吉良 満貞(きら みつさだ、? - 元中元年/至徳元年9月5日(1384年9月20日))は、南北朝時代の武将。西条吉良氏(上吉良)の祖。西条城城主。幼名三郎。通称上総三郎。右京大夫、治部大輔から従四位下・左兵衛佐に叙任された。 弟に下吉良氏の祖となる義貴(尊義)など。妻は渋川義季の娘。子は吉良俊氏、娘(斯波義将室)。 強硬な足利直義方として行動した。のち、幕府に帰参。この頃には、弟の義貴が既に父・満義の後継としており、以後、吉良氏は東西に分かれる。