高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵の父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。 開削から1920年(大正9年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。名称はこの水運に用いる「高瀬舟」にちなんでいる。 現在は鴨川によって京都側と伏見側に分断されており、上流側を高瀬川(普通河川高瀬川)、下流側を東高瀬川(一級河川東高瀬川)、新高瀬川と呼ぶ。京都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺には花街・先斗町があり京都の盛り場の一つとなっており、桜の名所ともなっている。また、かつては多くの舟入、船回し(回転場所)があったが、今は一之舟入を残すのみである。なお、運河はすでに廃止されており、廃止後は京都市が管理する河川となっている。

Property Value
dbo:abstract
  • 高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵の父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。 開削から1920年(大正9年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。名称はこの水運に用いる「高瀬舟」にちなんでいる。 現在は鴨川によって京都側と伏見側に分断されており、上流側を高瀬川(普通河川高瀬川)、下流側を東高瀬川(一級河川東高瀬川)、新高瀬川と呼ぶ。京都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺には花街・先斗町があり京都の盛り場の一つとなっており、桜の名所ともなっている。また、かつては多くの舟入、船回し(回転場所)があったが、今は一之舟入を残すのみである。なお、運河はすでに廃止されており、廃止後は京都市が管理する河川となっている。 (ja)
  • 高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵の父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。 開削から1920年(大正9年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。名称はこの水運に用いる「高瀬舟」にちなんでいる。 現在は鴨川によって京都側と伏見側に分断されており、上流側を高瀬川(普通河川高瀬川)、下流側を東高瀬川(一級河川東高瀬川)、新高瀬川と呼ぶ。京都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺には花街・先斗町があり京都の盛り場の一つとなっており、桜の名所ともなっている。また、かつては多くの舟入、船回し(回転場所)があったが、今は一之舟入を残すのみである。なお、運河はすでに廃止されており、廃止後は京都市が管理する河川となっている。 (ja)
dbo:thumbnail
dbo:wikiPageExternalLink
dbo:wikiPageID
  • 235539 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 8311 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 92069741 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-en:date
  • 2022 (xsd:integer)
prop-en:section
  • 1 (xsd:integer)
prop-en:wikiPageUsesTemplate
prop-en:名称
  • 高瀬川 (ja)
  • 高瀬川 (ja)
prop-en:延長
  • 9.700000 (xsd:double)
prop-en:標高
  • -- (ja)
  • -- (ja)
prop-en:水源
prop-en:水系
prop-en:水系等級
prop-en:河口
prop-en:流域
  • 京都府京都市 (ja)
  • 京都府京都市 (ja)
prop-en:流域面積
  • -- (ja)
  • -- (ja)
prop-en:流量
  • -- (ja)
  • -- (ja)
prop-en:画像
  • 300 (xsd:integer)
prop-en:画像説明
  • 高瀬川と木屋町通 (ja)
  • 高瀬川と木屋町通 (ja)
dct:subject
rdf:type
rdfs:comment
  • 高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵の父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。 開削から1920年(大正9年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。名称はこの水運に用いる「高瀬舟」にちなんでいる。 現在は鴨川によって京都側と伏見側に分断されており、上流側を高瀬川(普通河川高瀬川)、下流側を東高瀬川(一級河川東高瀬川)、新高瀬川と呼ぶ。京都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺には花街・先斗町があり京都の盛り場の一つとなっており、桜の名所ともなっている。また、かつては多くの舟入、船回し(回転場所)があったが、今は一之舟入を残すのみである。なお、運河はすでに廃止されており、廃止後は京都市が管理する河川となっている。 (ja)
  • 高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵の父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。 開削から1920年(大正9年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。名称はこの水運に用いる「高瀬舟」にちなんでいる。 現在は鴨川によって京都側と伏見側に分断されており、上流側を高瀬川(普通河川高瀬川)、下流側を東高瀬川(一級河川東高瀬川)、新高瀬川と呼ぶ。京都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺には花街・先斗町があり京都の盛り場の一つとなっており、桜の名所ともなっている。また、かつては多くの舟入、船回し(回転場所)があったが、今は一之舟入を残すのみである。なお、運河はすでに廃止されており、廃止後は京都市が管理する河川となっている。 (ja)
rdfs:label
  • 高瀬川 (京都府) (ja)
  • 高瀬川 (京都府) (ja)
owl:sameAs
prov:wasDerivedFrom
foaf:depiction
foaf:homepage
foaf:isPrimaryTopicOf
foaf:name
  • 高瀬川 (ja)
  • 高瀬川 (ja)
is dbo:wikiPageDisambiguates of
is dbo:wikiPageRedirects of
is dbo:wikiPageWikiLink of
is prop-en:footer of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of