趙 儼(ちょう げん、171年-245年夏6月)は、中国後漢末期から三国時代の武将・政治家。字は伯然。豫州潁川郡陽翟県(現在の河南省許昌市禹州市)の人。子は趙亭。 『三国志』魏志「和常楊杜趙裴伝」に伝がある。また、裴松之によると、『魏略』では徐福・厳幹・李義・張既・游楚・梁習・裴潜・韓宣・黄朗と同じ巻に収録されていたという(『三国志』魏志「裴潜伝」注)。