相馬大作事件(そうまだいさくじけん)は、文政4年4月23日(1821年5月24日)に、南部藩士・下斗米秀之進(しもとまい ひでのしん)を首謀者とする数人が、参勤交代を終えて江戸から帰国の途についていた津軽藩主・津軽寧親を襲撃した事件。 秀之進の用いた別名である相馬大作が事件名の由来である。背景には津軽藩との家格問題がある。大作は藩主の無念を晴らすため、寧親を隠居に追い込み昇進を阻止しようと考えた。 この事件は「相馬大作事件」、「檜山騒動」と名付けられ、中央では講談や狂歌となり世間の注目を浴びた。物語本はあるが、公の記録はほとんどない。それは大作が津軽藩主を襲撃したことだけを広めたかったからだと考えられる。