阿部光瑠
阿部光瑠 五段 | |
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名前 | 阿部光瑠 |
生年月日 | 1994年10月25日(30歳) |
プロ入り年月日 | 2011年4月1日(16歳) |
棋士番号 | 283 |
出身地 | 青森県弘前市 |
師匠 | 中村修九段 |
段位 | 五段 |
棋士DB | 阿部光瑠 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 1回 |
2014年10月25日現在 |
阿部 光瑠(あべ こうる、1994年10月25日 - )は、将棋棋士。中村修九段門下。棋士番号は283。青森県弘前市出身。
棋歴
11歳、小学6年生時の2006年9月、6級で奨励会入り。以来、快進撃を続け、中学2年生時の2009年1月に三段に到達。三段リーグを2期以内で抜ければ、現行三段リーグ制度のもとでは渡辺明に次ぐ2人目の中学校在学時でのプロ入り決定となり、1期で抜ければ、加藤一二三、谷川浩司、羽生善治に次ぎ4人目となる中学校在学中プロとなるところであったが、3期目までは10勝8敗が最高で、昇段争いに加わることはなかった。
徐々に慣れてきた4期目の2010年度後期三段リーグは快調に白星を重ね、最終日を前に13勝3敗の単独トップに立つ。ところが、最終日の前日2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生、3月23日に延期された[2]最終日は連敗し13勝5敗としてしまった。これに関して阿部は集中力を保つことが難しかったことを認めているが[1]、昇級争いのライバルも軒並み苦戦し、阿部が連敗した場合に逆転する可能性があった5人のうち、逆転したのは門倉啓太(13勝5敗で順位は23位の阿部より上位の6位)だけだった為、2位で四段昇段(プロ入り)を果たした。16歳5か月でのプロ入りは、現行の三段リーグ制度が始まって以降では、渡辺明(15歳11か月)、佐々木勇気(16歳1か月、阿部の半年前にプロ入り)に次ぐ3番目の年少記録である。
プロ1年目の2011年度は、第5回朝日杯将棋オープン戦では二次予選で三浦弘行、丸山忠久を連破、本戦1回戦では森内俊之名人に勝利してベスト8に進出し、大器の片鱗を見せたが、持ち時間の長い順位戦では苦戦し、初参加の第70期は前半の5連敗から後半4勝1敗と巻き返して、4勝6敗で辛くも降級点を回避した。
2013年3月23日 コンピュータ将棋とプロとの対局である第2回将棋電王戦の第1局vs 習甦(第22回コンピュータ将棋選手権5位)戦で、角換わりの戦型から無理気味の攻めを巧みに誘って優勢に立ち快勝した[3]。
2014年度の第45期新人王戦では決勝三番勝負に進出。第1局は対戦相手の佐々木勇気に敗れたものの、第2局・第3局と勝利し逆転で新人王となった。第3局の対局日は2014年10月24日で、10代最後の日に棋戦初優勝を成し遂げた。
棋風
居飛車、振り飛車のどちらも指すオールラウンドプレーヤーである。プロ入りを決めた際のインタビューでは、得意戦法は居飛車と回答している[1]。
人物
青森県出身の棋士は、1993年の行方尚史以来18年ぶりで、奨励会員時代は実家から東京の将棋会館に通っていた。
中村修九段門下では初の棋士である。ただし、同門の女性である香川愛生が、阿部のプロ入りより前に女流棋士としてデビューしている。
昇段履歴
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
- 2006年9月(小学6年) 6級 = 奨励会入会
- 2007年1月( 〃 ) 5級
- 2007年5月(中学1年) 4級
- 2007年7月( 〃 ) 3級
- 2007年8月( 〃 ) 2級
- 2007年10月( 〃 ) 1級
- 2008年4月(中学2年) 初段
- 2008年10月( 〃 ) 二段
- 2009年1月( 〃 ) 三段
- 2009年度前期より三段リーグ参加(中学3年)
主な成績
一般棋戦優勝
- 新人王戦 1回(2014年度 = 第45期)
在籍クラス
- 竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
脚注
- ^ a b c 門倉啓太・阿部光瑠 新四段誕生のお知らせ(日本将棋連盟)
- ^ 大地震における日本将棋連盟の対応(日本将棋連盟)
- ^ 棋士が面目保つ、将棋ソフトとの第1局に快勝読売新聞 2013年3月23日
関連項目
外部リンク