ランドプリンス
ランドプリンス | |
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品種 | サラブレッド系種 |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1969年3月8日 |
死没 | 不明 |
父 | テスコボーイ |
母 | ニュウパワー |
母の父 | ヒンドスタン |
生国 | 日本(北海道門別町) |
生産者 | 高山新一 |
馬主 | 木村善一 |
調教師 | 高橋直(栗東) |
競走成績 | |
生涯成績 | 21戦6勝 |
獲得賞金 | 86,100,300円 |
ランドプリンスは日本の競走馬。ロングエース・タイテエムとともに関西三強の一角を担った中央競馬のクラシックホースである。
血統について
ランドプリンスはのちにリーディングサイアーとなるテスコボーイの初年度産駒であり、中央競馬のクラシック競走を制した初のテスコボーイ産駒でもある。一方、母系の先祖には血統不詳の牝馬ミラがいる。このためランドプリンスは純粋なサラブレッドと見なされず、サラブレッド系種として登録された。
略歴
3歳(1971年)
全21戦、高橋直厩舎の所属騎手であった川端義雄が手綱を執った。1971年9月4日の新馬戦(札幌競馬場)でデビューし勝利する。3歳シーズンはこの1勝だけに終わった。
4歳(1972年)
明けて4歳となったランドプリンスは、呉竹賞・ジュニヤーカップ・オープン・さざんか賞(いずれも京都)を4連勝し、クラシック戦線に加わるために東上することとなった。なお1972年は前年末より関東地区で大流行した馬インフルエンザの影響により、関東地区の中央競馬開催が2ヶ月間中止された。このため同年春のクラシック戦線も日程が大幅に変更され、5月28日に皐月賞、7月9日に日本ダービーが行われることとなった。
東上初戦の3月19日の京成杯では、前年の阪神3歳ステークス優勝馬で4連勝中のヒデハヤテに敗れ、1馬身4分の3差の2着に終わった。その後は4月29日のオープン(東京)と5月14日の弥生賞に出走したが、いずれもロングエースに敗れ2着に終わった。
5月28日の皐月賞ではデビューから5連勝中のロングエースが1番人気となり、タイテエムが続き、上記2頭をランドプリンスと関東所属のイシノヒカルが追う図式となった。レースでは先行するロングエースとそれをマークするタイテエムに対し、ランドプリンスは馬群の中に控え、直線に入って内を突き先頭に立った。外からロングエースが追ってくるものの伸びきれず、代わって後方からイシノヒカルが大外を追い込んできたが、ランドプリンスがイシノヒカルを半馬身抑えて勝利した。
その後当馬は6月17日のオープン(東京)に出走し、スガノホマレの2着となった。7月9日の日本ダービーでは、皐月賞からの直行となったロングエースが引き続き1番人気となり、差のない2番人気に当馬、3番人気がタイテエムとなった。レースでは直線を向いてタイテエムが早目に先頭に立ち、外から当馬が接近するが、タイテエムの内からロングエースが追い込み、人気上位三頭の争いとなった。最後はロングエースが首差で当馬を抑えて2分28秒6のレコードタイムで優勝し、タイテエムが3着に入った。
ランドプリンスは10月1日の神戸新聞杯から秋のレースを開始した。ここで本馬は1番人気に支持されるが、タイテエムに敗れ2着であった。続く10月22日の京都新聞杯でも引き続き1番人気に推されたが、またもタイテエムに敗れ4着に終わった。11月12日の菊花賞では1番人気がタイテエム、2番人気が本馬、3番人気がロングエースであったが、レースではイシノヒカルがタイテエムを大外から抜き去り優勝し、本馬は4着に終わった。
5歳(1973年)
ロングエースが引退し、イシノヒカルが戦線離脱したため、本馬のライバルで残ったのはタイテエムだけとなった。タイテエムは古馬になってからさらに力をつけたが、ランドプリンスは4歳時のような走りを見せることができず、マイラーズカップと天皇賞でいずれもタイテエムに敗れ、5着、13着に終わった。天皇賞の後で故障発症が判明し、そのまま引退することとなった。
引退後
その後ランドプリンスは種牡馬となったが、産駒から活躍馬は出なかった。血統面の問題(上述)が影響したという見方もあるが、この頃は国産種牡馬苦戦の時代であり、同世代のライバル、タイテエムとロングエースにも遅れをとった。
『史上最強世代』という評価
1972年の牡馬三冠路線を歩んだ馬たちは、当馬を含め、大半が5歳春までに引退ないし長期休養となった。それに代わり、同年の牡馬クラシック戦線を歩めなかった馬たちが、1973年の秋以降に活躍することとなる。その代表がタニノチカラである。1年半の休養を経て1973年の秋の天皇賞を制し、1974年の有馬記念では、ハイセイコーとタケホープの2着争いを尻目に、5馬身差の圧勝劇を演じた。
またグランドマーチスは、1974年 - 1975年にかけて中山大障害4連覇と京都大障害3連覇を達成した。生涯獲得賞金額・3億4338万8200円は、1982年にモンテプリンスが更新するまで、日本競走馬史上最高獲得賞金馬として長らくその名を刻んだ。同世代には他にも1973年の有馬記念を制したストロングエイトや1975年の宝塚記念を勝ったナオキ、5回のレコード勝ちを記録したスガノホマレがいる。
このように1969年生世代は当馬を含めて多数の活躍馬を出しており、この世代を指して『史上最強世代』と呼ぶ声は大きい。
血統表
ランドプリンスの血統(テスコボーイ系 / Gainsborough 4x5x5=12.50%、 Solario 4x5=9.38%、 Blandford 5x5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 *テスコボーイ Tesco Boy 1963 黒鹿毛 アメリカ |
父の父 Princely Gift1951 鹿毛 アイルランド |
Nasrullah | Nearco | |
Mumtaz Begum | ||||
Blue Gem | Blue Peter | |||
Sparkle | ||||
父の母 Suncourt1952 黒鹿毛 イギリス |
Hyperion | Gainsborough | ||
Selene | ||||
Inquisition | Dastur | |||
Jury | ||||
母 (サラ系)ニュウパワー 1959 日本 |
*ヒンドスタン Hindostan 1946 黒鹿毛 イギリス |
Bois Roussel | Vatout | |
Plucky Liege | ||||
Sonibai | Solario | |||
Udaipur | ||||
母の母 (サラ系)ムールドカール1947 鹿毛 日本 |
トキノチカラ | *トウルヌソル | ||
星谷 | ||||
(サラ系)安俊 | 月友 | |||
(サラ系)竜玉 (ntbミラ牝系) |
関連項目
外部リンク
- 関西3強の白熱の名勝負(JRA50周年記念サイト)
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ