曹 賢順(そう けんじゅん、生没年不詳)は、北宋時期の曹氏帰義軍節度使の八代目である。曹宗寿の子である。曹宗寿の死後、曹賢順が位を継いだ。 宋の真宗の大中祥符7年(1014年)、帰義軍留後の曹賢順を帰義軍節度使とした。 遼の開泰8年(すなわち北宋の天禧3年、1019年)正月壬戌、聖宗は沙州節度使の曹賢順を敦煌郡王にした。 天禧4年(1020年)と天聖元年(1023年)、曹賢順は二度北宋の朝廷に朝貢している。 天聖元年(1023年)以降、曹氏帰義軍政権の名は、史籍の中から消失している。曹氏政権は、天聖6年(1028年)から景祐2年(1035年)の間に、西夏によって滅ぼされたと考えられている。
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