阿史那 骨咄禄(呉音:あしな こちとちろく、漢音:あしだ こつとつろく、拼音:Āshǐnà Gŭduōlù、Ašina Qutluγ、? - 692年)は、東突厥の第二可汗国期の初代可汗。 頡利可汗の族人。一時、唐によって滅ぼされた東突厥を復興させる(俗に突厥第二可汗国、突厥第二帝国と呼ばれる)。彼の事績は『オルホン碑文』にも刻まれており、クトゥルグ(Qutluγ:“幸得たる者”の意)またはイルティリシュ・カガン(古テュルク語: - İltiriš qaγan:“国家を糾合した可汗”の意)の名で知られる。史書によっては骨吐禄、骨篤禄とも表記される。