吉田 兼好(よしだ けんこう)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。治部少輔・の子。本名は卜部 兼好(うらべ かねよし/うらべ の かねよし)。鎌倉および京都に足跡を残す。旧来、吉田神社の神官の家系である吉田流卜部氏の系譜に連なると考えられてきたが、資料の見直しにより、その根拠となる家系図が吉田兼倶による捏造ではないかという見解がある。吉田神社の系譜に連なるという説に基づき江戸時代以降は吉田兼好と通称されるようになった。また出家したことから兼好法師(けんこうほうし)あるいは単に兼好(けんこう)とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書では「兼好法師」と表記される。日本三大随筆の一つとされる『徒然草』の作者。私家集に『兼好法師家集』。