津田 梅子(つだ うめこ、1864年12月31日〈元治元年12月3日〉- 1929年〈昭和4年〉8月16日)は、日本の教育者。日本初の女子留学生の一人。女子英学塾(現:津田塾大学)の創設者であり、日本における女子教育の先駆者と評価される。また、欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性である。聖公会の信徒。 初名はうめ(「むめ」と書いた)。戸籍上は梅であったが、1902年(明治35年)に父である津田仙の戸籍から分籍した際に梅子に改めた。