長岡空襲(ながおかくうしゅう)は、第二次世界大戦(大東亜戦争)末期の1945年8月1日の日本時間午後10時30分から翌8月2日の未明午前0時10分の間に、アメリカ軍により行われた空襲。新潟県長岡市の中心部市街地を標的に焼夷弾が大量に投下された。これにより中心部市街地の約8割が焼失し、長岡市長だった鶴田義隆を含む1480人余りの市民が死亡した。罹災戸数は11986戸にも及ぶ。 これを慰霊して平潟公園には長岡市戦災殉難者慰霊塔が、昌福寺には戦災殉難者之墓が建立された。また、長岡空襲に関する施設として長岡戦災資料館が開館している。