李鴻章狙撃事件(りこうしょうそげきじけん)は、1895年(明治28年)3月24日、日清戦争の講和交渉をおこなうために日本の山口県赤閒関市(現、下関市)を訪れていた清国の直隷総督・北洋大臣にして内閣大学士首揆であった交渉全権大臣李鴻章が、同地において日本人青年小山豊太郎によって狙撃され、重傷を負った暗殺未遂事件。講和交渉中のできごとであったため、下関条約の内容や調印時期等にも影響をあたえた。