァイオリン奏者も務めた。 音楽教師としては、1934年からジョコンダ・デ・ヴィートの後任としてバーリ音楽院でヴァイオリンとヴィオラを教え、1939年にはナポリ音楽院、1959年には母校のローマ聖チェチーリア音楽院にそれぞれ転任して後進の指導に当たった。1976年にヨーロッパ弦楽器教育者協会のイタリア部会が設立された時には、初代会長を務めた。 ローマにて没。 (ja)
dbo:wikiPageID
  • 4172368 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1289 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 79486587 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdfs:comment
  • アリーゴ・ペリッチャ(Arrigo Pelliccia, 1912年11月4日 - 1987年7月19日)は、イタリアのヴァイオリン奏者、ヴィオラ奏者。 ヴィアレッジョの生まれ。ヴァイオリン奏者だった父親から音楽の手ほどきを受け、父の死後はボローニャ音楽院でグイド・マロッティの薫陶を受けた。また、ローマ聖チェチーリア音楽院でアリゴ・セラート、ベルリン高等音楽院でカール・フレッシュの各氏から指導も受けた。1931年にローマでヴァイオリニストとして演奏活動を開始した。1942年にはサントリクイード三重奏団にヴァイオリン奏者として参加し、1956年にはローマ四重奏団にも加わったほか、ボッケリーニ五重奏団の第一ヴァイオリン奏者も務めた。 音楽教師としては、1934年からジョコンダ・デ・ヴィートの後任としてバーリ音楽院でヴァイオリンとヴィオラを教え、1939年にはナポリ音楽院、1959年には母校のローマ聖チェチーリア音楽院にそれぞれ転任して後進の指導に当たった。1976年にヨーロッパ弦楽器教育者協会のイタリア部会が設立された時には、初代会長を務めた。 ローマにて没。 (ja)
  • アリーゴ・ペリッチャ(Arrigo Pelliccia, 1912年11月4日 - 1987年7月19日)は、イタリアのヴァイオリン奏者、ヴィオラ奏者。 ヴィアレッジョの生まれ。ヴァイオリン奏者だった父親から音楽の手ほどきを受け、父の死後はボローニャ音楽院でグイド・マロッティの薫陶を受けた。また、ローマ聖チェチーリア音楽院でアリゴ・セラート、ベルリン高等音楽院でカール・フレッシュの各氏から指導も受けた。1931年にローマでヴァイオリニストとして演奏活動を開始した。1942年にはサントリクイード三重奏団にヴァイオリン奏者として参加し、1956年にはローマ四重奏団にも加わったほか、ボッケリーニ五重奏団の第一ヴァイオリン奏者も務めた。 音楽教師としては、1934年からジョコンダ・デ・ヴィートの後任としてバーリ音楽院でヴァイオリンとヴィオラを教え、1939年にはナポリ音楽院、1959年には母校のローマ聖チェチーリア音楽院にそれぞれ転任して後進の指導に当たった。1976年にヨーロッパ弦楽器教育者協会のイタリア部会が設立された時には、初代会長を務めた。 ローマにて没。 (ja)
rdfs:label
  • アリーゴ・ペリッチャ (ja)
  • アリーゴ・ペリッチャ (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of