阪急百貨店
阪急百貨店うめだ本店 Hankyu | |
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店舗概要 | |
所在地 | 大阪府大阪市北区角田町8番7号 |
開業日 | 1929年4月15日 |
延床面積 | 140,000 m² |
商業施設面積 | 84,000 m² |
最寄駅 | 阪急梅田駅 |
阪急MEN'S TOKYO Hankyu MEN'S TOKYO | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒100-0006 東京都千代田区有楽町二丁目5番1号 |
開業日 | 1984年10月6日 |
商業施設面積 | 11,206 m² |
最寄駅 | JR有楽町駅 |
統一阪急台北店 | |
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店舗概要 | |
所在地 | 台湾台北市 |
開業日 | 2010年10月 |
敷地面積 | 16,800 m² |
延床面積 | 144,000 m² |
商業施設面積 | 26,000 m² |
駐車台数 | 480台台 |
阪急百貨店(はんきゅうひゃっかてん)は、エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社傘下の株式会社阪急阪神百貨店が運営する日本の百貨店。創業者は小林一三で大阪の梅田に本店を置く。かつての運営会社は株式会社阪急百貨店だったが、2008年(平成20年)10月1日付で株式会社阪神百貨店と合併し、株式会社阪急阪神百貨店となった。
概要
詳細
1920年(大正9年)に東京・日本橋の老舗呉服店系百貨店・白木屋を「出張売店」として招致し開店したが、1929年に鉄道会社直営に切り替える形で創業した日本初の電鉄系百貨店であり、白木屋の出張売店の出店から考えると世界初のターミナルデパート。また百貨店食堂の走り(百貨店初の食堂は1904年の白木屋)としてライスカレー・ソーライス等を庶民に提供したり沿線の行楽に向かう人々への弁当販売を手がける等、今日のターミナルデパートの雛形となった存在としても知られる。
今日でも「阪急うめだ本店」(大阪市北区)は沿線の豊かさを背景に関西一の売り上げを誇る。また、健康・スポーツ・アウトドアなどをテーマとする「イングス館」(本店の別館)や2008年2月にオープンしたメンズ館(HEP NAVIOの地下1階から5階)がある。ちなみにメンズ館の売場面積は、「伊勢丹新宿店メンズ館」を抜いて日本最大である。
2008年11月26日には阪急西宮スタジアム跡地に建設されたショッピングセンター「阪急西宮ガーデンズ」の核テナントとして新店舗を開店した[1]。
また2011年3月3日には、福岡県の九州旅客鉄道(JR九州)博多駅新駅ビル(JR博多シティ)の核テナントとして地上8階 - 地下1階部分に新店舗「博多阪急」を開店した[2]。
阪急うめだ本店の大規模な建て替えプロジェクト
1929年に創業した地上9階 - 地下1階で第1期から第8期(第9期分は阪急グランドビルとして開業)に分けて増築された阪急うめだ本店(梅田阪急ビル)は老朽化や大阪2011年問題をにらみ耐震性を高めた複合ビル(新・梅田阪急ビル)として全面的に建て替えることが決定され[3]、第1期工事として2006年7月より、店舗の北側半分を残す形での営業と南側部分の取壊し・建替え工事が行なわれた。
なお、それに先立つ2005年9月13日には、シャンデリアや伊東忠太による壁画など優美な装飾で約75年間にわたり親しまれた、1階旧阪急梅田駅地上駅コンコースの天井が、同日限りで歴史に幕を下ろした。シャンデリアと壁画は取り外した上で保管され新ビルにモニュメントとして使われるほか、新ビル自体にかつてのコンコースを髣髴させる空間を設置するという情報もある[4]。ただしシャンデリアは、建設当時のものとは異なっている(当時の写真等より)。
第1期工事が行なわれてから3年後の2009年9月3日には、南側部分に当たる百貨店の新店舗・第1期分(地上12階 - 地下2階)が先行開業した。そして2010年4月1日には、41階建てのオフィスタワーを含め、南側部分が竣工し、その後同年5月6日に全面開業した(個々のテナントは、順次オープンの予定)。
北側部分については、2009年8月31日に百貨店の売場を閉鎖した後、百貨店の新店舗・第1期分(南側部分)が先行開業した2009年9月より、取り壊し・建替えが行われている。そして北側部分の竣工を含めた、梅田阪急ビル全館の建替工事は、2012年春に完成する予定であったが、地下の構造物の撤去に予想以上に期間を要し、地盤整備工事が構想通りに進捗していないとして、2012年度中の完成予定(開業日は未定)に延期することとなった[5][6]。
建て替え後の梅田阪急ビルは地上41階 - 地下2階(高さ187メートル)、延べ床面積が25万2000平方メートルとなる予定であり、阪急うめだ本店が同ビルの低層階部分(地上13階~地下2階)に再入居することで営業面積を6万平方メートルから8万4000平方メートルへと拡大する予定である。これによって日本最大級[7]の百貨店になる。また、地下1階部分の不自然な盛り上がりや、周辺地下街との段差(いずれも建設時期の関係によってできたもの)も解消することとなる。
店舗
関西
- 阪急うめだ本店(梅田駅前)
- 通称「うめだ阪急」。地元や雑誌等では、「うめだ阪急」を略して「うめ阪(はん)」とも呼ばれている。ファッションやコスメ・ビューティー関連の商品力においては関西随一と言われ、「東の新宿伊勢丹・西のうめだ阪急」と呼ばれるほど(一時期、伊勢丹と阪急百は業務提携をしていたが、現在は提携を解消した)、女性ファッションの流行発信基地として幅広い年齢層の女性に人気の高い店舗である。
- 2008年9月30日までは(株式会社阪急百貨店の)「大阪・うめだ本店」と称していたが、会社合併の際の百貨店ブランド維持方針に基づき(すなわち「阪神百貨店梅田本店」との兼ね合いから)「阪急うめだ本店」に2008年10月1日に改称された。
- メンズ館
- イングス館
- スポーツ用品を取り扱う別館。ingsというネオンサインが目印。1982年開業。かつての名称は「阪急イングス」であったが、現在は「阪急百貨店イングス館」である。
- 2009年9月3日からは、地下1階 - 地下2階に子供服売場が本館より移設され、それに伴いスポーツ用品売場は地上1階 - 3階までとなった。
- 2012年内(開店日は未定)の、うめだ本店の増床グランドオープンに合わせて、スポーツ用品・子供服売場が移設されることにより、イングス館を閉鎖する予定としている。
- かつての阪急ドラマシリーズでは、「阪急イングス」単体でCMが放送されていた。キャッチコピーは「何か始めたい人、どこか物足りない人、イングスならもっと夢中になれること、ずっと夢中になれること、(阪急)イングス」であった。
- 神戸阪急(JR神戸線神戸駅前、神戸ハーバーランドキャナルガーデン内) 売場面積 33,278㎡
- 西宮阪急(阪急神戸線・今津線西宮北口駅前、阪急西宮ガーデンズ内) 売場面積 25,000㎡
- 宝塚阪急(阪急宝塚線・今津線宝塚駅前、ソリオ宝塚内)売場面積 7,191㎡
- 川西阪急(阪急宝塚線川西能勢口駅前、アステ川西内)売場面積 15,528㎡
- 千里阪急(北大阪急行電鉄千里中央駅前、千里ニュータウン内) 売場面積 13,771㎡
- 堺 北花田阪急(大阪市営地下鉄御堂筋線北花田駅前、イオンモール堺北花田プラウ内) 売場面積 16,000㎡
- 三田阪急(JR宝塚線・神戸電鉄三田駅前、キッピーモール内)
関東
- 阪急大井町ガーデン
- 2011年3月16日 - 関東進出1号店舗の、大井阪急が「阪急大井町ガーデン」として2014年開業を目指して建て替えを行っているが、2期に分けて開発中の第一期開発部分を同日開店。ビジネスホテルのアワーズイン阪急(こちらも新築移転)とショッピングセンターの阪急百貨店 大井食品館を内包している。
- 阪急MEN'S TOKYO(旧:有楽町阪急)有楽町駅前、有楽町マリオン 売場面積 11,206㎡
- 1984年10月の有楽町マリオン開業と同時に「有楽町阪急」として開店。主に20代、30代以上の女性をターゲットとし女性向けファッションを中心に扱っていた。また開店時には、「マリオン現象」とも呼ばれ話題となった。
- かつては有楽町西武と通路を挟んで地下食料品売り場が存在した。
- 2011年1月20日、同年秋に男性向け衣料品専門館「阪急MEN'S TOKYO」に全面改装されることが発表された。近年の銀座地区の商業競争激化に加え、2010年12月25日に隣接の西武有楽町店が閉店し、その跡地にJR東日本グループのファッションビルであるルミネが、2011年10月28日に開店することになり、競争激化が予想されたことで、同年7月中旬から一時休業の上、改装・業態転換が行われた[8][9]。
- 2011年10月15日に改装・業態転換が完成し、「阪急MEN'S TOKYO」が開業した。キャッチフレーズは「世界が舞台の、男たちへ。」、またイメージキャラクターには、歌舞伎俳優の市川海老蔵が起用された。
- 都筑阪急 横浜市営地下鉄センター北駅前、モザイクモール港北 売場面積 17,511㎡
- 2000年3月17日に開業。関東地区における阪急百貨店各店において、2011年11月現在、唯一の総合百貨店業態の店舗となっている。
九州
日本国外
今後の予定
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- 2012年3月11日 - 神戸阪急が閉店。
- 2012年 - 同年内(開店日は未定)に、阪急うめだ本店が新ビル(新梅田阪急ビル)内で全面開店。同時にスポーツ用品・子供服売場を移設することにより、イングス館を閉鎖[10]。
かつて存在した店舗
- 四条河原町阪急(阪急京都線河原町駅前)売場面積 8,909m²
- 大井阪急食品館(元:大井阪急)(大井町駅前)
- 2008年3月31日をもって一旦閉店した。なお隣接するアワーズイン阪急(ビジネスホテル)は、大井阪急跡地に建設される新ホテルが開業(2011年春)するまで引き続き営業していた。そして、2014年開業を目指して開発されている阪急大井町ガーデン内に2011年3月16日、百貨店・一部のホテル棟が再出店した。
- 数寄屋橋阪急(銀座駅前)
- 三宮阪急(三宮駅、神戸阪急ビル東館)
- 1992年までは「神戸阪急」と称していたが、ハーバーランドに神戸阪急を新規出店する際に三宮阪急に改称。地階で食料品を、1階で服飾品を取り扱う小型店舗であった。阪神・淡路大震災で神戸阪急ビル東館被災(建物の大部分は解体されたが三宮阪急の部分はほぼ無傷で震災後も数日間は営業していた)修復工事のため退去、そのまま閉店となった。地階の店舗跡は現在、いかりスーパー阪急三宮店が営業している。
- 天満橋阪急(元:京阪デパート跡)
- 天満橋支店は第二次世界大戦中の戦時企業統合政策(陸上交通事業調整法)下で阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併し京阪神急行電鉄が発足したため(1943年)旧・天満橋駅ビルの建物自体が旧・京阪電気鉄道から京阪神急行電鉄へと所有権が移り、1946年に「天満橋マーケット」として営業を開始。阪急百貨店が京阪神急行電鉄から分離独立した1947年には「阪急百貨店天満橋支店」として開業。1949年に京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄から分離独立した後もそのまま営業していた。その後1961年に京阪電気鉄道が天満橋から淀屋橋への地下新設路線を延伸する際に旧・天満橋駅ビルの下を通ることとなり建物自体を取り壊すために営業を終了、店舗を閉鎖した。
沿革
阪神急行電鉄→京阪神急行電鉄直営時代
- 1925年6月1日 - 阪神急行電鉄梅田駅(現・阪急電鉄梅田駅)に隣接した阪急ビル(梅田阪急ビル)に阪急直営マーケットを開業。
- 1929年4月15日 - 鉄道会社直営のターミナルデパートとしては世界初の阪急百貨店(現・うめだ本店)を創業した。
- 1936年4月11日 - 阪神急行電鉄神戸駅(現・阪急電鉄三宮駅)ターミナルビルに神戸阪急が開店。
(初代)株式会社阪急百貨店
- 1947年3月 - 京阪神急行電鉄より分離独立し、株式会社阪急百貨店設立(初代社長に京阪神急行電鉄の清水雅が就任)。同年4月1日に株式会社阪急百貨店として開業。
- 1953年11月23日 - 国鉄大井町駅(現・JR大井町駅)前に大井阪急が開店。
- 1956年5月29日 - 数寄屋橋阪急(東芝銀座ビル内)が開店。
- 1970年3月11日 - 北大阪急行電鉄千里中央駅隣接地に千里阪急が開店。
- 1976年10月15日 - 阪急電鉄河原町駅隣接地に四条河原町阪急が開店。
- 1982年10月8日 - 阪急電鉄梅田駅東側に阪急イングスが開店。
- 1984年10月6日 - 国鉄有楽町駅(現・JR有楽町駅)前に有楽町阪急が開店。
- 1989年4月4日 - 阪急電鉄川西能勢口駅前に川西阪急が開店。
- 1992年10月1日 - 神戸ハーバーランドに神戸阪急が開店。これを機に、三宮駅にあった神戸阪急は三宮阪急となる。
- 1993年4月15日 - 阪急電鉄宝塚駅新ターミナルビル内に宝塚阪急が開店。
- 1995年1月17日 - 阪神・淡路大震災により三宮阪急が被災(そのまま閉店)。
- 2000年
- 2003年3月1日 - 阪急共栄物産株式会社を合併。
- 2004年
- 2005年
- 2006年
- 7月11日 - うめだ本店南側部分の取り壊し開始。
- 9月1日 - 阪急オアシス、阪急ファミリーストア、阪急ニッショーストアなど計8社を完全子会社とする中間持株会社「阪食」を設立し阪急食品工業と分担して阪食の株主となる。
(2代目)株式会社阪急百貨店
- 2007年10月1日 - (初代)株式会社阪急百貨店が純粋持株会社「エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社」へ移行するのに伴い会社分割(新設分割)により(2代目)株式会社阪急百貨店が設立され、阪急百貨店の事業を承継。
- 2008年3月31日 - 大井阪急食品館が再開発のため閉店。
株式会社阪急阪神百貨店
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 8月22日 - 四条河原町阪急が閉店。
- 2011年
阪急阪神百貨店吹奏楽団
1960年に創設された阪急百貨店吹奏楽団が前身。阪急阪神百貨店グループに勤務する従業員のみで構成される職場バンドである。2008年10月1日、阪神百貨店との合併により現在の名称に変更された。
全日本吹奏楽コンクールの常連で、アマチュア吹奏楽団としては名実共に日本一の実力と伝統を誇る。かつては団員の育成機関として阪急商業学園を擁し、阪急少年音楽隊(現早稲田摂陵高等学校吹奏楽コース)としてのセミプロ的活動も活発に行われていた。 また阪急ブレーブスの存続時には西宮球場での応援歌演奏も担当していた。
プロ野球の優勝・応援セールの扱い
- 1967年の初優勝以来、阪急ブレーブス(後オリックスブレーブス→オリックスブルーウェーブ→オリックスバファローズ)が優勝した年(1968年・1969年・1971年・1972年・1975年-1978年・1984年)には、パ・リーグや日本選手権シリーズで優勝した直後から、梅田店店頭に吊るされたくす玉を割り、盛大な優勝記念セールを開催した。
- しかし1988年を最後に、オリエントリース(現オリックス)に譲渡されて以後は、オリックスの優勝セールは神戸店のみの実施となった反面、百貨店と球団が同一グループでなくなったため、そごう・大丸等神戸市内に店舗を構える同業者も参入していた。2003年と2005年に阪神タイガースがセ・リーグ優勝を決めた際に「大阪バンザイセール」を開催したことがある。これは阪神と阪急が当時競合関係にあったため[13]、阪神球団から「タイガース優勝セール」の使用許諾が得られず、直接的に「タイガース」と表現できなかったからである。
- その後2008年10月には、前年2007年10月に経営統合した持株会社・エイチ・ツー・オーリテイリング傘下の百貨店事業会社が合併し「阪急阪神百貨店」が発足したことで、その合併記念セールの一環として、「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(セントラルリーグ・クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で開催された。
- また2010年にも阪神タイガースが、同年度のセントラルリーグの公式戦での順位が2位に確定したことにより、同年10月9日から12日まで「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で行われた。
- 博多阪急では、2011年10月2日~8日に「祝・リーグ優勝 目指せ日本一応援SALE」と題して福岡ソフトバンクホークスの優勝セールを開催した。阪神タイガースとはリーグが違う事や、地域性を考慮しての実施と思われる[14]。
脚注
- ^ 西宮阪急
- ^ 2011年春、九州初上陸~博多出店~
- ^ 阪急百貨店うめだ本店建て替えプロジェクト
- ^ 朝日新聞大阪版2007年4月7日付「ぷらっと沿線紀行」など
- ^ 阪急梅田本店の開業延期 12年春から1年遅れも 産経新聞 2011年4月22日
- ^ 阪急百貨店うめだ本店、12年春の全面開業また延期 朝日新聞 2011年4月22日
- ^ 完成時点での日本最大は松坂屋名古屋本店(名古屋市・矢場町)の86,758m2である。ただし、メンズ館(16,000m2)を含めると松坂屋を上回る。また、2014年には近鉄百貨店阿倍野本店が本館100,000m2となる。
- ^ “阪急有楽町店:男性向け衣料品・雑貨専門店に全面改装へ”. 毎日新聞社. (2011年1月21日)
- ^ 有楽町阪急 全面リニューアル(「メンズ館」化)について
- ^ 阪急「イングス」閉鎖・集約 大阪の百貨店、効率化競う 日経新聞 2011年10月28日
- ^ 四条河原町阪急:34年の歴史に幕 従業員ら涙ぐみ-毎日jp(毎日新聞 2010年8月22日)
- ^ モザイク銀座阪急、12年8月で閉店 ビル建て替えで-asahi.com (朝日新聞 2011年3月4日)
- ^ 1985年の阪神優勝時は球団も競合していたので、タイガース優勝セールはできなかった。
- ^ 阪急交通社でも、一応グループ企業の阪神タイガースと直接競合する広島東洋カープを、広島支店が独自に応援している旨が、過去にメールマガジン(HTML形式)に掲載された事がある。
関連会社
関連項目
- ソーライス - 昭和初期の逸話。
- 大阪2011年問題
- 名鉄百貨店 - 名古屋鉄道が阪急百貨店との提携によりオープンした。
- グランデュオ - JR立川駅南口・蒲田駅にある駅ビル。運営会社のジェイアール東日本商業開発株式会社は阪急百貨店・東日本旅客鉄道(JR東日本)とルミネの合弁会社。
- 毎日放送 - 前身の新日本放送は開局時、阪急百貨店屋上のスタジオより放送を行った。その後、阪急グランドビル内に、ラジオのサテライトスタジオが設置されたこともあった。現行の局舎は茶屋町の阪急百貨店流通センター跡地に建てられている。