薩摩藩の長崎商法(さつまはんのながさきしょうほう)は琉球貿易によって中国から入手した漢方薬種等の中国製品(唐物)を、困窮状態に陥っていた琉球王国救援の名目で幕府公認のもと、薩摩藩が長崎で販売する事業である。文化10年(1810年)に5年間の期限付きで公認された後、期限延長と規模の拡大を繰り返したが、正規の長崎貿易を阻害する弊害が大きく、天保7年(1836年)にいったん停止が決定される。薩摩藩側からの復活運動の結果、弘化3年(1846年)に復活となり、開国による長崎開港後の文久3年(1863年)まで継続していたことが確認されている。