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- 阿部 正甫(あべ まさはる)は、江戸時代中期の旗本。武蔵忍藩主阿部正能の三男・阿部正房の子。 元禄15年(1702年)、3000石の旗本阿部正房の六男として生まれる。叔父阿部正員の養嗣子となり、享保13年(1728年)10月9日、家督を継ぎ小普請に列する。同年12月7日、将軍徳川吉宗にはじめて御目見する。享保16年(1731年)5月15日、使番となり、同年12月28日に布衣の着用を許可された。享保19年(1734年)6月3日からを兼任。享保20年(1735年)6月22日に目付、元文4年(1739年)10月15日、小普請組支配に転任する。 元文5年(1740年)10月29日、同僚・永井尚方の家臣嶋田八十之助常政が領地の農民に訴えられる事件がおこった際、正甫は常政の取り調べが済んでいないにもかかわらず勝手に裁許し、常政へいい加減な刑罰を下したことにより、永井と共に拝謁を止められた。同12年12月6日に赦される。 寛保3年(1743年)6月12日、小姓組番頭となり、同年12月21日、従五位下・伯耆守に叙任された。延享5年(1748年)1月28日には[[書院番{書院番頭]]となるが、宝暦2年12月11日(1753年)、部下の(内膳)が武士としてあるまじき行為をしているのにすぐさま訴え出なかった失態によって小普請へ左遷されたうえ、閉門の処分を受ける。翌3年(1753年)5月12日に赦された。 宝暦4年(1754年)7月4日、死去。享年53。家督は養嗣子の正実(三男)が継いだ。 (ja)
- 阿部 正甫(あべ まさはる)は、江戸時代中期の旗本。武蔵忍藩主阿部正能の三男・阿部正房の子。 元禄15年(1702年)、3000石の旗本阿部正房の六男として生まれる。叔父阿部正員の養嗣子となり、享保13年(1728年)10月9日、家督を継ぎ小普請に列する。同年12月7日、将軍徳川吉宗にはじめて御目見する。享保16年(1731年)5月15日、使番となり、同年12月28日に布衣の着用を許可された。享保19年(1734年)6月3日からを兼任。享保20年(1735年)6月22日に目付、元文4年(1739年)10月15日、小普請組支配に転任する。 元文5年(1740年)10月29日、同僚・永井尚方の家臣嶋田八十之助常政が領地の農民に訴えられる事件がおこった際、正甫は常政の取り調べが済んでいないにもかかわらず勝手に裁許し、常政へいい加減な刑罰を下したことにより、永井と共に拝謁を止められた。同12年12月6日に赦される。 寛保3年(1743年)6月12日、小姓組番頭となり、同年12月21日、従五位下・伯耆守に叙任された。延享5年(1748年)1月28日には[[書院番{書院番頭]]となるが、宝暦2年12月11日(1753年)、部下の(内膳)が武士としてあるまじき行為をしているのにすぐさま訴え出なかった失態によって小普請へ左遷されたうえ、閉門の処分を受ける。翌3年(1753年)5月12日に赦された。 宝暦4年(1754年)7月4日、死去。享年53。家督は養嗣子の正実(三男)が継いだ。 (ja)
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- 兵庫(早世)、正興、千之助、万之助、岩之丞、正甫、女(戸田氏常室)、宝蓮院(阿部正喬養女、間部詮言正室)、女 (ja)
- 兵庫(早世)、正興、千之助、万之助、岩之丞、正甫、女(戸田氏常室)、宝蓮院(阿部正喬養女、間部詮言正室)、女 (ja)
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- 正室:阿部正員の娘 (ja)
- 正室:阿部正員の娘 (ja)
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- 実子:娘(正実の正室)、娘、万吉、正恭 (ja)
- 養子:正実 (ja)
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- 江戸幕府 使番兼火事場見廻役、小姓組番頭、書院番頭 (ja)
- 江戸幕府 使番兼火事場見廻役、小姓組番頭、書院番頭 (ja)
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- 父:阿部正房、母:不明、養父:阿部正員 (ja)
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- 元禄15年(1702年) (ja)
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- 阿部 正甫(あべ まさはる)は、江戸時代中期の旗本。武蔵忍藩主阿部正能の三男・阿部正房の子。 元禄15年(1702年)、3000石の旗本阿部正房の六男として生まれる。叔父阿部正員の養嗣子となり、享保13年(1728年)10月9日、家督を継ぎ小普請に列する。同年12月7日、将軍徳川吉宗にはじめて御目見する。享保16年(1731年)5月15日、使番となり、同年12月28日に布衣の着用を許可された。享保19年(1734年)6月3日からを兼任。享保20年(1735年)6月22日に目付、元文4年(1739年)10月15日、小普請組支配に転任する。 元文5年(1740年)10月29日、同僚・永井尚方の家臣嶋田八十之助常政が領地の農民に訴えられる事件がおこった際、正甫は常政の取り調べが済んでいないにもかかわらず勝手に裁許し、常政へいい加減な刑罰を下したことにより、永井と共に拝謁を止められた。同12年12月6日に赦される。 寛保3年(1743年)6月12日、小姓組番頭となり、同年12月21日、従五位下・伯耆守に叙任された。延享5年(1748年)1月28日には[[書院番{書院番頭]]となるが、宝暦2年12月11日(1753年)、部下の(内膳)が武士としてあるまじき行為をしているのにすぐさま訴え出なかった失態によって小普請へ左遷されたうえ、閉門の処分を受ける。翌3年(1753年)5月12日に赦された。 (ja)
- 阿部 正甫(あべ まさはる)は、江戸時代中期の旗本。武蔵忍藩主阿部正能の三男・阿部正房の子。 元禄15年(1702年)、3000石の旗本阿部正房の六男として生まれる。叔父阿部正員の養嗣子となり、享保13年(1728年)10月9日、家督を継ぎ小普請に列する。同年12月7日、将軍徳川吉宗にはじめて御目見する。享保16年(1731年)5月15日、使番となり、同年12月28日に布衣の着用を許可された。享保19年(1734年)6月3日からを兼任。享保20年(1735年)6月22日に目付、元文4年(1739年)10月15日、小普請組支配に転任する。 元文5年(1740年)10月29日、同僚・永井尚方の家臣嶋田八十之助常政が領地の農民に訴えられる事件がおこった際、正甫は常政の取り調べが済んでいないにもかかわらず勝手に裁許し、常政へいい加減な刑罰を下したことにより、永井と共に拝謁を止められた。同12年12月6日に赦される。 寛保3年(1743年)6月12日、小姓組番頭となり、同年12月21日、従五位下・伯耆守に叙任された。延享5年(1748年)1月28日には[[書院番{書院番頭]]となるが、宝暦2年12月11日(1753年)、部下の(内膳)が武士としてあるまじき行為をしているのにすぐさま訴え出なかった失態によって小普請へ左遷されたうえ、閉門の処分を受ける。翌3年(1753年)5月12日に赦された。 (ja)
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