ジャン・ジョセフ・マリー・ガブリエル・ド・ラトル・ド・タシニ(Jean Joseph Marie Gabriel de Lattre de Tassigny、1889年2月2日 – 1952年1月11日)は、フランスの軍人で、第二次世界大戦と第一次インドシナ戦争に将官として従軍した。死後にフランス元帥の名誉称号を追贈された。 第一次世界大戦中には将校として、ヴェルダンの戦いなどさまざまな戦闘に参加し、5回負傷し、感状8回に加えレジオンドヌール勲章や武功十字章を授与されている。戦間期にもモロッコでの戦闘に参加して戦傷を受けている。その後はフランス参謀本部員や連隊長として軍歴を重ねた。 1945年にドイツ駐留フランス軍最高司令官となり、続いて陸軍監察総監となった。 1948年から1950年まで、西ヨーロッパ連合陸軍最高司令官を務めた。1951年にはインドシナ高等弁務官、インドシナ最高司令官、フランス極東遠征軍団最高司令官に任じられ、ベトミンとの戦闘でいくつか勝利を収めた。ナムディンの戦いで一人息子ベルナールを失い、体調不良のためにパリに帰還したが、1952年に癌のため没した。国葬が行われ、その際にフランス元帥の称号を追贈された。