謝名 利山(じゃな りざん、嘉靖28年(1549年/天文18年) - 万暦39年9月19日(1611年10月24日/慶長15年))は、琉球王国の政治家。三司官として対日本外交で強硬姿勢をとり、1609年の琉球侵攻の後、処刑される。謝名親方(じゃなうぇーかた)の呼び方で一般に知られる。唐名は鄭迵(ていどう)。