稲葉 蛟児(いなば こうじ、1904年2月11日 -1989年9月2日)は、日本の映画監督、脚本家である。出生名稲葉 義信(いなば よしのぶ)、戸籍上は母姓の上田 義信(うえだ よしのぶ)であった。脚本家としては物部 晋太郎(もののべ しんたろう)等、監督としては一時稲葉 大三郎(いなば だいざぶろう)を名乗った。昭和初年のマキノ・プロダクションの新人監督であり、同社の解散後は永年インディペンデント畑を歩き、トーキー時代になってもサイレント映画の娯楽剣戟を手がけ続けた。