Property |
Value |
dbo:abstract
|
- 佐久間 実勝(さくま さねかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての茶人、旗本。諱を真勝(さねかつ)・直勝ともいう。佐久間将監の名で知られる。茶道・宗可流の開祖。 豊臣秀吉の小姓となり、のちに徳川家康から家光まで三代に仕えた。慶長9年(1608年)6月22日、従五位下伊予守に叙任。慶長14年(1609年)、名古屋城築城の普請奉行を務めた。のちに使番に列せられ、寛永9年(1632年)10月3日、作事奉行となり、同10年(1633年)12月24日に2000石を賜る。 茶人として著名であった。茶道は古田織部や小堀遠州に師事し、山隠宗可または匿藪斎と号し、晩年に京の大徳寺龍光院内に塔頭寸松庵を建立し、これを隠居所とした。前庭一面に小松を植えていたので寸松庵の名があり、この庵で愛蔵した伝紀貫之筆という12枚の色紙は『寸松庵色紙』と称され、平安時代を代表する古筆として名高い。この色紙は、もと和泉国南宗寺に存したが、実勝が烏丸光広から入手し、1枚ごとにその歌意を描いた金地扇面画を添えて帖に仕立てた。同じく堀田正吉の娘を室としていた喜多見重勝に茶道を指南した。 神奈川県横浜市中区の三渓園内に移設されている聴秋閣は元々、元和9年(1623年)に江戸幕府3代将軍徳川家光が上洛するに際し、実勝が命じられて二条城内に建造されたものである。その後、移設や改装が加えられているとされる。 室の実家である堀田氏を通じ、春日局と縁故があったと推測されており、前出の聴秋閣はのちに春日局に払い下げられ江戸に移設され、さらに春日局実家の稲葉家の藩邸に移設されて幕末に至っている。 (ja)
- 佐久間 実勝(さくま さねかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての茶人、旗本。諱を真勝(さねかつ)・直勝ともいう。佐久間将監の名で知られる。茶道・宗可流の開祖。 豊臣秀吉の小姓となり、のちに徳川家康から家光まで三代に仕えた。慶長9年(1608年)6月22日、従五位下伊予守に叙任。慶長14年(1609年)、名古屋城築城の普請奉行を務めた。のちに使番に列せられ、寛永9年(1632年)10月3日、作事奉行となり、同10年(1633年)12月24日に2000石を賜る。 茶人として著名であった。茶道は古田織部や小堀遠州に師事し、山隠宗可または匿藪斎と号し、晩年に京の大徳寺龍光院内に塔頭寸松庵を建立し、これを隠居所とした。前庭一面に小松を植えていたので寸松庵の名があり、この庵で愛蔵した伝紀貫之筆という12枚の色紙は『寸松庵色紙』と称され、平安時代を代表する古筆として名高い。この色紙は、もと和泉国南宗寺に存したが、実勝が烏丸光広から入手し、1枚ごとにその歌意を描いた金地扇面画を添えて帖に仕立てた。同じく堀田正吉の娘を室としていた喜多見重勝に茶道を指南した。 神奈川県横浜市中区の三渓園内に移設されている聴秋閣は元々、元和9年(1623年)に江戸幕府3代将軍徳川家光が上洛するに際し、実勝が命じられて二条城内に建造されたものである。その後、移設や改装が加えられているとされる。 室の実家である堀田氏を通じ、春日局と縁故があったと推測されており、前出の聴秋閣はのちに春日局に払い下げられ江戸に移設され、さらに春日局実家の稲葉家の藩邸に移設されて幕末に至っている。 (ja)
|
dbo:alias
|
- 号:山隠宗可または匿藪斎 (ja)
- 庵号・寸松庵 (ja)
- 真勝、直勝、佐久間将監 (ja)
- 号:山隠宗可または匿藪斎 (ja)
- 庵号・寸松庵 (ja)
- 真勝、直勝、佐久間将監 (ja)
|
dbo:deathDate
| |
dbo:thumbnail
| |
dbo:wikiPageID
| |
dbo:wikiPageLength
|
- 1714 (xsd:nonNegativeInteger)
|
dbo:wikiPageRevisionID
| |
dbo:wikiPageWikiLink
| |
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
| |
prop-ja:主君
| |
prop-ja:別名
|
- 号:山隠宗可または匿藪斎 (ja)
- 庵号・寸松庵 (ja)
- 真勝、直勝、佐久間将監 (ja)
- 号:山隠宗可または匿藪斎 (ja)
- 庵号・寸松庵 (ja)
- 真勝、直勝、佐久間将監 (ja)
|
prop-ja:妻
| |
prop-ja:官位
|
- 従五位下、伊予守、河内守、将監 (ja)
- 従五位下、伊予守、河内守、将監 (ja)
|
prop-ja:時代
| |
prop-ja:死没
|
- 0001-10-22 (xsd:gMonthDay)
|
prop-ja:氏名
| |
prop-ja:氏族
| |
prop-ja:父母
|
- 父:佐久間政実 (ja)
- 父:佐久間政実 (ja)
|
prop-ja:特記事項
|
- 茶道宗可流開祖 (ja)
- 茶道宗可流開祖 (ja)
|
prop-ja:生誕
| |
prop-ja:画像
|
- Sakuma Sanekatsu.jpg (ja)
- Sakuma Sanekatsu.jpg (ja)
|
prop-ja:画像サイズ
| |
prop-ja:画像説明
|
- 佐久間実勝像 (ja)
- (伝狩野探幽筆、真珠庵蔵) (ja)
- 佐久間実勝像 (ja)
- (伝狩野探幽筆、真珠庵蔵) (ja)
|
dct:subject
| |
rdf:type
| |
rdfs:comment
|
- 佐久間 実勝(さくま さねかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての茶人、旗本。諱を真勝(さねかつ)・直勝ともいう。佐久間将監の名で知られる。茶道・宗可流の開祖。 豊臣秀吉の小姓となり、のちに徳川家康から家光まで三代に仕えた。慶長9年(1608年)6月22日、従五位下伊予守に叙任。慶長14年(1609年)、名古屋城築城の普請奉行を務めた。のちに使番に列せられ、寛永9年(1632年)10月3日、作事奉行となり、同10年(1633年)12月24日に2000石を賜る。 茶人として著名であった。茶道は古田織部や小堀遠州に師事し、山隠宗可または匿藪斎と号し、晩年に京の大徳寺龍光院内に塔頭寸松庵を建立し、これを隠居所とした。前庭一面に小松を植えていたので寸松庵の名があり、この庵で愛蔵した伝紀貫之筆という12枚の色紙は『寸松庵色紙』と称され、平安時代を代表する古筆として名高い。この色紙は、もと和泉国南宗寺に存したが、実勝が烏丸光広から入手し、1枚ごとにその歌意を描いた金地扇面画を添えて帖に仕立てた。同じく堀田正吉の娘を室としていた喜多見重勝に茶道を指南した。 神奈川県横浜市中区の三渓園内に移設されている聴秋閣は元々、元和9年(1623年)に江戸幕府3代将軍徳川家光が上洛するに際し、実勝が命じられて二条城内に建造されたものである。その後、移設や改装が加えられているとされる。 (ja)
- 佐久間 実勝(さくま さねかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての茶人、旗本。諱を真勝(さねかつ)・直勝ともいう。佐久間将監の名で知られる。茶道・宗可流の開祖。 豊臣秀吉の小姓となり、のちに徳川家康から家光まで三代に仕えた。慶長9年(1608年)6月22日、従五位下伊予守に叙任。慶長14年(1609年)、名古屋城築城の普請奉行を務めた。のちに使番に列せられ、寛永9年(1632年)10月3日、作事奉行となり、同10年(1633年)12月24日に2000石を賜る。 茶人として著名であった。茶道は古田織部や小堀遠州に師事し、山隠宗可または匿藪斎と号し、晩年に京の大徳寺龍光院内に塔頭寸松庵を建立し、これを隠居所とした。前庭一面に小松を植えていたので寸松庵の名があり、この庵で愛蔵した伝紀貫之筆という12枚の色紙は『寸松庵色紙』と称され、平安時代を代表する古筆として名高い。この色紙は、もと和泉国南宗寺に存したが、実勝が烏丸光広から入手し、1枚ごとにその歌意を描いた金地扇面画を添えて帖に仕立てた。同じく堀田正吉の娘を室としていた喜多見重勝に茶道を指南した。 神奈川県横浜市中区の三渓園内に移設されている聴秋閣は元々、元和9年(1623年)に江戸幕府3代将軍徳川家光が上洛するに際し、実勝が命じられて二条城内に建造されたものである。その後、移設や改装が加えられているとされる。 (ja)
|
rdfs:label
| |
prov:wasDerivedFrom
| |
foaf:depiction
| |
foaf:isPrimaryTopicOf
| |
foaf:name
| |
is dbo:wikiPageRedirects
of | |
is dbo:wikiPageWikiLink
of | |
is prop-ja:兄弟
of | |
is prop-ja:子
of | |
is owl:sameAs
of | |
is foaf:primaryTopic
of | |