コンテンツにスキップ

日本人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。死郎 (会話 | 投稿記録) による 2023年10月3日 (火) 03:00個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (外国系日本人・帰化: 古来より→古来)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

日本人
総人口
日本の旗 日本に居住する日本人
122,834,275人[1]
日本国外に居住する日本人(日本国籍)
1,357,724人[2]
日系人(日本以外の国に移住し、当該国の国籍または永住権を取得した日本人とその子孫)
約4,000,000人
(日本人人口の3%程度)
約3,800,000人(2017年現在、海外日系人協会による推計)
[3]
居住地域
先住地
日本列島日本の旗 日本
大規模な移民[注 1]
ブラジルの旗 ブラジル2,000,000人[5][6][7][8][9]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国1,404,286人[10]
中華人民共和国の旗 中華人民共和国140,134人[11]
フィリピンの旗 フィリピン120,000人[12][13]
カナダの旗 カナダ109,740人[14]
ペルーの旗 ペルー100,000人[15]
オーストラリアの旗 オーストラリア71,013人[16]
イギリスの旗 イギリス63,017人[17]
タイ王国の旗 タイ45,805人[16]
ドイツの旗 ドイツ36,960人[16]
アルゼンチンの旗 アルゼンチン34,000人[18]
フランスの旗 フランス30,947人[16]
大韓民国の旗 韓国28,320人[16]
シンガポールの旗 シンガポール23,000人[19]
香港の旗 香港21,297人[11]
中華民国の旗 中華民国20,373人[16]
ミクロネシア連邦の旗 ミクロネシア連邦20,000人[20]
メキシコの旗 メキシコ20,000人[21]
パラグアイの旗 パラグアイ16,000人[22]
ボリビアの旗 ボリビア14,000人[23]
ニュージーランドの旗 ニュージーランド13,447人[16]
イタリアの旗 イタリア12,156人[16]
インドネシアの旗 インドネシア11,263人[16]
 ベトナム9,468人[16]
マレーシアの旗 マレーシア9,142人[16]
スイスの旗 スイス8,499人[16]
バングラデシュの旗 バングラデシュ8,114人[24]
ニューカレドニアの旗 ニューカレドニア8,000人[25]
スペインの旗 スペイン7,046人[16]
オランダの旗 オランダ6,616人[16]
ベルギーの旗 ベルギー6,519人[16]
言語
日琉語族日本語琉球諸語)、アイヌ語
宗教
伝統的に神道仏教大乗仏教日本の仏教)など

日本人(にほんじん、にっぽんじん)とは、法律上、日本国籍を有するを指す。対比的に、日本において日本国籍を有しない人を外国人という(国籍法第4条)。また、一般的な解釈では、文化や出自において日本に分類される属性を持つ人々も日本人と呼ぶ。こちらは日系人と呼ぶことが多い。

なお、専ら日本に帰属意識または所属意識を持つ以下に掲げる人々は、日本人としてのアイデンティティを持っている。ただし、これらの要素は、しばしば混じり重なっており、大半の日本人のアイデンティティがその総体によって形成されているため、意識的に区別されないまたは区別しにくい場合がほとんどである。

概要

主に日本人という語は、日本国の法律で「日本国民」と呼んでいる日本国に国籍を有する人々の呼称として用いられる場合と、日本列島に起源をもつ民族集団を指す場合に用いられている。

定義

日本人は、次のような幾つかの考え方・文脈により定義が可能である。

圧倒的多数の日本人は以上の三つの条件を全て満たしているが、非典型的な日本人もいる。次の例のように、特に本人が日本人を自認すれば、一般にも日本人と認識される場合がある。

  • 日本国籍を離脱した日系一世や日本の文化を保持している日系二世。
  • 外国の民族の背景を持つ日本国民(日本語と日本の文化を会得しているとき)。

いっぽう以下のようなケースでは、特別な文脈を除いて日本人とみなされないことが多い。

  • 日本語に通じず、かつ日本国籍を有しない日系移民の子孫(ただし、「日系人」と言う)。
  • 日本語が話せる在日外国人[注 3]

先住民

日本列島には蝦夷(えみし)や隼人(はやと)などの集団が居住していたが、ヤマト王権成立後は同化が進み、これらの集団が大和民族と呼ばれるようになった。日本政府はアイヌを『日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族』と認識している[27][注 4]

概史

日本民族(先述)は、人種的にモンゴロイドの一つ[注 5]旧石器時代または縄文時代以来、現在の北海道から沖縄諸島までの地域に住んだ集団を祖先に持つ[28]。祖先はユーラシア大陸東部より複数回にわたって渡来。樺太を経由して北海道に至る北方ルート、朝鮮半島を経由する北西ルート[注 6]南西諸島などを経由する南方ルート[注 7]など複数の渡来経路が考えられる[注 8]

海外ルーツの日本人

近現代における人の国際的な移動に伴い、日本人の中に、海外にルーツを持つ者も含まれている。顕著な事例として、親の一人が外国人である場合や帰化者の場合がある。詳しくは、外国系日本人の節を参照。

国籍および居住地に基づく日本人の人口

日本国籍を有する人々として定義される日本人のうち、2021年(令和3年)3月1日時点で、日本に住む者は122,948,477人[30]であるいっぽう、2019年10月1日時点で、海外に住む者は1,357,724人[31]となっており、日本人のうち約1%が海外に居住している。このように国籍により定義される日本人人口は、帰化した者の数、帰化以外の方法で日本国籍を取得した者の数、国籍法第13条の規定により国籍離脱をする者の数、戸籍法第103条または同法第105条により国籍喪失した旨届出または報告があった者の数によっても増減する[32]。2020年における年間帰化者数は9,079人、国籍取得者数は772人、国籍離脱者数は705人、国籍喪失者数は891人である[32]

言語

日本人の大半が日本語を話すほか、沖縄県では琉球語(琉球方言)、伝統的な方言はほとんど衰退しており、本来、琉球語を個別言語とするか日本語の方言とするかで議論があり、琉球語の下位方言をさらに独立した言語とする場合もある。アイヌ語は、母語として使用できる話者の数が極めて少なくなっている。

言語社会学的に見ると、日本人は明治以来、外国語を美化する感情から日本語に対する自己否定的な姿勢を持っており、甚だしくは英語フランス語のような外国語を日本の国語として採用してはどうかという意見を持つ有識者(森有礼志賀直哉尾崎行雄)まで現れていた[33]。日本人の言語である日本語は大日本帝国の時期、アジア大陸・太平洋に広く伝わった。

宗教

日本在住の外国人を含んだ宗教信者数は、2018年平成30年)時点の日本の宗教法人に対する文化庁の宗教統計調査では、神道系が約8,721万人、仏教系が約8,433万人、キリスト教系が約192万人、その他約785万人、合計1億8,131万人と日本の人口の約1.5倍になっている[34]。いっぽう、読売新聞が2008年(平成20年)に行った全国有権者へのアンケート調査では、「何らかの宗教を信じている」と答えた人の割合は26.1%、「何らかの宗教を信じていない」と答えた人の割合は71.9%という結果だった[35]河合隼雄は『対話する生と死』の中で、「日本人は宗教を毛嫌いしたり無宗教であることを公言する人が他国に比較し多いことを指摘し、キリスト教イスラム教信者の信仰心は日本人の想像を超えるものである」と述べている。また、「日本では戦時中に宗教が国家権力と結びつき悪用されたことやもともと日本人は日常生活の中に、宗教性を入れ込んで生きる姿勢を保持していたため、特定の宗教を他の一神教の信者らが『信じる』ような態度で信仰しなかった」と指摘している[36]

自然人類学的特徴

以下、民族的分類による日本人について概説する。

身体的特徴

皮膚の色はやや赤みがかった薄い黄色(いわゆる肌色[37])、頭髪黒色茶色で直毛もくせ毛もあり、は一重・奥二重のものも二重のものもあり[38]身長は中位、また幼児期蒙古斑が現れる[39]。平均身長は1940年代末ごろから伸び、男性は171.7cmになっている。成人女性は通例として、成人男性より平均身長がほぼ8%低い[40]。平均身長は男性女性ともに1978~1979年生まれ以降、低くなっている。

  • 日本人の形質変化
歴史的に日本人の形質が大きく変化してきたことは人類学者鈴木尚らの研究によって明らかになっている。近代以降は下肢が伸びて身長が高くなる、が縮小して面長になるなどの変化(小進化)が著しい。の縮小と永久歯の減少が進んでおり、親知らずが生えない日本人が増えているが、それ以上に顎の退化が進み、歯並びが悪い日本人が増えている。歴史的には同様の現象は徳川将軍家を始めとする江戸時代大名家にも顕著にみられ、柔らかい食べ物を好むようになったことが、原因と考えられている。

成立

主要に日本人を形成したのは、「ウルム氷期狩猟民」と「弥生時代農耕民」とが渡来したことだった[41]。「ウルム氷期にアジア大陸から日本列島に移った後期旧石器時代人は、縄文人の根幹をなした」という[41]。「ウルム氷期直後の厳しい自然環境」が改善され生活が安定化していくと、「日本列島全域の縄文人の骨格は頑丈」となり、独自の身体形質を得ていった[41]。そして縄文時代終末から弥生時代にかけて、「再びアジア大陸から新石器時代人が西日本の一角に渡来」した[41]。その地域では急激に新石器時代的身体形質が生じたが、彼らが直接及ばなかった地域は縄文人的形質をとどめ、その後「徐々に均一化」されていった[41]。「地理的に隔離された北海道南西諸島の人びとは、文化の変革による身体形質の変化はあっても、現在なお縄文人的な形態をとどめている」とされる[41]

近年、埴原和郎尾本恵市などが、W・W・ハウエルズの分類による「モンゴロイドの2型」を用いている[41]。すなわち「古モンゴロイド」と、寒冷に適応した「新モンゴロイド」である[41]。「初め日本列島に渡来した後期旧石器時代人ないし縄文人は古モンゴロイド」であり、「縄文時代終末から弥生時代に渡来した弥生人を新モンゴロイド」と呼ぶ[41]。弥生人は主に米作を伝え、それに従事していたとされる。米作の普及が遅れ「新モンゴロイドの影響が及びにくかったアイヌや東北、山陰、九州および南西諸島の住民は、古モンゴロイド的特徴を今もなお残している」と解されている[42]。縄文人・アイヌは東ユーラシア系統から少なくとも30000年前に分岐しており恐らくモンゴロイドの成立前であるためそもそもモンゴロイドではない可能性もある[4]。

かつては約3万年前に大陸から渡来して先土器時代縄文時代文化を築いた先住民を、大陸から渡来した今の日本人の祖先が駆逐したとする説があったが、現在は分子人類学の進展により置換説は否定され、混血説が主流となっている[43]

民族としての形成

以下、民族的分類による日本人について概説する。なお、近年の科学的研究の進展により従来の見方は大きく見直しが進んでおり、先史時代の日本人の形成については流動的な状況にあることに留意されたい。

石器時代の日本人

石器時代の日本列島には下記の人々が活動した記録がある。

縄文人と弥生人と古墳人

従来までの説としては、縄文時代から始まる縄文文化を持ち狩猟採集生活をしていた先住民の縄文人に続き、半島からの渡来してきた弥生文化を持つ弥生人稲作をもたらすなどしながら混血していったという1991年東大名誉教授だった埴原和郎が唱えた「二重構造モデル」が長らく定説であった。 しかし最新のゲノム分析からこの説は覆された。

金沢大、鳥取大、アイルランド・ダブリン大などの教授、研究員らで構成される国際共同研究グループの最新のゲノム解析では、旧石器時代に大陸から渡ってきた千人ほどの小さな集団が日本列島に適応して縄文人となり、弥生時代までに北東アジアを起源とする弥生人が渡来し、続いて古墳時代までに東アジアを起源とする古墳人が渡来し、以後、混血融和しながら現在の日本人を形成していったとする「三重構造モデル」である。 考古遺跡から発見されている人骨から採取された縄文人』『弥生人』『古墳人DNAは『現代日本人』に直接受け継がれている。 現代日本人では古墳人のゲノムが7割近くを占める。 しかし、今後の研究次第では更に「三重構造以上」になる可能性もある。[44]

倭人

倭、倭人に関する記載は、もっとも古い文献では紀元前2世紀に中国の『山海経』と『論衡』にて登場するが、これらの記載は中国南東部の倭人のことを指しているとする説と日本列島の倭人のことを指しているとする説[45]があり、日本列島住民との関わりは不明である[46]

「日本民族」の形成

古墳時代、朝廷権力の拡大とともに「日本」という枠組みの原型が作られ、その後、文化的・政治的意味での日本民族が徐々に形作られていくとされる。

「日本人」「日本民族」という認識(民族国家「日本」の成員としてのアイデンティティ、同胞意識)が形成され浸透していく経緯については諸説あり、ヤマト王権の支配が広い地域に及ぶ以前の弥生時代から倭人として一定の民族的統合があったとする説、また律令制を導入し国家祭祀体制を確立させた7世紀後期の天武持統期(飛鳥時代後期)にその起源を置く説、13世紀元寇鎌倉時代中期)が国内各層に「日本」、「日本人」意識を浸透させていく契機となったとする見解などがある。

大和盆地大王を中心とした連合政権国家または中央集権国家であるヤマト王権(大和朝廷)が成立すると、本州四国九州の住民の大半は大和民族として統合された。東北の蝦夷や南九州の熊襲および隼人と呼ばれた諸部族は大和朝廷に服属せず抵抗したが、軍事的な征服事業や懐柔政策により、隼人は8世紀ごろ、蝦夷は10世紀11世紀ごろまでには完全に大和朝廷の下に統合されていった(隼人の反乱日本の古代東北経営)。朝廷の支配が揺らいだ平安時代の東日本では、平将門の将門政権や奥州藤原氏の平泉政権など半独立政権が築かれたものの、東日本と西日本の民族的統合は保たれ、後に関東地方を基盤とした武家政権が全国を支配することとなった。

国民国家の認識

朝鮮台湾を領有した戦前日本の領土

近代に入り、日本がネーションステート(国民 / 民族国家)として朝鮮半島台湾島を領有していた時代には、日本人という語は、公式には、朝鮮人、台湾人など日本国籍を付与された民族を含む国籍的概念であった。これらの地域には日本本土と同じ法令(現行の刑法など)が施行された事実上の併合であった。朝鮮人からは数千名の貴族が叙爵(侯爵・伯爵・子爵・男爵)され東京の帝国議会貴族院に議席を有した。また、朝鮮高等法院などの裁判所の裁判例は、東京や大阪の下級審を拘束した(現在の東京地方裁判所も、朝鮮高等法院の裁判例に違反した場合、控訴理由になる)。以上から、日本本土は内地それ以外の地域は外地と呼ばれていたのは地理的概念である。

事実上の内地であった南樺太では、ロシア人ポーランド人ウクライナ人ドイツ人、朝鮮人、ウィルタニヴフの中には日本国籍を持っていた者もいた。そのため、第二次世界大戦後、ソ連によって日本人として北海道に強制送還、ないしは自ら進んで移住した朝鮮人、ウィルタ、ニヴフがいた。また、反ソ分子として抑留された者もいた。ポーランド系日本国民の多くはポーランド国籍を取得しポーランドに移住した。

沖縄については

系統

本土日本人 (Mainland Japanese)、琉球人 (Ryukyuan)、アイヌ人 (Ainu)と他のアジア民族集団の系統樹。本土日本人は集団としては韓国人と同じクラスターに属した[47][48]

以下、人類学的観点から、日本人の系統または起源に関する諸説について記述する。

形質人類学的観点から日本人は、過去の縄文人弥生人や現在の日本国内に古くから住む住民がモンゴロイドに属する。「モンゴロイド」には朝鮮人やモンゴリア人などの東ユーラシア人全体が包括され、イヌイットアメリカ先住民が含まれる。

だが遺伝子の研究が進むにつれ、便宜的に使用される分類名称としての各人種も、推定される起源地(原初の居住地)の地理的名称を基準とすることが多い。

なお、日本人の元となった集団を仮定する際、その集団(もしくはその集団と遺伝的に近い集団)が「どこで発生したか」、「どこを通って日本にやってきたか」、そして「現在の集団においてどの集団と近縁か」は分けて考える必要がある。

分子人類学による説明

分子人類学の進展により、日本人に関してもDNAからルーツをたどる研究が行われるようになった。最初に発達したのが、母系をたどるミトコンドリアDNAハプログループの研究だった。しかし、ミトコンドリアDNAハプログループとY染色体ハプログループは人間を構成しているDNAの中で非常に少ない部分に過ぎず、すべての遺伝子を表すものではない。また、ミトコンドリアDNAハプログループとY染色体ハプログループはアフリカで人類がどのように移動したかを大きく分けて示す遺伝子であり、同じ人種を区別する遺伝子を表すものではない[49]。ミトコンドリアは染色体のある核の外部にある構造で、情報量は染色体と比べ非常に少ないが、それゆえに効率的に分析ができたからである。また、変化の速度が速いため、遺伝的な多様性が高いという特徴があった[50]。次に発展したのが、Y染色体ハプログループで、情報量がミトコンドリアDNAよりも多く、長期の追跡に適していた[51][52]。さらに、2004年のヒトゲノムの解読を契機に、核内の常染色体全体を分析するゲノムワイドな研究が盛んになった[53]。ミトコンドリアDNAとY染色体はそれぞれ母系・父系にさかのぼっていきつく一人の先祖の遺伝子を分析するものだが、常染色体はその人間に関わる全ての先祖の遺伝子情報を調べられるという利点がある[54]。また、ある人物間のDNAを比較する場合、遺伝子情報がひとつしかないミトコンドリアDNAとY染色体は、遺伝子情報をハプログループで分類することによって比較するが、どこまで分類を細分化し、またどこまで近縁と理解するかによって判断が変化してしまう欠点があった[51]。しかしながら、2017年時点で核DNAの解析はまだ途上の段階であることに注意しなければならない。また母系・父系の情報がわかるという点でミトコンドリアDNAとY染色体は未だ独自の価値を保っている。

ミトコンドリアDNAによる近隣集団との比較

以下にミトコンドリアDNAによる人類集団を類似性を系統樹様にして表したものを記す。人類集団は常に混合しているため、多数の遺伝子を用いた分析においては一元的な系統関係は存在しないことに留意する必要がある。この図はあくまで他集団との類似性を示すものである。

下図左では、日本人集団に最も近いのは朝鮮人集団であり、その次にカンボジア人集団であるという結果となっている。下図右では、日本人集団は朝鮮人集団、マレーシア人集団、ポリネシア人集団などと近縁で、「アジアのモンゴロイド」としてまとめられている。「アジアのモンゴロイド」と近縁なのが「アメリンド」、次いで、「オーストラロイド」、「コーカソイド」の順で、「ネグロイド」とは最も離れている。

ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(母系)による系統

1980年代からのミトコンドリアDNAハプログループ(母系)の研究の進展により、ヒトの母系の先祖を推定できるようになった(ミトコンドリア・イブ参照)。これにより、アフリカ単一起源説がほぼ証明され、民族集団の系統樹も作成されるようになった。ミトコンドリアDNAやY染色体のようなゲノムの組換えをしない部分を用いた系統樹の作成は、集団の移動とルーツを辿るのに用いられる。たとえば日本人のミトコンドリアDNAのハプロタイプの割合と、周辺の集団つまり各ハプログループを比較することで、祖先がどのようなルートを辿って日本列島にたどり着いたかを推測できる。分析に用いられるのは、ミトコンドリアDNAの塩基配列のうち、遺伝子の発現に影響しない中立的な部分である。形態の生成等に関与せず、選択圧を受けないため、分析に用いることができる[55]

日本人に特徴的なミトコンドリアDNAハプログループとして、ハプログループM7aがある[56]

また、篠田謙一は2007年の著書で、ハプログループM7の発生を四万年前、さらのそのサブグループの発生を二万五千年前と推定し、M7の起源地を当時海水面の低下によって陸地となっていた黄海から東シナ海周辺とした[57]

これに対して崎谷満2009年の著書で、M7aは極東・アムール川流域にも見られるほか、シベリア南部(ブリヤート)、東南アジアにも見られるとし、発生したのはシベリア南部 - 極東あたりと予想するいっぽう、台湾先住民にも台湾漢民族にも存在せず、台湾から北上して日本列島に入ったものではないと記している[58]。なお崎谷は上記の著書において、ミトコンドリアDNA・Y染色体といった分子人類学的指標、旧石器時代の石刃技法という考古学的指標、成人T細胞白血病ウイルスやヘリコバクター・ピロリといった微生物学的指標のいずれにおいても、東アジアのヒト集団は北ルートから南下したことを示し、南ルートからの北上は非常に限定的で日本列島には及ばなかったと述べている[59]

その他、日本人によくみられるタイプとして、ハプログループD (mtDNA)ハプログループA (mtDNA)ハプログループG (mtDNA)ハプログループN9 (mtDNA)ハプログループB (mtDNA)ハプログループF (mtDNA)が挙げられる。

Y染色体ハプログループ(父系)による系統

母系のみをたどるミトコンドリア解析に対し、父系をたどるY染色体は長期間の追跡に適しており、1990年代後半からY染色体ハプログループの研究が急速に進展した[52][60][61]

Y染色体ハプログループによる近隣集団との比較

ヒトのY染色体のDNA型はAからTの20系統がある。複数の研究論文から引用したY染色体のDNA型の比率を示す[62]。全ての型を網羅していないため、合計は100%にならない。空欄は資料なしで、必ずしも0%の意味ではない。

日本人および周辺(日本からおよそ5000km以内)の諸民族のY染色体ハプログループの割合
  n C D NO* N O Q R
C1a1 C2 D1
(xD1a1
,D1a2a)
D1a1 D1a2a O1a1 O1b O2
O-M95 O1b2
O-47z O1b2
(xO-47z)[注 9]
日本
(Nonaka et al. 2007)[63]
日本 263 2.3 3.0 0.4 38.8 0.8 3.4 0.8 25.1 8.4 16.7 0.4
日本
(Hammer et al. 2006)[64]
アイヌ 4 0 25.0 0 0 75.0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
青森 26 7.7 0 0 0 38.5 0 7.7 0 0 27.0 3.8 15.4 0 0
静岡 61 4.9 1.6 0 0 32.8 0 1.6 0 1.6 21.3 13.1 19.7 1.6 0
徳島 70 10.0 2.9 0 0 25.7 5.7 1.4 0 2.9 24.3 5.7 21.4 0 0
九州 53 0 7.5 0 0 26.4 3.8 0 0 3.8 28.3 3.8 26.4 0 0
沖縄 45 4.4 0 0 0 55.6 0 0 0 0 11.1 11.1 15.6 0 2.2
日本
(Sato et al. 2014)[65]
S=大学生
A=成人男性
長崎S 300 3.3 5.3 0 30.0 1.3 0 1.0 23.3 10.7 23.7
福岡A 102 5.9 7.8 0 33.3 1.0 2.0 0 26.5 8.8 10.9
徳島S 388 5.7 5.9 0 30.6 1.0 1.8 2.1 23.2 10.3 17.8
大阪A 241 6.2 7.5 0.4 31.2 1.7 1.2 0.8 17.8 10.4 22.5
金沢S 298 3.4 6.4 0 32.6 2.3 0 3.7 21.1 11.4 18.5
金沢A 232 4.7 5.6 0 32.7 0.9 3.0 0 18.5 9.5 21.9
川崎S 321 5.6 5.9 0.3 33.0 1.6 0.9 0.3 24.3 10.0 17.8
札幌S 302 4.4 5.0 0.3 33.1 0.7 1.3 0.3 23.2 8.6 20.3
札幌A 206 3.4 7.3 0 35.0 1.0 1.0 1.9 19.9 7.8 19.9
2390 4.7 6.1 0.1 32.1 1.3 1.2 1.3 22.0 9.9 19.7
日本
(Tajima et al. 2004)[66]
アイヌ(北海道日高 16 0 13 0 88 0 0 0 0
本州 82 5 1 0 37 0 20
九州 104 4 8 0 28 2 24
日本
(Seo et al. 1999)[67]
宮崎 270 35.2
日本
(Shinka et al. 1999)[68]
沖縄本島中部
(読谷勝連)
61 30
沖縄本島南部
(糸満具志頭)
99 45
八重山
(西表・波照間)
27 4
東アジア
(Hammer et al. 2006)[64]
朝鮮民族 75 0 9.3 0 0 4.0 0 2.6 2.6 2.7 4.0 33.3 40.0 0 1.3
満州民族 52 0 26.9 0 0 0 0 5.7 5.7 5.8 0 3.8 38.5 0 7.7
モンゴル 149 0 52.3 0 2.6 0 0.7 8.0 0.7 O1b*=1.3 22.8 2.7 4.0
漢民族華北 44 0 4.5 0 0 0 2.3 9.1 0 6.8 0 0 65.9 4.5 2.3
漢民族華南 40 0 5.0 0 0 0 2.5 15.0 15.0 30.0 0 0 32.5 0 0
イー 43 0 2.3 0 16.3 0 2.3 30.2 0 9.3 0 0 32.6 0 0
ミャオ 58 0 3.4 0 8.6 0 0 0 6.9 10.3 0 0 68.9 0 0
チベット 105 0 1.9 3.8 46.6 0 0 2.9 0 0 0 0 35.2 0 6.7
台湾原住民 48 0 2.1 0 0 0 0 0 89.6 2.1 0 0 6.3 0 0
東南アジア
(Trejaut et al. 2014)[69]
フィリピン 40 0 0 0 0 0 4.8 0.7 42.5 3.4 0 15.0 0 4.1
タイ 75 0 0 1.3 2.7 0 0 0 5.3 42.7 0 29.3 0 1.3
東南アジア
(Hammer et al. 2006)[64]
ベトナム 70 0 4.3 0 2.9 0 0 2.9 5.7 27.1 2.9 1.4 40.0 7.1 1.4
マレー 32 0 0 0 3.1 0 3.1 0 6.3 34.4 0 0 31.3 0 3.1
インドネシア(西部) 25 0 0 0 0 0 0 0 20.0 12.0 8.0 8.0 36.0 0 4.0
南アジア
(Thangaraj et al.2003)[70]
オンゲ 23 0 0 100 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
ニコバル 11 0 0 0 0 0 0 0 0 100 0 0 0 0 0
オセアニア
(Hammer et al. 2006)[64]
ミクロネシア 17 0 0 0 0 5.9 0 0 11.8 0 0 5.9 17.6 0 0
北アジア
(Tambets et al.2004)[71]
ガナサン 38 5.3 92.1
ケット 48 6.2 93.7
北アジア
(Duggan et al.2013)[72]
ヤクート 184 2.1 94.5 0.5 2.2
ユカギール 13 30.8 30.8 30.8
北アジア
(Hammer et al. 2006)[64]
アルタイ 98 0 22.4 5.1 0 0 0 4.0 0 0 0 0 1.0 17.3 46.9
ブリヤート 81 0 60.5 0 0 0 0 30.9 0 0 0 0 2.5 0 3.7
エヴェンキ 95 0 68.4 0 0 0 0 18.9 0 0 0 0 0 4.2 1.1
オロチョン 22 0 90.9 0 0 0 0 4.5 0 O1b*=4.5 0 0 0
北アジア
(Lell et al.2002)[73]
コリャーク 27 0 59.3 0 0 0 0 22.2 0 0 0 0 0 18.5 0
チュクチ 24 0 4.2 0 0 0 0 58.3 0 0 0 0 0 33.3 4.2
ニヴフ 17 0 47.1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 11.8 35.3 0

日本人ハプログループは、出アフリカ後、イラン、チベット、アルタイ山脈樺太北海道を経由した「北ルート」[74]で到達したとする説、インドから東南アジアを経由した「南ルート」[75]で到達したとする説がある。 D1a2a系統(約35%)、O1b2系統(約30%)、O2系統(約20%)の上位3系統で日本人全体の約85%を占めるほど高頻度に見られる。 他にC1a1系統C2系統N系統O1a系統O1b1系統Q系統なども低頻度に見られる。

Y染色体ハプログループの世界拡散を表す想定地図
Y染色体グループごとの近隣集団との関係
  • ハプログループD1a2aは、日本列島に固有に見られるタイプで、アイヌが高頻度で約85%、次いで琉球民族で約40%、本土日本人にも35%ほど見られる。縄文人の血を色濃く残すとされるアイヌ[注 10]や一部の沖縄県民(特に糸満宮古島)で高頻度に見られ、反対に漢民族朝鮮民族などの周辺諸民族にはほとんど見られないことから、ハプログループD1a2aは縄文人に特徴的なY染色体だとされる。現代韓国では平均して約2%の男性、中国では約0.02%[77](主に朝鮮族だが、満洲族蒙古族漢族の例も有り)の男性がハプログループD1a2aに属し、ミクロネシア[78]ティモール島[79]でも単一例が発表されている。
    アリゾナ大学のマイケル・F・ハマー (Michael F. Hammer) のY染色体分析でもD系統が扱われ、チベット人にも、約50%の頻度でこのハプログループDを持っていることを根拠に、縄文人の祖先は約5万年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、約3万年前に北方ルートで北海道に到着したとする仮説を提唱した[80][81][82]。しかし、実際にどのような経路を通ったかは様々な学説があり結論には達していない。
  • D系統は、現在世界で極めて稀な系統になっており、日本人 (D1a2a) が最大集積地点としてその希少な血を高頻度で受け継いでいる。遠く西に離れたチベット人 (D1a1) やアンダマン諸島(D1a2b)で高頻度である他は、アルタイ(D1*)、タイ (D1a1)、ヤオ族 (D1a1)、フィリピン (D1b)、グアム島(D1*) 等の南方地域にわずかに存続するだけである。しかしながら同じD系統とは言え、D1a2a系統と東アジア(チベット等)のD1a1系統は分岐してから4 - 5万年もの年月を経ていると考えられる[83](O系統が誕生したのが3 - 4万年前であるため、これよりも前に分岐しているD1a2aとD1a1等は別系統であるが双方とも日本列島で見られる)。
  • ハプログループO東アジアから東南アジアにかけて最多を占めるグループである。O系統は約40,000年前(36,800年前[84]、41,900年前[85]、44,700年前[86])に東アジアにてハプログループNOから誕生し、35,000年前頃から30,000年前頃にかけて多くの現代東アジア人や東南アジア人の父系に繋がる五つの大系統を生み出した。約35,000年前の日本列島の旧石器時代初期頃に日本列島にまで到達したと考えられるD系統と比べると、O系統はその後から東ユーラシア全域に広がり、誕生時期的には比較的若い系統であるものの、西ユーラシア系のハプログループRと並んで現代人類において最も帰属人口の多い系統となっている[87]。日本で主に見られる詳細系統はO1b2系統O2系統である。
    O1b2系統は、日本列島のほか、朝鮮半島でも日本と同程度見られ、東アジアのその他の地域や東南アジアでも低頻度見られる[64][88]。O1b2系統はおおよそ30,000年前に現代東南アジア人男性の多くが属すO1b1に繋がる系統から分岐をして、今より約七、八千年前から朝鮮半島またはその近くの地域で急速に帰属人口が増え始め、やがて日本列島や中国大陸へ拡散をしたと見られる[89]。日本のO1b2保有者の約8割で見られるO1b2a1a1-47z/K7というサブグループは、おおよそ8,000年前に発生したと推定されており、朝鮮半島及び中国で多く見られるO1b2a1a2-K4というサブグループとはその時点で血筋がわかれたということになる[64][84]
    O2系統は日本においてはO1b2系統より低頻度であるものの、中国朝鮮ベトナム等においては最多を占めるグループであり、日本やその他の東南アジア、インド北東部やネパールなどの南アジアでも中から低頻度見られ、O系統では最大のサブグループである。
Y染色体グループから推定される日本人の成立史
日本人の形成に至る東アジアのY染色体ハプログループと民族移動

崎谷満によれば、最初に日本列島に到達し、後期旧石器時代を担ったのは、4万-3万年前にやってきたD1a2a系統である[90]。D1a2aは日本に多く見られる系統であり、アイヌ88%(但しサンプル数は16人のみ)、沖縄県約40%(4% - 56%)[63][66][68]、本州約35% (31% - 39%)[63][64][66][68]で、日本国外では韓国で平均して2%ほどの男性に観察されるほか、中国、ミクロネシア、ティモール島などで散発的に観察されている。遠縁のD1a1が多数のチベット人で見られるほか、少数のウイグル人、モンゴル人、アルタイ人、イ(彝)人、ミャオ(苗)人、ヤオ(瑶)人、漢人などでも確認されている。D1a系統の下位系統は5万年以上前に分岐し、日本列島に至り誕生したのがD1a2aであり、アルタイ-チベット付近にとどまったグループがD1a1であると考えられる。

渡来時期については諸説あるが、後期旧石器時代及び新石器時代のヨーロッパ(クロマニョン人)、そして少数の現代ヨーロッパ人[91]ベルベル人アルメニア人、ネパール人[92]でわずかに見られるC1a2と姉妹系統のC1a1系統もかなり古い時代に日本列島に入ってきたと考えられる。崎谷満はC1a1の祖型はイラン付近からアルタイ山脈付近を経由し朝鮮半島経由で日本に到達したとしている[90]。他にも華南から海流に乗って日本列島に到達した南方経由説、樺太から北海道に流入後、日本列島各地へ流入した説など様々な意見がある。渡来年代についてはD1a2aより早い4万年以上前という説もあり、C1a1が日本列島最古層という可能性もある。現代日本人男性の約20人に1人(5%)がこのC1a1系統に属していると見られ[63][64][65][86][93]、韓国・朝鮮及び中国でも散発的に観察されている[94][83]

C2系統は現在、カザフ人、モンゴル人、エヴェンキ人等のアルタイ系諸族、極東ロシア(ニヴフ人、コリャーク人等)及び北アメリカ大陸北西部の原住民(例えば北部アサバスカ諸語話者等)に多い。崎谷はC2系統は細石刃石器を用い、ナウマンゾウを狩っていたと考えている。ただし、C2系統も渡来時期については諸説あり、朝鮮民族や漢民族などの周辺民族にも一定頻度見られることから、後述のO2系統やN系統やQ系統等と共に渡来してきた可能性もある。ちなみにアルタイ系民族(チュルク系民族モンゴル系民族ツングース系民族)で高頻度なC2系統はC-M407という若いサブクレードに属すものを除けばほぼ全てC-L1373系統であるが、日本人や朝鮮民族などで観察されるC2系統はC-F1067系統が大半で、C-L1373はわずかである[95]。また現代の日本で観察されるハプログループC2-M217に属すY-DNAは幾つもの異なる下位系統に属しており、一概にC2系統といっても、そのルーツや渡来時期は複数存在したことが想定される。現代日本人に於けるC2-M217の頻度については、各研究によって差があり、少ないものでは2%[93]、3%[63][64]ほど、多いものでは6%[65]、7%[94]ほどとなっている。

O1a系統(O-M119)は台湾原住民の男性に非常に多いので、新石器時代の台湾または対岸の中国本土沿岸部が起源であろうと推測されている。崎谷満はオーストロネシア語族との関連があると想定している。台湾に近いにもかかわらず、日本列島の男性ではO1aは全体の約1%(0%~3%)に過ぎない。中国復旦大学黄穎李輝高蒙河らの研究によれば、中国春秋時代百越(粤)のY染色体は、O1a系統である[96]

O1b1系統の下位系統の一つであるO1b1a1a(O-M95)は現代の東南アジアの男性に多いけれども、元々は新石器時代の中国から拡散していったと見られている[89]。O1a-M119と同様、現代日本人の全体の約1%(1%~4%)がこのO1b1系統に属していると見られる。

O1b2系統(O-M176)について、崎谷満は従来の研究結果とは異なる主張を提示し、長江文明の担い手だと考えている。今までの研究結果とは逆にO1b2系統が移動を開始したのは約2800年前で、長江文明の衰退に伴い、O1b2は南下し、百越と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、中国東北部、朝鮮半島から日本列島へ渡ったと崎谷満は主張している。O1b2系統は中国江南から水稲栽培を持ち込んだと考えられ、日本列島への流入は弥生人と関連し、則ちO1b2系統の到来と共に縄文時代から弥生時代へ移行しはじめたと考えられる。O1b2系統は日本列島のほか、朝鮮半島や中国東北部の一部でも比較的多く見られる。しかし、池橋宏はO1b2が長江文明の地域である中国南部に殆ど発見されていないことと、日本の一部の地域に地層から稲のプラントオパールがみつかってはいるが、これが必ずしも長江から移動を意味するものではなく、稲の品種や技術が人々の間で伝来したと考えられると主張した[97]

O2系統(O-M122)について崎谷は、その一部は縄文時代~弥生時代にミレット農耕をもたらしたが、大部分は弥生時代よりも更に後、特に4世紀から7世紀頃に中国大陸及び朝鮮半島から到来した渡来人による流入が多かったであろうとしている[90]。O2は現代の中国人や朝鮮民族に最多の系統である。

N系統(N-M231)はウラル系民族に高頻度で、日本では約2%(0%-7.7%)の男性に見られるが、具体的な渡来経路などは明らかでない。N1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が青森で採取された26人のサンプルのうち2人のサンプル(即ち7.7%)に観察され[64]遼河文明の遺跡人骨からもN1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が高頻度で見つかっており[98]、かつ三内丸山遺跡と遼河文明の関連性が指摘されている[99]。なお、現代日本で観察されているN-M231の下位系統は、主に中国で観察されているN-M128とN-M1819、並びに韓国・朝鮮を中心として中国等でも観察されているN-Y23747/N-F4063であり、ウラル系民族等北アジアの男性に多く見られるN-F1419/M2017とN-P43ではない[100][83][101]ため、現代日本で見られるハプログループNはハプログループO2-M122やハプログループC2-M217やハプログループQ-M242等と共に渡来してきた可能性もある。(総人口に占める割合を取って見ても、O2-M122、C2-M217、N-M231、Q-M242はどれも日本人よりも中国人と韓国・朝鮮人に占める割合の方が大きい。)

Q系統はアメリカ大陸の先住民族及びシベリアの一部の先住民族(ケット人セリクプ人コリャーク人チュクチ人等)で多く見られるハプログループである。東アジアでは北方漢族男性(約4%~5%)で比較的多く見られ、日本ではわずか約0.40%の男性に観察されている。

ミトコンドリアDNAとY染色体による比較結果の相違

ミトコンドリアDNAのハプログループ構成を東アジアの集団で比較すると、本土日本人・山東遼寧の集団、韓国の集団は互いにかなり類似しており、沖縄の集団はハプログループM7aが多いなどの相違があるが依然本土日本人と近縁で、台湾・広東の集団は離れているという結果になった[102]

いっぽう、Y染色体による比較では、主にハプログループDが日本人において優勢であり、他の集団にはほとんど見られないことで、中国・韓国・モンゴルといった東アジアの集団から日本人は大きくかけ離れている[102]。また、アイヌ沖縄においてもハプログループDは頻度が高い。

この相違について篠田謙一は、母系と父系の子孫の残し方の違いに原因があると考えている。すなわち、女性は一生に産むことのできる子供の数が限られているのに対し、男性は一人で多くの子供を作ることができるといった事情に起因するという説である。特に、支配者層の父系DNAは短時間で爆発的に増加することがある。そこから、大陸においては何らかの理由で特定のY染色体ハプログループが伸長したいっぽう、日本では縄文人の遺伝子とみられるY染色体ハプログループDが多く残存していることから、縄文人とその後日本に流入し弥生時代を開始した集団とは平和のうちに共存し、その後も特定のハプログループが拡大することがなかったのではないかと推測している[103]

これに対し斎藤成也は、男性と女性の子供の残し方の違いによる影響の可能性を認めつつも、そもそもミトコンドリアDNAもY染色体もそれぞれひとつの系統樹しか持たず、ゲノムワイドな分析と比べて単純である点が問題であると論じた[51]

HLAハプロタイプの流れ

HLAハプロタイプについては、日本人には大きく以下の4タイプの流れが認められる[104][105][106][107]

  1. B52-DR2: 中国大陸北部と朝鮮半島から北九州・近畿へ
  2. B44-DR13、B7-DR1: 満州・朝鮮半島東部から日本海沿岸へ
  3. B54-DR4: 大陸南部から琉球諸島を経て太平洋側へ
  4. B46-DR8: 大陸南部から直接、あるいは朝鮮半島を経由して北九州へ

1. は中国北部、モンゴルの一集団に高頻度のタイプで、国内では九州北部から本州中央部にかけて多い。

2. は満族、韓国人[注 11]に高頻度タイプで、国内では日本海側に多い。

3. は中国南部に多いタイプで、国内では沖縄や太平洋側に多い。

4. は国外では満族と韓国人[注 11]のみに多くみられ、国内には九州北部から本州中央部にかけて多い。このタイプの姉妹タイプB46-DR9が東南アジアで最も高頻度でみられる。

さらにこれとは別に縄文系と想定される別の複数のハプロタイプが南九州や北東北に存在する。またアイヌは日本人と異なる型が多いという。

塩基多様度のネット値 (DA) 分析による系統関係

ミトコンドリアDNAの塩基配列の多様性の度合いを比較分析することによっても系統関係を計測できる。塩基多様度のネット値 (DA) 分析によって求められた集団間の遺伝距離をもとにした系統樹では、まずアフリカ人より西ユーラシア人(ヨーロッパ人)と東ユーラシア人(東アジア人)とが分岐し、次いで東ユーラシア人からアメリカ先住民が分岐し、次いでアイヌと東アジア人クラスターが分岐、次いで東アジア人が分岐、次いで沖縄と本州とが分岐する[108]

核DNAに対するゲノムワイドな解析

ヒトゲノムが解析されて[109]以来、人類集団間の遺伝的関係を推定するために大量のSNPを解析する研究が進展している[110]。日本列島の人類集団においても、このようなアプローチによる集団の歴史の解明、医療方面への応用が期待される。

遺伝子マーカーとしてのミトコンドリアDNA、Y染色体DNAとの違いは、①注目するDNA領域長、②遺伝的組み換えの有無、③遺伝様式などが挙げられる。

遺伝情報に基づいて系統関係を議論する場合、ハプロタイプ単位、あるいはマイクロサテライト、SNP単位での遺伝的多型に注目しているわけだが、遺伝的多型が必ずしも真の系統関係を示すとは限らない。なぜならば、遺伝的多型の実体である対立遺伝子頻度は、そのゲノム領域に依存した突然変異率、組換え率、さらに、遺伝的浮動自然選択、集団間での個体の移住、個体群動態などの影響を受けるためである。この問題を避けるためには、互いに独立な関係にある座位を多数解析することが必要である。この点で、注目する領域が相対的に小さく、組換えのないミトコンドリア、Y染色体の遺伝子マーカーは得られる情報量が制限される。しかしながら、遺伝様式が常染色体とは異なることから、母系、父系の遺伝子系図を比較する議論ができるという長所もある。

ゲノム解析は中立進化をしている領域のほか、転写されるコード領域も解析に含むため、適応進化の研究、個別化医療への応用も期待される。

上記詳細は太田(2007)[111]、斉藤(2009)[112]、斎藤(2017)[113]などを参照。

以下、日本列島人類集団を含む研究例をあげる。

International HapMap Consortiumの研究[110]では、東京由来の44名を含む人類集団サンプルを解析している。

Tian et al.(2008)[114]では、東アジア地域をカバーした集団サンプルを用いて、その遺伝的構造を議論している。主成分分析の結果からは日本列島人が単独のクラスターを形成することが見て取れる。同様のクラスターとさらに詳細な遺伝的多様性に関する研究は、HUGO Pan-Asian SNP Consortium[115]によってなされている。

日本列島内部集団の遺伝的構造を解析した例として、7001人のサンプルを解析したYamaguchi-Kabata et al.(2008)[116]では、日本列島の人類集団が琉球クラスターと本土クラスターに分かれることをゲノムレベルで示した。これはミトコンドリアやY染色体の解析からも予想されていた、日本列島人類集団の二重構造モデルを支持する結果であった。しかし本土クラスターと琉球クラスターの遺伝的分化の程度は非常に小さく、そのためSNPの頻度の違いは大部分についてはわずかであった[117]

しかしYamaguchi-Kabata et al.(2008)ではアイヌ人の集団サンプルを解析してはいなかった。その後、斎藤成也ら総合研究大学院大学により、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人と琉球人を含む日本列島人の大規模なDNA分析が行われた。

その結果アイヌ人からみると琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、沖縄にすむ日本人に次いでアイヌ人に近いことが示された[118][119]。また、アイヌ人は本土人との混血の度合いの差により個体間のばらつきがきわめて大きいが、遺伝的な多様性自体は本土人や沖縄人よりも低かった[注 12][120]。また、主成分分析およびfrappe分析から、アイヌ人個体の3分の1以上に本土日本人との遺伝子交流が認められた[118]。さらに、東アジアの他の30の人類集団のデータと日本列島人の比較調査が行われた。30集団のうちほとんどの集団が近縁のグループを形成したのに対し、本土日本人、沖縄人、アイヌ、韓国人、ウイグル人ヤクート人のみが大きく乖離していた。このうち日本列島の三集団はアイヌ、沖縄人、本土人の順に同傾向の乖離を示し、縄文人の影響を受けていることが確かめられた形となった[注 13]。このことは、現代日本列島には旧石器時代から日本列島に住む縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存するという、二重構造説を強く支持する[121]

アイヌ人と琉球人は、東ユーラシア人の系統樹においてクラスターを形成しており、ブートストラップ確率(推定系統樹の信頼度)は100%であった。さらにこのクラスターは、系統樹上で、本土日本人とのクラスターを形成していた[122]

また、アイヌ人を縄文人に見立て、他の日本列島人と比較すると、本土日本人には14‐20%[123]、沖縄人には27‐30%[124]の縄文人の血が伝わっていると推定された。

また、日本を七地域に分けてその遺伝的距離を測った研究では、沖縄と他の本土日本人との距離はその他の地域同士の距離よりも大きく離れていた[注 14]。沖縄人と個々の地域集団との関連でいえば、比較的地理的に近い九州だけではなく、東北の集団とも比較的共通性がみられることがわかった[125]。さらに別の調査では、出雲地域の集団[126]や南薩摩の集団[127]が東北の集団と遺伝的に近いことが判明した。またこれら沖縄、東北、出雲、南薩摩の集団は、関東の集団と比べて大陸の集団との遺伝距離が遠いという結果になった。これは、北九州、畿内、中部、関東などの政治文化の中心地には弥生時代の渡来人やその後も断続的に続いた流入民が集まりやすく、逆に沖縄・東北・出雲・南薩摩などの周縁部は弥生以降の渡来人の影響が少なかったことが影響しているのではないかと推測されている[128]

また、斎藤はアイヌと本土日本人との遺伝的距離、そして本土日本人における遺伝的地域性を鑑みて、縄文人の後に大陸から渡来した人々は遺伝的に二つの集団に分かれると主張した[129]

国立遺伝学研究所によると、下記のミトコンドリアDNA(母系)やY染色体ハプログループ(父系)ではなく、核ゲノム配列に基づく調査を行った結果、福島県三貫地貝塚から出土した縄文時代人に基づくものとして、縄文人は人類がアフリカから東ユーラシアに移り住んだ内でもっとも早く分岐した古い系統であること、現代の本土日本人に伝えられた縄文人ゲノムの割合は15%程であるとしている[130]

2019年、覚張隆史等のグループは愛知県伊川津貝塚から出土した特定の縄文人骨をIK002と名づけゲノム配列の解析を行った[131][132]。その結果、アフリカ大陸からヒマラヤ山脈以南を通り、ユーラシア大陸東端に到達した最も古い系統の1つであるとしている。また、本州縄文人の個体の一つであるIK002であるが、アイヌのクラスターに含まれると同時に[注 15]台湾原住民の中の一部や、8千年前のラオスの人骨との親和性が高いことから縄文人は南ルートを通った可能性を主張している[131][132]。一方で、IK002という1個体の解析であり、他の地域、他の時代の縄文人も同様に南ルートを示唆できるかについては不明とし、今後調査する個体を増やすとしている[131][132]

Boer et al. (2020) による全ゲノム研究では、いくつかの縄文人の標本を分析し、それらが現代のアジア人と遺伝的に異なり、シベリアを通って日本に移動した可能性が高いことを発見し、南ルート仮説を支持しない結果となった[133][134]

2005年の疾病管理本部国立保健研究院のチョ・インホ博士研究チームは、韓国人、日本人、中国人の間に存在する遺伝的差異の中で、現在の韓国人と近隣諸国との遺伝的差異は中国人(10.4%)、日本人(5.9%)であり、韓国人と日本人の遺伝子が最も似ているとしている[135]

核DNA解析によって推定される日本列島への人類集団の移住の歴史
  • 第一段階(狩猟採集民)(約4万年前から約4400年前、旧石器時代から縄文時代の中期)

第一波の渡来民が、ユーラシアの各地からさまざまなルートで日本に流入した。特に1万2000年前まで日本は大陸と陸続きであったため流入は容易であった。この集団は狩猟採集を主とし、現在の大半の東アジア人とは大きくDNAの異なる集団だった。この旧石器時代の日本人がそのまま縄文人へと発展したと考えられる[136]

  • 第二段階(漁撈・園耕民)(約4400年前-3000年前)

縄文時代後期になって、第二の渡来民が流入した。これは縄文人とDNAを大きく異にしていたが、後述の第三期渡来民とも若干異なっていた。斎藤はこの集団を黄海沿岸に住む「海の民」と推定し、漁労を主とする狩猟採集民もしくは狩猟採集と農耕をともに生業とする園耕民であったとした。この集団は日本列島中心部において縄文人と混血したが、北海道、南西諸島、東北地方にはほとんど影響を及ぼさなかった[137]。また、ABO式血液型の分布から、この集団はO型を主とし、シベリアもしくは東南アジアの集団と近縁である可能性がある[138]

  • 第三段階前期(農耕民)(約3000年前-1700年前)

朝鮮半島から稲作を主とする渡来民が流入し、水田稲作を導入した。この集団は主に北九州、畿内、関東を結ぶ日本の中心軸に広がり、その他の場所では比較的影響を及ぼさなかった。特に北海道や南西諸島、東北への影響は引き続きほとんどなかった[137]

  • 第三段階後期(約1700年前-現在)

政治の中心が畿内に移り、朝鮮半島に加え、現在の上海周辺からも若干の渡来民が流入するようになった。古墳時代に入ると、東北地方に居住していた第一段階(旧石器・縄文人)の子孫の大半が北海道へ移り、替わって第二段階(漁労民もしくは園耕民)の子孫を中心とする人々が住み着いた。南西諸島では、グスク時代に南九州から第二段階の子孫を中心する集団が移住・混血し、江戸時代には第三段階の集団との混血も進んだ。北海道では古墳時代から平安時代にかけてオホーツク文化人と縄文人の子孫との交流があり、江戸時代以降は本土日本人との混血も進んだ[139]

仮に東アジアの六集団(本土日本人、アイヌ人、沖縄人、韓国人、北方中国人[注 16]、南方中国人[注 17])がすべて三つの集団の混血からなると仮定してゲノムを分析すると、第一段階の集団の遺伝子はアイヌの一部が100%を受け継いでおり、沖縄人は20%弱、本土日本人もそれより低い確率で受け継いでいるが、その他の三集団ではほとんど見られない。第二段階の集団の遺伝子は、沖縄人が80%以上、本土日本人が60%以上、韓国人は30%前後、北方中国人が10%前後受け継いでいるが、南方中国人はほとんど持っていない。第三段階の集団の遺伝子は南方中国人のほぼ100%を占め、北方中国人の90%前後、韓国人の70%前後もこの系統である。本土日本人においては第一段階の集団よりも多いが、第二段階の集団よりは少ない。アイヌにもある程度影響のある個体が存在するが、沖縄人への影響はほんの一部に過ぎない[140]。ただし、これらの推計は限りなく単純化されたもので、必ずしもそのまま受け取れるものではないことに注意する必要がある[141]

都道府県レベルでみた日本人の遺伝的集団構造

Watabe et al. (2020)[142]は、47都道府県の日本人約11,000名の全ゲノムSNP遺伝子型データを解析し、都道府県レベルで日本人の遺伝的集団構造を初めて明らかにした。47都道府県を対象に主成分分析では、第1主成分は沖縄県と各都道府県の遺伝的距離を反映しており、沖縄県に遺伝的に最も近いのは鹿児島県であった。第2主成分は都道府県の緯度および経度と有意な相関が見られた。また、近畿地方や四国地方は中国・北京の漢民族に遺伝的に近いこともわかった。この結果は、先住の縄文人と大陸から来た弥生人との混血度合の差異と地理的位置関係が本土日本人の遺伝的地域差を形成した主要因であることを示している。大陸から地理的に近い九州北部よりも、近畿地方や四国地方の人々に弥生人の遺伝的構成成分がより多く残っていることが示唆された。

その他の分子人類学的指標による諸説

集団遺伝学者の根井正利は、「現代人の起源」に関するシンポジウム(1993年、京都)にて、(アイヌを含む北海道から沖縄県までの)日本人の起源は約3万年前から北東アジアから渡来し、弥生時代以降の渡来人は現代日本人の遺伝子プールにはわずかな影響しか与えていないという研究結果を出している[143][144]。分子人類学者の尾本恵市は埴原の原日本人(アイヌを含む縄文人)の南方起源説を批判しており、1995年に出した系統図では、日本人はチベット人と同じ枝に位置づけられ、アイヌとは異なるとしており、1997年に出した系統図では、本州日本人はアイヌや琉球諸島、チベット、一部の台湾原住民と近く、韓国人、中国人とは離れているという結果を出している[145][146][147]松本秀雄はGm遺伝子の観点から、日本人の等質性を示す「日本人バイカル湖畔起源説」を提唱している[148]。また、ヒト白血球型抗原の遺伝子分析により、現代日本人は周辺の韓国人や台湾人よりも等質性が高い民族であるとの研究結果が発表されている(台湾50、韓国70、日本80)[149]

京都大学ウイルス研究所日沼頼夫はALT(成人T細胞白血病)レトロウイルス (HTLV) のキャリアが多い地域を縄文系の人が色濃く残存する地域と考えた[150]。ATLのウイルスキャリアは日本人に多数存在するが、東アジアの周辺諸国ではまったく見出されず、アメリカ先住民やアフリカ、ニューギニア先住民などで多い。日本国内の分布に目を転じると、九州や沖縄、アイヌに特に高頻度で見られ、四国南部、紀伊半島の南部、東北地方の太平洋側、隠岐、五島列島などの僻地や離島に多いことが判明している。九州、四国、東北の各地方におけるATLの好発地域を詳細に検討すると、周囲から隔絶され交通の不便だった小集落でキャリアは高率に温存されている。HTLVはかつて日本列島のみならず東アジア大陸部にも広く分布していたが、激しい淘汰が繰り返されて大陸部では消滅し、弥生時代になってウイルス非キャリアの大陸集団が日本列島中央部に多数移住してくると、列島中央部でウイルスが薄まっていったが、列島両端や僻地には縄文系のキャリア集団が色濃く残ったものと考えられている。

最近の研究から、東アジア人(モンゴロイド)を特徴付ける遺伝子があることがわかった[151][152]

Chauber&Driem (2020)は、縄文時代(紀元前6000年頃に)日本列島には現代のオロチョン人に近い"アルタイ的民族"が北東アジアから移住し、陶磁器文化に代表される初期の縄文文化を導入したと推定している。 さらに、弥生人が到着する前に、オーストロネシア人が日本最南端(特に先島)にいた可能性があると述べている[153]

形質人類学、考古学からの接近方法

日本人の形成過程を分析する形質人類学からの接近方法には原人や古人骨などの形態解析、石器の分布分析などが古典的な方法としてある[154]。形質人類学的な手法は、「ヒト集団の系統関係の把握」という用途に用いるにはかなり限界があるとの指摘が聞かれてきたところであり、この用途に限って言えば、完全に主役の座を分子人類学に譲り渡した感が強い。もっとも、遺跡発掘骨の年代推定は、発掘物のAMS放射性炭素年代測定法によりかなり正確に推定できる利点がある。

東大人類学教室の長谷部言人鈴木尚は豊富な発掘調査をもとに、日本人が時代を通じて変化してきたこと、明治以降の例でも分かるように、混血等がなくとも急激に形質が変化しうることを示し、一見、形質が大いに異なる縄文人と弥生人の間でも、実は連続していて、外部からの大きな遺伝子の流入を仮定する必要はないと主張し、1980年代半ばまで有力な説であった(これは「変形説」と呼ばれる)。

それに対して、現代日本人は日本の先住民族に置き換わって成立したという「置換説」も、幕末、明治のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトエドワード・S・モースの考察に早くから見られ、記紀神話などを参考に、在来の原住民を天孫族が征服して日本人が形成されたという論は盛んであった。エルヴィン・フォン・ベルツは日本人でも長州藩出身と薩摩藩出身では顔に形質的な違いがあるとして「混血説」を提唱した。京都大学清野謙次の論などが「混血説」の代表である。第二次世界大戦後、長谷部=鈴木ラインの説が唱えられると、一時期、表立って主張されにくい傾向があったが、同じ東大系の鈴木尚の弟子である埴原和郎が、1980年代半ばに日本人の起源は南方系の縄文人と北方系の弥生人の混血であるとする「二重構造説」を唱えたが、近年分子生物学の研究が進むにつれて「縄文人」も北方系であるとする研究結果が多数出るに至っている。

考古学の観点からは、弥生早期の遺跡に外来系の土器が玄界灘に面した大きな遺跡からしか発見されていないことから、弥生人(渡来系)の人数を1割程度に見積もる研究者が多い[155]。一方で、人類学者による研究では大量の渡来があったとされ(埴原和郎で100万人、宝来聰で65%が渡来系)、人類学者の中橋孝博らによる人口シミュレーションによると、農耕民の弥生人は狩猟民である縄文人よりも人口増加率が高く、渡来が少数でも数百年で大きく数を増やす可能性も示された[155][156]

稲作の起源とその考古学的分析

日本人の渡来ルートを知るために稲作の渡来ルートを考える研究があり、いくつかの説が存在しているが、稲作以前から日本列島には人が住んでいたことと、移民してきた少数の稲作耕作者から稲作が原住民に伝搬された可能性とを考えれば、稲作伝搬が必ずしも大規模な移民を裏付けるものではないことに注意が必要である。[要出典] 従来、稲作は弥生時代に朝鮮半島北部から南下、もしくは半島南部を経由して来たとされてきたが、2005年岡山県彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から稲のプラントオパールがみつかっており[157]、縄文中期には稲作(陸稲)をしていたとする学説が多数出た[158][159][160][161]。いっぽう、これらに対して農学者の池橋宏は、従来の「縄文稲作農耕」説は農学的に見ても疑わしく、日本の稲作は江南を起源とする意見もある。しかし、池橋宏によると発見された稲の品種の中で、江南を起源とする稲のプラントオパールの数が非常に少ないことを指摘している。[97]

民族学・古代史から

民族学

人類学者の鳥居龍蔵は、アイヌ、固有日本人(朝鮮半島から、あるいは沿海州から来た北方系民族)、インドシナ族(苗族)、インドネシア族(隼人)を主な構成要素として日本民族が形成されたと考えた[162]

民族学者の岡正雄は、先史時代の日本列島には少なくとも以下の5つの種族文化が渡来したとしている[163][164]

  1. 母系的、秘密結社的、芋栽培=狩猟民文化(メラネシア方面)
  2. 母系的、陸稲栽培=狩猟民文化(東南アジア方面)
  3. 父系的、「ハラ」氏族的、畑作=狩猟民文化(北東アジア・ツングース方面)
  4. 男性的、年齢階梯制的、水稲栽培=漁撈民文化(中国江南地方)
  5. 父権的、「ウジ」氏族的=支配者文化(アルタイ、朝鮮半島)

1. は縄文中期はじめ頃日本に流入。メラネシア原住民の文化と著しく一致(乳棒状石斧、棍棒用石環、石皿、土器形態と文様、土偶、土面、集団構造)。男性秘密結社の祭り(ナマハゲ)、タロ芋の一種であるサトイモを祭事の折の食物にする。

2.は縄文末期に日本に流入。狩猟生活とともに山地丘陵の斜面の焼畑において陸稲を栽培した。(太陽神アマテラスの崇拝、家族的、村落共同的シャーマニズム、司祭的女性支配者)

3.は弥生初期に満州、朝鮮方面からツングース系統のある種族によって日本に流入。を焼畑で栽培しながらも狩猟も行った。アルタイ語系の言語を最初に日本に持ち込んだのはこの種族。(櫛目文土器、穀物の穂摘み用半月系石器)。日本語のウカラ、ヤカラ、ハラカラなど同属集団を意味する言葉ハラ=カラはツングース諸語において外婚的父系同属集団を呼んだ語ハラ (Hala) に系統を引く。

4.は紀元前4世紀から5世紀頃、揚子江の夏口地方よりも南の沿岸地域から両国滅亡に伴う民族移動の余波として日本に渡来したもの。弥生文化における南方的と言われる諸要素を日本列島にもたらした。アウストロネシア系の種族文化。(水稲耕作、進んだ漁撈技術、板張り船)若者宿、娘宿、寝宿、産屋、月経小屋、喪屋など機能に応じて独立の小屋を建てる慣習も年齢階梯制(年齢や世代の区分で社会を階層づける社会組織)によるもの。

5.は支配者王侯文化・国家的支配体制を持ち込んだ天皇氏族を中心とする部族の文化。4の文化と同系同質の種族が、西から来たアルタイ系騎馬遊牧民によって征服され国家に組織されることによって、満州南部に置いて成立したが1世紀前から南下し始め朝鮮半島南部に暫く留まり3 - 4世紀頃に日本列島に渡来。大家族、「ウジ」族、種族のタテの三段に構成される種族構造。「ウジ」父系的氏族、軍隊体制、王朝制、氏族長会議、奴隷制、氏族職階製、各種の職業集団、鍛冶職集団などを所有。氏族や種族を五つの部分に区画する「五組織」的な社会及び軍事の構造もこの文化。天神崇拝、父系的祖先崇拝、職業的シャーマニズムなどの宗教要素もこの文化。ユーラシア・ステップ地域の騎馬遊牧民の文化と本質的に完全一致する。

言語学から

日本語の起源を解明することで、日本人のルーツを明らかにするという研究もある。

日本語の起源は、従来、アルタイ諸語オーストロネシア語族との関連が想定されてきたが、比較言語学的にはまだ証明されていない。現在のところ、日本語の起源については、いくつかの説が出ているが決定的なものはない。

学際研究による日本列島へのヒト渡来経路の総合的分析

平成17年(2005年)度から21年(2009年)度にかけて、日本学術振興会による共同研究「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究」が行われ、2010年2月20日には国立科学博物館にて公開シンポジウム「日本人起源論を検証する:形態、DNA、食性モデルの一致、不一致」が開催され、また雑誌『科学』(岩波書店、2010年4月号)では同内容が掲載された[165]。研究代表者の溝口優司は、研究班員全員の同意が得られるようなシナリオは作れなかったと断ったうえで、日本列島へのヒト渡来経路は現時点では次のようになるとしている[注 18]

  1. アフリカで形成された人類集団の一部が、5 - 6万年前までには東南アジアに渡来し、その地の後期更新世人類となった。
  2. - 3. 東南アジア後期更新世人類の一部はアジア大陸を北上し、また別の一部は東進してオーストラリア先住民などの祖先になった(典型性確率を使った頭蓋計測値の分析で、オーストラリア東南部出土の人骨化石であるキーロー[167]などに似た後期更新世人も、縄文時代人の祖先候補とすべきであることが指摘された)。
  3. アジア大陸に進出した後期更新世人類は北アジア(シベリア)、北東アジア、日本列島、南西諸島などに拡散した。シベリアに向かった集団は、少なくとも2万年前までには、バイカル湖付近にまでに到達し、寒冷地適応を果たして北方アジア人的特徴を得た。日本列島に上陸した集団は縄文時代人の祖先となり、南西諸島に渡った集団の中には港川人の祖先もいた。
  4. 更新世の終わり頃、北東アジアにまで来ていた、寒冷地適応をしていない後期更新世人類の子孫が、北方からも日本列島へ移住した可能性もある。
  5. シベリアで寒冷地適応していた集団が東進南下し、少なくとも約3000年前までには中国東北部、朝鮮半島、黄河流域、江南地域などに分布。

また同研究では、北海道縄文時代人は北東アジア由来かもしれないという仮説、縄文時代人の祖先は東南アジア・中国南部のみならず広くオーストラリアまでも含めた地域の後期更新世人類の中から探さなければならないという指摘、後期更新世の沖縄港川人はアジア大陸の南方起源である可能性が高いが、北海道 - 九州地方の縄文時代人とは下顎形態に多数の相違点が見出され、両者の間の系譜的連続性を認める従来の仮説は見直される必要があるという主張もなされた[168][出典無効]

名称

美称

前者は日本男性、後者は日本女性を指す。武士道武芸、日本的道徳教養芸術和裁日本料理の技能などを備えていることの誉め言葉としてよく使われる。国際スポーツ大会で活躍した日本チーム・選手は、20世紀末からは「サムライ○○」と呼ばれるようになった。(例)サムライブルーサムライジャパン

他の言語

アイヌ語で、アイヌ人以外の日本人を、「自分のそば」「隣人」という意味のシサムという。それ以外の言語では、おおむね「漢語の日本の現地発音、ジパングに類似した固有名詞」+「国民、住民を表す接頭語、接尾語」で表現される。

外国系日本人・帰化

古来、アジアと朝鮮半島から渡ってきた渡来人帰化人が存在した。ヤマト王権(朝廷)が日本列島の大部分を統治するようになった後は、各地の先住集団と外来の少数集団の同化が進み、日本人(大和民族)が形成された。大和民族は、歴史や人類学で使う呼称であり、法令では使われていない。反対に日本政府は、日本人の中にアイヌのみを別個の民族としており、かつて蝦夷地と呼ばれ日本の本土への統合の度合いが低かった日本北部の一部地域の先住民族と定めている(アイヌ施策推進法)。アイヌの人々は日本の一民族であるため外国系日本人には含まれない。

一方で、近現代の国籍法に定める帰化によって、様々な外国人が日本国籍を取得することができた。日本の帰化は、本人の志望と法務大臣許可とを要する。明治の国籍法制定の時から1988年(昭和63年)までの帰化者の総数は20万人弱であるが、その大多数は戦後の新国籍法(昭和22年公布)の下で行われた。さらに、平成になった1989年から2021年(令和3年)までの帰化者の総数は約40万人に上っている。もっとも、帰化者の生存・子孫ならびに混血の動向に関する統計が存在しないため、ハーフ等の混血者を含まない純然たる外国系日本人の現人口を推計することは困難である[注 19]

帰化に関する2020年(令和2年)の統計によると、同年末までに韓国・朝鮮籍から日本に帰化した累積者数は383,991人[169]、中国・台湾からの帰化(中国籍からの帰化)は累計149,948人[169]である。いっぽう、韓国・朝鮮・中国以外の籍からの帰化は、少数ながらも近年増加しつつある。2020年末現在のその累積者数は43,382人[169][170]に上り、帰化前の国籍には、ブラジル、アメリカ、ロシア、モンゴル、ベトナム、フィリピン、ペルーなどがある。帰化者は元の国籍を離脱する原則があるため、通常であれば帰化者は日本国籍のみを有する日本人である。

また、アメリカ系日本人のような呼称は、帰化者に限らず海外ルーツの日本人を全般的に指すことがある。もっとも、これらの呼称は多義的である。当人のルーツが専ら海外にある、もしくは海外と日本の両方にあるという属性のみを言う場合がある一方で、海外ルーツのない日本人との様々な隔たりを強調し、一般日本人と切り離されたマイノリティー集団への帰属が含意されている場合もある。しかし、それらの捉え方は各本人の習慣の実態や帰属意識(民族的アイデンティティまたは国民的アイデンティティ)と合致していると限らないので、注意を要する呼称である。

その他

」の字は「」と同義であり、したがって「邦人」の字義は「」(歴史的用語である国人とは意味が異なる)である。その語義は第1に「(主体とする)国の人間」を意味し、「自国の人」を指す。この意の「邦人」は、文の主体が日本であれば「日本人」を指し、他の国であればその国の人を指す(用例:アメリカ政府は邦人の救出に成功した)。ただ、当然ながら日本語において日本人を指すことが多いため、現代においてはこれが「邦人」の第2義となっている(用例:日本政府は邦人の釈放を要求した)。なお、第2義の「邦人」は日本に滞在する外国人日系人を含まないことが多い。「日本国外に居留(在留)する在外日本人海外在留邦人、略して在留邦人とも、在外邦人などとも呼ばれる。旅行者は含まない)」に対して使われることが多く、マスメディアでは「現地在留の日本人」を指して用いられる頻度が高い。現代日本語のニュアンスとしては、硬質な話題、すなわち、政治経済のニュースや現地在留の日本人が何らかの災禍を被ったネガティブなニュースで用いられるケースがほとんどである(用例:事故に巻き込まれた邦人の数は…)。硬質でない話題で用いられることは比較的少ない(用例:ご到着になった天皇陛下と現地在留の日本人らは…)。また、「当事国の在留日本人」という意味で「在+国名+邦人」や「国名+邦人」とする例も見られる(用例:在アルジェリア邦人拘束事件[175]cf. アルジェリア人質事件〉。アルジェリア邦人拘束の報。※後者の場合は第1義的用法〈アルジェリア国の邦人〉との判別は不可能)。「内国人」とも呼ばれる[176]が、一般的ではない。

脚注

注釈

  1. ^ 世界に散らばる日系人のうち、3分の2はラテンアメリカに集中している[4]
  2. ^ 孤立した言語であるアイヌ語の母語話者は、数名程度、あるいは消滅したと推定されている。
  3. ^ 日本国籍を有せず、かつ日本の民族を血統に持たない人。
  4. ^ 現代はアイヌを自認する日本人の数は極めて少ない。また、アイヌ語は消滅の危険が極めて深刻である。
  5. ^ 専ら海外ルーツを持つ近現代の日本人については補論の外国系日本人を参照。
  6. ^ 環日本海交流、山東半島の経由ルートを含む。
  7. ^ 南西諸島、東南アジア諸地域からの渡来ルート。
  8. ^ 古代世界の航海技術は従来考えられてきたよりもずっとさかのぼって高度に発達していた可能性が近年の考古学では明らかになってきているが、まだ年代や具体的な技術の内容については確定できない[29]
  9. ^ 文献等[要文献特定詳細情報](2014年以前)ではO2b*と表記されているが、実際はO1b2(旧O2b)からO-47zを除いたものである。
  10. ^ ただし、近年の遺伝子調査により、アイヌは縄文人の単純な子孫ではなく、オホーツク人等の新モンゴロイド系北方民族のY-DNAも10%ほど見られ、複雑な過程を経て誕生したことが明らかになった[76]
  11. ^ a b 北朝鮮では調査がなされていない。
  12. ^ これは人口が少ない集団は遺伝的多様性が少なくなるからと考えられている。
  13. ^ なお、ウイグル人とヤクート人は西ユーラシア人との混血のため東アジアの主集団と離れていると考えられる。また韓国人は若干日本列島人と同様の乖離の傾向を示したため、わずかではあるが縄文人のDNAを含んでいる可能性が示唆された[121]
  14. ^ ただし、北海道地域のサンプルはアイヌを選んだわけではないということに留意する必要がある
  15. ^ IK002の個体と現代の本土日本人との先祖としての一致は10%程、混血としては3.3%としている。
  16. ^ サンプルは北京の漢族。
  17. ^ サンプルは中国系シンガポール人。
  18. ^ 溝口は「本プロジェクト研究班の班員全員の合意によるものではない」と明記している[166][出典無効]
  19. ^ 純粋な外国系日本人の数ははっきりしていないが、人口比で帰化が少ないことに加え、帰化者の子孫において混血が漸次進んでいることを考えると、割合少ない数であるといえる。

出典

  1. ^ 【2021年(令和3年)9月1日現在(確定値)】:“人口推計 令和4年2月報”. 総務省統計局. (2022年2月21日). https://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/202202.pdf 2022年3月19日閲覧。 
  2. ^ “海外在留邦人数調査統計 令和2年(2020年)10月1日現在|外務省”. 外務省. (2021年6月3日). https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/tokei/hojin/index.html 2021年8月29日閲覧。 
  3. ^ 「海外日系人数(2017年・平成29年現在推定)」:“日系人について知ろう”. 公益財団法人海外日系人協会. (2017年). http://www.jadesas.or.jp/aboutnikkei/ 2021年8月29日閲覧。 
  4. ^ “Uruguay entra al radar de Japón”. エル・パイス英語版. (2018年2月25日). オリジナルの2018年2月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180225094255/https://www.elpais.com.uy/que-pasa/uruguay-entra-radar-japon.html 
  5. ^ 茂木敏充 (2021年1月7日). “訪問記念特別寄稿=ブラジルとの関係強化に向けて”. ニッケイ新聞. オリジナルの2021年1月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210106221918/https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/210107-61colonia.html 
  6. ^ 外務省. “ブラジル連邦共和国(Federative Republic of Brazil)基礎データ”. オリジナルの2021年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210304044107/https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/brazil/data.html 
  7. ^ 岡田玄 (2018年11月26日). “「日本でなくてもいい」日系ブラジル人の「総スカン」食らった新制度”. withnews. オリジナルの2018年11月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181126172833/https://withnews.jp/article/f0181126004qq000000000000000W09y10101qq000018413A 
  8. ^ “日本との友好、一層深化を=天皇即位でメッセージ-ブラジル大統領”. 時事通信. (2019年5月3日). オリジナルの2020年1月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200123024931/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019050300273&g=int 
  9. ^ “ブラジル上院、日本移民111周年祝う=200万日系人に感謝”. 時事通信. (2019年7月9日). オリジナルの2020年1月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200123194303/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019070900671 
  10. ^ American FactFinder - Results
  11. ^ a b http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/tokei/hojin/11/pdfs/1.pdf[要ページ番号]
  12. ^ Japan news, commentary, culture, sports | The Japan Times(2009年3月6日時点のアーカイブ). Search.japantimes.co.jp. Retrieved on 2013-08-24.
  13. ^ Adachi, Nobuko (2006-05-30). Japanese diasporas: Unsung pasts, conflicting presents, and uncertain futures. ISBN 978-0-415-77035-4. https://books.google.co.jp/books?id=litYzL0GYSkC&pg=PA97&lpg=PA97&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false. [要ページ番号]
  14. ^ 2011 National Household Survey: Data tables | Ethnic Origin (264), Single and Multiple Ethnic Origin Responses (3), Generation Status (4), Age Groups (10) and Sex (3) for the ...
  15. ^ MOFA: Japan-Peru Relations
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n o http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/tokei/hojin/10/pdfs/1.pdf[要ページ番号]
  17. ^ 外務省: 英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)基礎データ
  18. ^ MOFA: Japan-Argentine Relations
  19. ^ MOFA: Japan-Singapore Relations
  20. ^ http://www.mra.fm/pdfs/nr_los_FromFSMAmbassador.pdf
  21. ^ MOFA: Japan-Mexico Relations
  22. ^ “パラグアイ共和国(Republic of Paraguay) 基礎データ”. 外務省. (2020年11月25日). オリジナルの2021年6月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210607054604/https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/paraguay/data.html 
  23. ^ ボリビア日系協会連合会 (FENABOJA)[リンク切れ]
  24. ^ Bangladesh Japanese Population”. 2016年2月12日閲覧。
  25. ^ Tourism New Caledonia | Prepare your trip in New Caledonia (PDF) (2008年10月14日時点のアーカイブ)[要ページ番号]
  26. ^ "日本人". 広辞苑.
  27. ^ アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律 | e-Gov法令検索”. elaws.e-gov.go.jp. 2020年11月24日閲覧。
  28. ^ "日本人". マイペディア. 平凡社.
  29. ^ 海部陽介『人類がたどってきた道』NHK出版[要ページ番号]ほか[要文献特定詳細情報]より。
  30. ^ 人口推計 - 2021年(令和3年)8月報 -”. 総務省統計局. 2021年8月29日閲覧。 (1頁,3頁)
  31. ^ 海外在留邦人数調査統計 令和2年版”. 外務省領事局政策課. 2021年8月29日閲覧。(4頁)
  32. ^ a b 帰化許可申請者数等の推移”. 法務省. 2021年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月29日閲覧。
  33. ^ 鈴木孝夫『日本人はなぜ英語ができないか』 (1999年、岩波書店)、pp.17-19
  34. ^ “[https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00401101&tstat=000001018471&cycle=0&year=20191&month=0&tclass1=000001135483 全国社寺教会等宗教団体・教師・信者数 (1)系統別]”. 統計局. 2020年6月15日閲覧。
  35. ^ 年間連続調査・日本人 (6)宗教観”. 立教大学. 2019年9月29日閲覧。[要ページ番号]
  36. ^ 河合隼雄『対話する生と死』(大和書房[要ページ番号]
  37. ^ 永田泰弘『日本の269色―JIS規格「物体色の色名」』、小学館、2001年、p.35。
  38. ^ 一重・奥二重45% 栃原きみえ・斉藤一枝・水口綾子・池田恵子 (1979), 論文-被服の着装効果と顔の形態的因子との関係についての研究, p. 9 
  39. ^ 内藤芳篤 著「日本人」、下中直人 編『世界大百科事典』 21巻(改定新版)、平凡社、2009年、445頁。 
  40. ^ 塚田史紀・片山一道「『骨が語る日本人の歴史』を書いた京都大学名誉教授片山一道氏に聞く」『週刊東洋経済』7月18日号、東洋経済新報社、2015年、114頁。 
  41. ^ a b c d e f g h i 内藤芳篤 著「日本人」、下中直人 編 『世界大百科事典』21、447頁。
  42. ^ 内藤芳篤 著「日本人」、下中直人 編 『世界大百科事典』21、447-448頁。
  43. ^ 溝口優司(国立科学博物館人類研究部長)『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』日本人の成り立ちについての3つの仮説 (P173)
  44. ^ Niall P. Cooke1† , Valeria Mattiangeli2† , Lara M. Cassidy2 , Kenji Okazaki3 , Caroline A. Stokes2 , Shin Onbe4 , Satoshi Hatakeyama5 , Kenichi Machida6 , Kenji Kasai7 , Naoto Tomioka8 , Akihiko Matsumoto9 , Masafumi Ito10, Yoshitaka Kojima11, Daniel G. Bradley2
    • ,
    Takashi Gakuhari11*, Shigeki Nakagome1,11* (20210917). “Ancient genomics reveals tripartite origins of Japanese populations”. SCIENCE ADVANCES Vol 7, Issue 38.
     
  45. ^ 『中国史のなかの日本像』王勇[要ページ番号]参照。
  46. ^ 佐々木高明『日本文化の多重構造?アジア的視野から日本文化を再考する』小学館,1997,p.112。
  47. ^ Jinam, Timothy; Nishida, Nao; Hirai, Momoki; Kawamura, Shoji; Oota, Hiroki; Umetsu, Kazuo; Kimura, Ryosuke; Ohashi, Jun et al. (2012-12). “The history of human populations in the Japanese Archipelago inferred from genome-wide SNP data with a special reference to the Ainu and the Ryukyuan populations” (英語). Journal of Human Genetics 57 (12): 787–795. doi:10.1038/jhg.2012.114. ISSN 1435-232X. https://www.nature.com/articles/jhg2012114. 
  48. ^ 記者会見「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」”. 東京大学. 2021年11月8日閲覧。
  49. ^ 崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?』昭和堂、2008年、p.90
  50. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、25-26頁
  51. ^ a b c 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、180頁
  52. ^ a b McDonald, J. D. (2005), Y chromosome and Mitochondrial DNA haplogroups, http://www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf 2008年4月14日閲覧。 [リンク切れ][要ページ番号]
  53. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、4-6頁
  54. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、26-28頁
  55. ^ 篠田謙一 (2007), 日本人になった祖先たち - DNAから解明するその多元的構造, 日本放送出版協会 、p.32.
  56. ^ Haplogroup M7.
  57. ^ 篠田謙一 (2007), 日本人になった祖先たち - DNAから解明するその多元的構造, 日本放送出版協会 、p.111-113.
  58. ^ 崎谷満『新日本人の起源』勉誠出版、2009年、P45
  59. ^ 『新日本人の起源』P35 - 38、52
  60. ^ National Geographic, ed., Atlas of the Human Journey, オリジナルの2008年4月5日時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20080405232839/https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html 2008年4月14日閲覧。 
  61. ^ International Society of Genetic Genealogy, ed. (2007), Y-DNA Haplogroup Tree 2006, 1.24, http://www.isogg.org/tree/Main06.html 2008年4月14日閲覧。 要引用
  62. ^ 崎谷満 (2008), DNAでたどる日本人10万年の旅, 昭和堂, ISBN 978-4-8122-0753-6 [要ページ番号]
  63. ^ a b c d e I. Nonaka, K. Minaguchi, and N. Takezaki, "Y-chromosomal Binary Haplogroups in the Japanese Population and their Relationship to 16 Y-STR Polymorphisms," Annals of Human Genetics (2007) 71,480–495. doi:10.1111/j.1469-1809.2006.00343.x
  64. ^ a b c d e f g h i j k Michael F Hammer; Tatiana M Karafet; Hwayong Park; Keiichi Omoto; Shinji Harihara; Mark Stoneking; Satoshi Horai (2006). “Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes”. Journal of Human Genetics 51 (1): 47 - 58. doi:10.1007/s10038-005-0322-0. PMID 16328082. 
  65. ^ a b c YOUICHI SATO, TOSHIKATSU SHINKA, ASHRAF A. EWIS, AIKO YAMAUCHI, TERUAKI IWAMOTO, YUTAKA NAKAHORI Overview of genetic variation in the Y chromosome of modern Japanese males. doi:10.1537/ase.140709
  66. ^ a b c Atsushi Tajima, Masanori Hayami, Katsushi Tokunaga, Takeo Juji, Masafumi Matsuo, Sangkot Marzuki, Keiichi Omoto, and Satoshi Horai, "Genetic origins of the Ainu inferred from combined DNA analyses of maternal and paternal lineages." Journal of Human Genetics (2004) 49:187–193. doi:10.1007/s10038-004-0131-x
  67. ^ Yasuhisa Seo, Yasunari Takami, Tatsuo Nakayama, and Keiichi Takahama, "Y chromosome DNA polymorphisms and their haplotypes in a Japanese population." Legal Medicine (Tokyo). 1999 Sep;1(3):145-9. doi:10.1016/S1344-6223(99)80027-3
  68. ^ a b c Toshikatsu Shinka, Keiko Tomita, Tatsushi Toda, Svetlana E. Kotliarova, Juwon Lee, Yoko Kuroki, Dong Kyu Jin, Katsushi Tokunaga, Hideki Nakamura, and Yutaka Nakahori, "Genetic variations on the Y chromosome in the Japanese population and implications for modern human Y chromosome lineage," Journal of Human Genetics (1999) 44:240-245
  69. ^ Jean A Trejaut, Estella S Poloni, Ju-Chen Yen, Ying-Hui Lai, Jun-Hun Loo, Chien-Liang Lee, Chun-Lin He and Marie Lin "Taiwan Y-chromosomal DNA variation and its relationship with Island Southeast Asia."BMC Genet. 2014 Jun 26;15:77. doi:10.1186/1471-2156-15-77.
  70. ^ Kumarasamy et al.(2003)Genetic Affinities of the Andaman Islanders, a Vanishing Human Population Current Biology Volume 13, Issue 2, Pages 86–93 doi:10.1016/S0960-9822(02)01336-2
  71. ^ Tambets, Kristiina et al. 2004, The Western and Eastern Roots of the Saami—the Story of Genetic “Outliers” Told by Mitochondrial DNA and Y Chromosomes PMC 1181943
  72. ^ Duggan AT, Whitten M, Wiebe V, Crawford M, Butthof A, et al. (2013) Investigating the Prehistory of Tungusic Peoples of Siberia and the Amur-Ussuri Region with Complete mtDNA Genome Sequences and Y-chromosomal Markers PLoS ONE 8(12): e83570. doi:10.1371/journal.pone.0083570
  73. ^ Lell, Jeffrey T. et al. 2001-2002, The Dual Origin and Siberian Affinities of Native American Y Chromosomes PMC 384887
  74. ^ 崎谷満(2009)『DNA・考古・言語の学際研究が示す 新・日本列島史』勉誠出版[要ページ番号]
  75. ^ 篠田謙一(2015)『DNAで語る 日本人起源論』岩波現代全書[要ページ番号]
  76. ^ 消えた北方民族の謎追う 古代「オホーツク人」北大が調査[リンク切れ]
  77. ^ https://www.23mofang.com/ancestry/ytree/D-M64.1/detail
  78. ^ Michael F Hammer; Tatiana M Karafet; Hwayong Park; Keiichi Omoto; Shinji Harihara; Mark Stoneking; Satoshi Horai (2006). “Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes”. Journal of Human Genetics 51 (1): 47 - 58. doi:10.1007/s10038-005-0322-0. PMID 16328082. "Outside of Japan D-P37.1 and its sub-lineages are extremely rare, being found in only three Korean males (D-P37.1* and D-M125*) and one male from Micronesia (D-M116.1*)." 
  79. ^ Meryanne K Tumonggor, Tatiana M Karafet, Sean Downey, et al., "Isolation, contact and social behavior shaped genetic diversity in West Timor." Journal of Human Genetics (2014) 59, 494–503; doi:10.1038/jhg.2014.62
  80. ^ 道方しのぶ『日本人のルーツ 探索マップ』平凡社新書,2005年,61頁
  81. ^ Michael F. Hammer (2005) (PDF). Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes. The Japan Society of Human Genetics and Springer-Verlag. オリジナルの2006-06-25時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060625025512/http://www.eva.mpg.de/genetics/pdf/Japan.pdf 2007年1月19日閲覧。. [要ページ番号]
  82. ^ University of Pittsburgh, Jomon Genes - Using DNA, researchers probe the genetic origins of modern Japanese by John Travis
  83. ^ a b c Haplogroup YTree v5.03 at 09 April 2017 (accessed 12 May 2017).
  84. ^ a b YFull Haplogroup YTree v5.05 at 30 July 2017
  85. ^ Monika Karmin, Lauri Saag, Mário Vicente, et al., "A recent bottleneck of Y chromosome diversity coincides with a global change in culture." Genome Research 2015 Apr;25(4):459-66. doi: 10.1101/gr.186684.114. Epub 2015 Mar 13.
  86. ^ a b G. David Poznik, Yali Xue, Fernando L. Mendez, et al., "Punctuated bursts in human male demography inferred from 1,244 worldwide Y-chromosome sequences." Nature Genetics 2016 June ; 48(6): 593–599. doi:10.1038/ng.3559.
  87. ^ Shi, Hong; Zhong, Hua; Peng, Yi; Dong, Yong-li; Qi, Xue-bin; Zhang, Feng; Liu, Lu-Fang; Tan, Si-jie et al. (October29,2008). “Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations”. BMC Biology (BioMedCentral) 6: 45. doi:10.1186/1741-7007-6-45. PMC 2605740. PMID 18959782. http://www.biomedcentral.com/1741-7007/6/45 November 21, 2010閲覧。.  オープンアクセス
  88. ^ Jin, Han-Jun; Kwak, Kyoung-Don; Hammer, Michael F.; Nakahori, Yutaka; Shinka, Toshikatsu; Lee, Ju-Won; Jin, Feng; Jia, Xuming et al. (2003). "Y-chromosomal DNA haplogroups and their implications for the dual origins of the Koreans". Human Genetics 114 (1): 27–35. doi:10.1007/s00439-003-1019-0. PMID 14505036.
  89. ^ a b Shi Yan, Chuan-Chao Wang, Hui Li et al., "An updated tree of Y-chromosome Haplogroup O and revised phylogenetic positions of mutations P164 and PK4." European Journal of Human Genetics (2011) 19, 1013–1015.
  90. ^ a b c 『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)[要ページ番号]
  91. ^ Scozzari R, Massaia A, D'Atanasio E, Myres NM, Perego UA, et al. (2012), "Molecular Dissection of the Basal Clades in the Human Y Chromosome Phylogenetic Tree." PLoS ONE 7(11): e49170. doi:10.1371/journal.pone.0049170
  92. ^ Pille Hallast, Chiara Batini, Daniel Zadik, et al. (2014), "The Y-Chromosome Tree Bursts into Leaf: 13,000 High-Confidence SNPs Covering the Majority of Known Clades." Mol. Biol. Evol. Advance Access publication December 2, 2014. doi:10.1093/molbev/msu327
  93. ^ a b Yali Xue, Tatiana Zerjal, Weidong Bao, Suling Zhu, Qunfang Shu, Jiujin Xu, Ruofu Du, Songbin Fu, Pu Li, Matthew E. Hurles, Huanming Yang, and Chris Tyler-Smith, "Male Demography in East Asia: A North–South Contrast in Human Population Expansion Times." Genetics 172: 2431–2439 (April 2006). DOI: 10.1534/genetics.105.054270
  94. ^ a b Soon-Hee Kim, Ki-Cheol Kim, Dong-Jik Shin, Han-Jun Jin, Kyoung-Don Kwak, Myun-Soo Han, Joon-Myong Song, Won Kim, and Wook Kim, "High frequencies of Y-chromosome haplogroup O2b-SRY465 lineages in Korea: a genetic perspective on the peopling of Korea." Investigative Genetics 2011, 2:10. http://www.investigativegenetics.com/content/2/1/10
  95. ^ So Yeun Kwon, Hwan Young Lee, Eun Young Lee, Woo Ick Yang, and Kyoung-Jin Shin, "Confirmation of Y haplogroup tree topologies with newly suggested Y-SNPs for the C2, O2b and O3a subhaplogroups." Forensic Science International: Genetics 19 (2015) 42–46. doi:10.1016/j.fsigen.2015.06.003
  96. ^ 『古代基因:百越族群研究新證』復旦大學(2003)[要ページ番号]
  97. ^ a b 池橋宏『稲作の起源』講談社
  98. ^ Yinqiu Cui, Hongjie Li, Chao Ning, Ye Zhang, Lu Chen, Xin Zhao, Erika Hagelberg and Hui Zhou (2013)"Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. " BMC 13:216 doi:10.1186/1471-2148-13-216
  99. ^ 中国北方新石器文化研究の新展開【詳細報告】「東北アジアにおける先史文化の交流」[リンク切れ]王 巍(中国社会科学院考古研究所・副所長)
  100. ^ Family Tree DNAによるハプログループN-M231の系統樹
  101. ^ TheYtreeによるハプログループN-M231の系統樹
  102. ^ a b 篠田謙一 (2007), 日本人になった祖先たち - DNAから解明するその多元的構造, 日本放送出版協会 、p.131-135.
  103. ^ 篠田謙一 (2007), 日本人になった祖先たち - DNAから解明するその多元的構造, 日本放送出版協会 、p.199-201.
  104. ^ 徳永勝士 (1995)「HLA遺伝子群からみた日本人のなりたち」『モンゴロイドの地球(3)日本人のなりたち』東京大学出版会, 第4章, 遺伝子からみた日本人, p193-210
  105. ^ 徳永勝士 (1996) 「HLA の人類遺伝学」『日本臨床免疫学会会誌』=『Japanese journal of clinical immunology』19(6), 541-543
  106. ^ 徳永勝士 (2003)「HLA と人類の移動」『Science of humanity Bensei 』(42), 4-9, 東京:勉誠出版
  107. ^ 徳永勝士 (2008)「HLA遺伝子:弥生人には別ルートをたどってやってきた四つのグループがあった!」『日本人のルーツがわかる本』逆転の日本史編集部, 東京:宝島社, p264-p280
  108. ^ 宝来聡「DNA人類進化学」岩波書店、116頁。宝来聡、「ミトコンドリアDNAからみた日本人の成立」『遺伝』 40(12), p202-209, 1986-11, 裳華房
  109. ^ International Human Genome Sequencing Consortium (2001) Initial sequencing and analysis of the human genome. Nature, 409: 860-921. doi:10.1038/35057062
  110. ^ a b International HapMap Consortium (2005) A haplotype map of the human genome. Nature, 437: 1299-1320. doi:10.1038/nature04226
  111. ^ 太田(2007) ゲノム科学と人類学―世界の動向と今後の展望―Anthropological Science (Japanese Series). 115(2), 73-83. doi:10.1537/asj.115.73
  112. ^ 斉藤(2009) ヒトゲノム研究の新しい地平 (PDF) (2013年6月1日時点のアーカイブ)Anthropological Science (Japanese Series). 117(1), 1-9.
  113. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年[要ページ番号]
  114. ^ Chao Tian, Roman Kosoy, Annette Lee, Michael Ransom, John W. Belmont, Peter K. Gregersen, Michael F. Seldin (2008) Analysis of East Asia Genetic Substructure Using Genome-Wide SNP Arrays PLoS ONE, 3(12): e3862. doi:10.1371/journal.pone.0003862
  115. ^ HUGO Pan-Asian SNP Consortium(2009) Mapping Human Genetic Diversity in Asia. (PDF) (2012年4月5日時点のアーカイブ) Science. 326, 1541-1545.
  116. ^ Yumi Yamaguchi-Kabata, Kazuyuki Nakazono, Atsushi Takahashi, Susumu Saito, Naoya Hosono, Michiaki Kubo, Yusuke Nakamura, Naoyuki Kamatani(2008) Japanese Population Structure, Based on SNP Genotypes from 7003 Individuals Compared to Other Ethnic Groups: Effects on Population-Based Association Studies. The American Journal of Human Genetics, 83(4), 445-456. doi:10.1016/j.ajhg.2008.08.019
  117. ^ http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2008/080926/detail.html [リンク切れ]
  118. ^ a b アーカイブされたコピー”. 2013年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月4日閲覧。
  119. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、136頁
  120. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、137-138頁
  121. ^ a b 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、138-141頁
  122. ^ 国立大学法人 総合研究大学院大学 【プレスリリース】日本列島3人類集団の遺伝的近縁性[リンク切れ]
  123. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、145頁
  124. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、148頁
  125. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、128-130頁
  126. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、154-156頁
  127. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、162頁
  128. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、160-162頁
  129. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、163-169頁
  130. ^ “縄文人の核ゲノム配列をはじめて決定”. https://www.nig.ac.jp/nig/ja/2016/09/research-highlights_ja/20160901.html 2020年9月9日閲覧。 
  131. ^ a b c “縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史”. https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2020/6987/ 2020年9月9日閲覧。 
  132. ^ a b c https://www.biorxiv.org/content/biorxiv/early/2019/03/15/579177.full.pdf
  133. ^ "縄文人は比較的多くのゲノムを旧石器時代のシベリア人、ならびに日本の現代人やオホーツク海周辺のさまざまなグループと共有している。"
  134. ^ Boer, Elisabeth de; Yang, Melinda A.; Kawagoe, Aileen; Barnes, Gina L. (2020/ed). “Japan considered from the hypothesis of farmer/language spread” (英語). Evolutionary Human Sciences 2. doi:10.1017/ehs.2020.7. ISSN 2513-843X. https://www.cambridge.org/core/journals/evolutionary-human-sciences/article/japan-considered-from-the-hypothesis-of-farmerlanguage-spread/BD91E69AEA3CCAEDC567519EF7F5AA97. 
  135. ^ https://s.japanese.joins.com/JArticle/66265?sectcode=400&servcode=400
  136. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、165-168頁
  137. ^ a b 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、168頁
  138. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、184-186頁
  139. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、169頁
  140. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、163-164頁
  141. ^ 斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年、164頁
  142. ^ Watanabe, Y., Isshiki, M. & Ohashi, J. Prefecture-level population structure of the Japanese based on SNP genotypes of 11,069 individuals. J Hum Genet (2020). https://doi.org/10.1038/s10038-020-00847-0
  143. ^ 宝来聰『DNA 人類進化学』(岩波書店、1997年)[要ページ番号]
  144. ^ 月刊誌『選択』2007年12月号[要ページ番号]
  145. ^ 尾本恵市 (1996), 分子人類学と日本人の起源, 裳華房, pp. [要ページ番号], ISBN 978-4-7853-8638-2 
  146. ^ 斉藤成也『DNAからみた日本人』筑摩書房 p56
  147. ^ 篠田謙一 (2007), 日本人になった祖先たち - DNAから解明するその多元的構造, 日本放送出版協会, pp. [要ページ番号], ISBN 978-4-14-091078-8 
  148. ^ 松本秀雄 (1992), 日本人は何処から来たか — 血液型遺伝子から解く, 日本放送出版協会, ISBN 978-4-14-001652-7 [要ページ番号]
  149. ^ 李成柱 (2001), “血液分析により民族の移動経路を判明する”, 東亜日報, http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828 2008年4月14日閲覧。 
  150. ^ 日沼頼夫(1998) 「ウイルスから日本人の起源を探る」『日本農村医学会誌』, 46(6), 908-911
  151. ^ Yuan, Dejian; Lei, Xiaoyun; Gui, Yuanyuan; Wang, Mingrui; Zhang, Ye; Zhu, Zuobin; Wang, Dapeng; Yu, Jun et al. (2019-06-09). “Modern human origins: multiregional evolution of autosomes and East Asia origin of Y and mtDNA” (英語). bioRxiv: 101410. doi:10.1101/101410. https://www.biorxiv.org/content/10.1101/101410v6. 
  152. ^ Chen, Hongyao; Zhang, Ye; Huang, Shi (2020-03-11). “Ancient Y chromosomes confirm origin of modern human paternal lineages in Asia rather than Africa” (英語). bioRxiv: 2020.03.10.986042. doi:10.1101/2020.03.10.986042. https://www.biorxiv.org/content/10.1101/2020.03.10.986042v1. 
  153. ^ Chaubey, Gyaneshwer; Driem, George van (2020/ed). “Munda languages are father tongues, but Japanese and Korean are not” (英語). Evolutionary Human Sciences 2. doi:10.1017/ehs.2020.14. ISSN 2513-843X. https://www.cambridge.org/core/journals/evolutionary-human-sciences/article/munda-languages-are-father-tongues-but-japanese-and-korean-are-not/9F302F4A80E691B05F424312CA03BCDE. 
  154. ^ 馬場悠男「港川人1号人骨」東京大学総合研究資料館1996(2003年9月22日時点のアーカイブ)ほか[要文献特定詳細情報]
  155. ^ a b 篠田謙一『日本人になった祖先たち』(2007年)p185
  156. ^ 『日本人はるかな旅・5/そして日本人が生まれた』(NHK出版)[要ページ番号]
  157. ^ 2005年2月18日共同通信「岡山県彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から、稲のプラントオパール大量発見」
  158. ^ 2005年7月20日読売新聞、西谷正(九州大名誉教授:考古学)の論など
  159. ^ 「2005年02月19日読売新聞」稲のプラント・オパールが見つかったことは縄文前期の稲の栽培の証拠となるもの(高橋護・元ノートルダム清心女子大考古学教授)
  160. ^ 新聞「農民」2002.3.11
  161. ^ 2005年7月17日朝日新聞プラントオパールの発見により少なくとも縄文中期には稲作があったことが確実となった(考古学者:山崎純男)
  162. ^ 『鳥居龍蔵全集』第1巻、朝日新聞社、1975年[要ページ番号]
  163. ^ 異人その他 日本民族=文化の源流と日本国家の形成 言叢社 1979[要ページ番号]
  164. ^ 『異人その他 他十二篇 岡正雄論文集』岩波文庫、1994年[要ページ番号]
  165. ^ 平成17年度から平成21年度日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(S))による研究「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究 」日本人形成過程のシナリオ(2008年3月27日時点のアーカイブ)、まとめ2010年5月(2010年5月26日時点のアーカイブ)2010年9月20日閲覧。および『科学』岩波書店、2010年4月号[要ページ番号]
  166. ^ 同リンク先[要文献特定詳細情報]
  167. ^ Australian History Database(2004年9月10日時点のアーカイブ) キーローはメルボルンの北西19kmに位置し、1940年に約1万3000年前のキーロー頭骨と4万年前と考えられる石器が出土した。
  168. ^ 同リンク[要文献特定詳細情報]
  169. ^ a b c 帰化許可申請者数,帰化許可者数及び帰化不許可者数の推移”. 法務省民事局. 2021年8月29日閲覧。
  170. ^ 国籍別帰化許可者数”. 法務省民事局. 2021年8月29日閲覧。
  171. ^ Geno 2.0: The Greatest Journey Ever Told” (英語). (official website). National Geographic Society. 2013年1月23日閲覧。:有料。※日本語版
  172. ^ DNAルーツ”. (公式ウェブサイト). 株式会社ローカス (Rucus). 2013年1月23日閲覧。:有料。
  173. ^ 研究チーム紹介・健康長寿ゲノム探索研究チーム”. (公式ウェブサイト). 地方独立行政法人 東京都健康長寿医療センター 東京都健康長寿医療センター研究所. 2009年8月30日閲覧。
  174. ^ 産経新聞生命ビッグバン取材班『ここまでわかってきた日本人の起源』産経新聞出版、2009年5月30日、17頁。ISBN 978-4-594-05955-2 
  175. ^ 在アルジェリア邦人拘束事件(我が国の働きかけ)”. 外務省. 外務省 (2013年1月21日). 2013年1月23日閲覧。
  176. ^ 内国人 goo辞書

関連項目