軽井沢銀山(かるいざわぎんざん)は、かつて福島県河沼郡柳津町軽井沢にあった銀山(現在は閉山)である。 戦国時代後期から明治時代中期にかけて採掘されていた日本屈指の銀山であり、江戸時代の飢饉による閉山の際などは会津藩が手厚く保護し、その後も藩の台所の一翼を担い続けた。最盛期には、1000戸の家々が軒をつらね、郵便局や刑務所、やや離れた傾城沢には遊廓もあった。銀が100貫とれた年は櫓が建てられ、「月が出た出た銀山峠 煙でよごれて化粧なおし 月が出たよだ銀山峠 さぞや馬子さんあかりかろ」と踊りがたったという。昭和に入って日本鉱業によって再調査されたが、事業再開には至っていない。今でこそ「軽井沢」と書くが、古くは「軽ィ沢」と書いたが、西会津町の「軽沢(かるさわ)」と紛らわしいため今の字を当てたという。