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徳本一善

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徳本 一善 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム とくもと かずよし
ラテン文字 Kazuyoshi TOKUMOTO
愛称 徳さん
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技
種目 長距離走
生年月日 (1979-06-22) 1979年6月22日(45歳)
出身地 広島県広島市佐伯区
(出生当時は佐伯郡五日市町
身長 173cm
体重 59kg
自己ベスト
800m 1分51秒87
1500m 3分40秒40
3000m 7分53秒58
5000m 13分26秒19
10000m 28分13秒23
10km 31分54秒42
20km 1時間00分08秒
ハーフマラソン 1時間03分36秒
マラソン 2時間14分48秒
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徳本一善(とくもと かずよし、1979年6月22日 - )は、広島県広島市佐伯区(出生当時は佐伯郡五日市町)美鈴が丘生まれの陸上競技選手。2011年より駿河台大学コーチ、現在は駅伝監督。ニックネームは「徳さん」。血液型:O型。

経歴

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中学生時代

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父親が陸上競技好きで、父親との親交を深めるために陸上部入部を決意。小学校のマラソン大会で1位になったことも陸上部入部の要因となった。しかし、当時は走ることは余り好きではなく、『SLAM DUNK』の影響からバスケットボール部への入部と迷う場面もあった。

美鈴が丘中1年時は100m、走り幅跳びを専門種目としていた。中学1年の秋に1500mに出場し、2年時から本格的に長距離に転向。2年時には1500m、3000mにおいてその才能を開花させ、一躍同学年の全国レベルに名乗りを上げた。3年時には全国大会で1500m2位、3000m3位になった。この1500mのレースではゴール目前までトップを走るも、ガッツポーズをしている間に逆転されてしまった。

高校生時代

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当初、広島県立西条農業高等学校へ入学予定だったが広島市立沼田高等学校の指導者・三浦学に憧れ沼田高校に入学。高校1年時に中国大会6位でインターハイ1500mに出場。その直後の8月17日、三浦が交通事故で亡くなりショックで練習に手がつかない日々が続いた。

1年時の冬に疲労骨折し水泳や自転車の練習に明け暮れる。2年時のインターハイ予選には800mだけ出場し、準決勝敗退。しかし地元広島国体の1500mでは4位に入賞。2年時の冬にまたも疲労骨折したが、3年時のインターハイ予選には800m、1500m、5000mと3種目に出場、3種目とも本選に進出した。結果は800m準決勝敗退、1500m2位、5000mは棄権した。(1500mの優勝者は高校記録、ジュニア記録を持つ佐藤清治) 高校最後の試合は日の丸を付けて走りたいとの思いから卒業式と日程が重なる福岡国際クロスカントリー大会に出場しジュニア8km優勝。世界クロスカントリー選手権日本代表となる。

大学生時代

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13大学、4実業団から勧誘があったが選手を縛り付けず、比較的自由な練習メニューと結果を残せばルーズな服装もある程度許される環境に惹かれ、法政大学社会学部に入学。練習でも先輩後輩関係なくやる気のない部員には罵声を浴びせ、大会前には度々強気な発言もするビッグマウスなところもあったが、現実にインターカレッジでは1500m、5000m、10000mで活躍し、大学陸上界を代表する選手となった。

元々、1500mでの日本記録更新を目標にしていた事もあり、入学後も箱根駅伝にはさほど興味を持っていなかったが、それでも5000m、10000mでチーム内上位のタイムを持っていた事や予選会でもチーム2位である個人25位と好走し、本大会出場に貢献した事から、出走する事になる。 迎えた本大会では1区を走り、区間10位と平凡な成績に終わったが、ここで走った経験が箱根駅伝に対する思いを強くし、練習に対する意識改革へと繋がり、学生長距離界のエースとして成長していく事になる。

そして、2年時には、坪田智夫(現:法政大学陸上競技部監督)と共に、名実共に法大のWエースとなる。 また、外見についても、1年時は他大学の学生ランナーとさほど変わりは無かったが、2年時になると、茶髪、時に法政カラーのオレンジに染め抜いた髪とオークリーのサングラス姿がトレードマークとなる。朴訥系の多い学生陸上選手の中にあっては異様なキャラだったため、箱根駅伝を中継する日本テレビを中心にマスメディアが大きく取り上げ、「ビジュアル系ランナー」「爆走王」などとして注目された。徳本の影響で、この後も法大は派手なチームカラーを前面に押し出している。 箱根駅伝予選会では個人8位となり、2年連続の本大会出場に貢献すると、本大会では2年連続の1区となり、スタートから飛び出すとそのままトップで中継し区間賞、2区の坪田に襷リレー、坪田も区間賞を獲得した事でオレンジ旋風を巻き起こす。

3年時には前哨戦となる出雲駅伝で1区区間賞、その12日後の箱根駅伝予選会では個人15位となり、3年連続の本大会出場に貢献、それからわずか15日後の全日本大学駅伝では2区を走り区間賞と、ハードスケジュールの中でいずれも好走する。そして、本大会では2区を走り、板山学中央大学、現:SGホールディングスコーチ)、岩水嘉孝順天堂大学、現・資生堂ランニングクラブ前監督)、神屋伸行駒澤大学、現:ランニングアドバイザー・KAMIYAランニングクラブ代表、相生学院高等学校駅伝部監督)らと競って区間2位。

4年時は、ユニバーシアード北京大会で銅メダリストになるなど、国際舞台でも活躍した。 そして、前哨戦である出雲駅伝では3区区間賞、全日本大学駅伝では2区を走り区間2位と好走し、最後の箱根駅伝でも2区を走ったが、5.4km地点で右足肉離れを発症、成田道彦監督らに止められ途中棄権となった。徳本は大会史上8人目の途中棄権者であり、スタートから28.6km地点での途中棄権は箱根駅伝史上最短である。かねてからのビッグマウスぶりには味方と同時に快く思わない人も少なくなく、徳本のホームページの掲示板に誹謗中傷が相次ぎ、一時閉鎖に追い込まれたこともある。ただ、この途中棄権が転機となったのか、次第に強気な発言は影を潜め人間的にも丸くなっていく。社会人1年目には母校の夏合宿に参加し、「ひょっとしたら俺はまだ法政大学なんじゃないかと思った。学生の時は言いたいことばっか言って父親的な感じだったけど、今だったら『こうしたら速くなれる』とか、相手の悩みに答えてあげられる、そんな母親的な自分もいますね」と徳本は振り返っている。

社会人時代

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様々な企業から勧誘を受けるが、日清食品白水昭興監督の「自分らしく競技できるのが一番いいんだ。お前は金髪が似合う。それでいいじゃないか。」という言葉に惹かれ日清食品に入社。2003年2004年日本選手権男子5000m連覇。2003、04年にはパリ世界陸上選手権アテネオリンピック5000m標準B記録である13分25秒40を突破するために積極的に海外レースに参加。しかし僅か0.8秒及ばず世界への挑戦は断念。一時スランプに陥っていたが、ひざを手術し2006年頭に復活。2006年世界クロスカントリー選手権福岡大会の男子シニア12キロの代表に選ばれた。同年には全日本大学駅伝の移動中継車の解説と2007年箱根駅伝でゲスト解説を務めた。

2007年東京マラソンで初マラソン。記録は2時間15分55秒で5位入賞だった。

2011年11月、駿河台大学に選手兼コーチとして就任[1]。2012年4月より監督に就任するとともに、モンテローザにも社員として所属しつつ、現役ランナーを続けている[2]

2012年12月、防府読売マラソンにて2時間14分48秒の4位入賞を果たす。日清食品グループ時代の自己記録を更新。

2021年10月23日、第98回東京箱根間往復大学駅伝競走の予選会で、駿河台大学は出場枠10の中で8位に入り、監督就任10年目にして箱根駅伝初出場に導いた。

その他

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ファッションブランドでデザイン提案をし、自分のブランドを立ち上げたこともあった。既婚、1男1女の父。

記録

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トラック&フィールド年次ベスト(太字は自己記録)

年度 所属 800m 1500m 1600m 2000m 3000m 5000m 10000m 100m 走り幅跳び
1992 美鈴が丘1年 - 5分01秒 - - - - - 13秒8 4m25cm
1993 美鈴が丘2年 - 4分21秒 - - 9分09秒 - - - -
1994 美鈴が丘3年 1分57秒02 4分00秒00 - - 8分40秒00 - - - -
1995 沼田高校1年 1分55秒15 3分52秒94 - - 8分34秒00 14分58秒9 - - -
1996 沼田高校2年 1分52秒67 3分49秒74 - - - 14分36秒69 - - -
1997 沼田高校3年 1分51秒87 3分45秒27 - - - 14分06秒1 - - -
1998 法政大学1年 1分54秒49 3分46秒75 - - - 14分23秒 29分23秒2 - -
1999 法政大学2年 - 3分45秒50 - - - 14分02秒07 28分41秒8 - -
2000 法政大学3年 1分53秒80 3分42秒14 - - - 13分45秒83 28分15秒06 - -
2001 法政大学4年 - 3分43秒40 - - - 13分46秒5 28分25秒59 - -
2002 日清食品1年 - 3分43秒80 - 5分08秒58 - 13分39秒59 28分23秒16 - -
2003 日清食品2年 - 3分40秒40 - - 7分53秒58 13分26秒19 28分13秒23 - -
2004 日清食品3年 - - 4分7秒64 - - 13分29秒65 28分28秒66 - -
2005 日清食品4年 - - - - - 13分50秒00 - - -
2006 日清食品5年 - 3分47秒72 - - - 14分01秒77 28分19秒09 - -
2007 日清食品6年 - - - - - 13分46秒14 28分50秒08 - -
2008 日清食品7年 - - - - - 13分41秒82 - - -

ロード年次ベスト(太字は自己記録)

年度 所属 10km 10マイル 20km ハーフ マラソン
1998 法政大学1年 - - 1時間01分51秒 1時間06分27秒 -
1999 法政大学2年 - - 1時間00分08秒 1時間06分10秒 -
2000 法政大学3年 - - 1時間01分45秒 - -
2001 法政大学4年 - - - 1時間09分05秒 -
2002 日清食品1年 - - - - -
2003 日清食品2年 - - - - -
2004 日清食品3年 - - - - -
2005 日清食品4年 - - - - -
2006 日清食品5年 - 47分10秒 - - -
2007 日清食品6年 - - - - 2時間15分55秒
2008 日清食品7年 31分54秒42 - - 1時間03分36秒 -
2009 日清食品8年 - - - - -
2010 日清食品9年 - - - - -
2011 日清食品10年 - - - - -
2012 モンテローザ1年 - - - - 2時間14分48秒

駅伝成績

年度 所属 開催回 大会名 区間 距離 区間順位 個人記録 チーム順位
1994 美鈴が丘3年 第55回 中国中学校駅伝競走大会 1区 4.7km 区間賞 14分24秒区間新 -
1995 沼田高校1年 第46回 広島県高等学校駅伝競走大会 3区 8.1075km 4位 25分50秒 4位
1995 沼田高校1年 第37回 中国高等学校駅伝競走大会 1区 10km 3位 31分13秒 9位
1996 沼田高校2年 第47回 広島県高等学校駅伝競走大会 1区 10km 3位 30分46分 4位
1996 沼田高校2年 第38回 中国高等学校駅伝競走大会 1区 10km 3位 30分26秒 6位
1997 沼田高校2年 第60回 中国山口駅伝 1区 15.1km 3位 46分32秒 8位
1997 沼田高校2年 第2回 全国都道府県対抗男子駅伝 1区 5.0km 7位 14分29秒 6位
1997 沼田高校3年 第1回 広島県高等学校クロカン駅伝競走大会 1区 6.0km 区間賞 17分49秒 2位
1997 沼田高校3年 第48回 広島県高等学校駅伝競走大会 1区 10km 区間賞 30分32秒 3位
1997 沼田高校3年 第39回 中国高等学校駅伝競走大会 1区 10km 区間賞 30分12秒 5位
1998 沼田高校3年 第3回 全国都道府県対抗男子駅伝 1区 5.0km 2位 14分20秒 2位
1999 法政大学1年 第75回 東京箱根間往復大学駅伝競走 1区 21.3km 10位 1時間04分42秒 14位
1999 法政大学2年 第31回 全日本大学駅伝対校選手権大会 1区 14.6km 7位 44分14秒 12位
2000 法政大学2年 第76回 東京箱根間往復大学駅伝競走 1区 21.3km 区間賞 1時間02分39秒 10位
2000 法政大学3年 第11回 出雲全日本大学選抜駅伝競走 1区 7.2km 区間賞 20分20秒 16位
2000 法政大学3年 第32回 全日本大学駅伝対校選手権大会 2区 13.2km 区間賞 38分36秒 8位
2001 法政大学3年 第77回 東京箱根間往復大学駅伝競走 2区 23.0km 2位 1時間08分59秒 4位
2001 法政大学4年 第12回 出雲全日本大学選抜駅伝競走 3区 8.5km 区間賞 24分57秒 7位
2001 法政大学4年 第33回 全日本大学駅伝対校選手権大会 2区 13.2km 2位 38分14秒 5位
2002 法政大学4年 第78回 東京箱根間往復大学駅伝競走 2区 23.0km DNF DNF DNF
2002 日清食品1年 第44回 東日本実業団対抗駅伝競争大会 3区 12.6km 2位 36分41秒 優勝
2003 日清食品1年 第47回 全日本実業団対抗駅伝競争大会 6区 11.8km 区間賞 33分25秒区間新 2位
2003 日清食品1年 第54回 朝日駅伝 6区 9.9km 2位 30分28秒 2位
2003 日清食品2年 第45回 東日本実業団対抗駅伝競走大会 3区 12.6km 4位 37分28秒 2位
2004 日清食品2年 第48回 全日本実業団対抗駅伝競争大会 5区 15.9km 2位 47分21秒 3位
2004 日清食品2年 第55回 朝日駅伝 7区 16.7km 2位 47分21秒 優勝
2004 日清食品2年 第9回 全国都道府県対抗男子駅伝 7区 13.0km 5位 38分07秒 6位
2006 日清食品4年 第50回 全日本実業団対抗駅伝競走大会 4区 10.5km 6位 29分57秒 10位
2006 日清食品4年 第57回 朝日駅伝 2区 9.9km 5位 30分23秒 4位
2006 日清食品5年 第47回 東日本実業団対抗駅伝競走大会 7区 10.0km 区間賞 29分30秒 優勝
2007 日清食品5年 第51回 全日本実業団対抗駅伝競争大会 2区 22.0km 6位 1時間03分59秒 3位
2007 日清食品6年 第48回 東日本実業団対抗駅伝競争大会 2区 7.1km 3位 20分29秒 優勝
2008 日清食品6年 第52回 全日本実業団対抗駅伝競争大会 2区 22.0km 19位 1時間04分46秒 6位
2009 日清食品7年 第53回 全日本実業団対抗駅伝競争大会 3区 13.7km 14位 39分21秒 2位

主な成績

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中学

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3年

高校

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1年

2年

3年

大学

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1年

2年

3年

4年

社会人

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1年

2年

3年

4年

  • 2005年 - 2005年日本ランキング 5000m49位
  • 2005年 - 2005年日本歴代ランキング 1500m9位 5000m9位
  • 2005年 - 2005年高校歴代ランキング 1500m2位 5000m41位
  • 2005年 - 2005年中学歴代ランキング 800m49位 1500m15位 3000m60位

5年

脚注

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  1. ^ 元法大エース・徳本、駿河台大で再び箱根目指す…選手兼任コーチに就任”. スポーツ報知 (2011年11月15日). 2011年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月22日閲覧。
  2. ^ [挑戦]防府読売マラソン<下>徳本一善33(モンテローザ)”. 読売新聞 (2012年12月14日). 2011年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月22日閲覧。

外部リンク

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