朱 泚(しゅ せい、ピンイン:zhū cǐ、742年 - 784年)は、唐代の部将であり朱泚の乱の指導者。当初は唐の盧龍軍節度使であったが、後に長安に仕えた。弟のが造反したために長安に留められたことから反感を抱き、徳宗が長安から避難すると大秦(後に漢と改名)の皇帝に即位し、元号を天皇とした。784年に李晟などに敗けて長安を逃げ、配下に殺害された。