足利 義尚(あしかが よしひさ)は、室町時代後期の室町幕府第9代征夷大将軍(在職:文明5年(1473年)-長享3年 (1489年)。 『尊卑分脈』や『足利家官位記』により、晩年に義煕(あるいは義凞)(よしひろ)と改名したことが確認できるが、一般的には義尚の名で知られる。応仁の乱では、叔父の足利義視と将軍職をめぐる対立候補として擁立された。乱後は衰退した幕府権力を回復すべく、六角征伐などの積極的な幕政改革を行なったが、在陣していた近江国の陣中にて病死した。