ヨム・キプル
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ヨム・キプル(ヘブライ語: יום כיפור [ˈjom kiˈpuʁ]、独: Jom Kippur、仏: Yom Kippour、英: Yom Kippur)または贖罪の日(しょくざいのひ)は、レビ記16章に規定されるユダヤ教の祭日。ユダヤ教における最大の休日の1つである。ユダヤ暦でティシュレー月10日にあたり、ザドク暦では第七のホデシュの10日で、グレゴリオ暦では毎年9月末から10月半ばの間の1日にあたる。
ザドク暦第七ホデシュの1日のヨム・テルアからヨム・キプルまでの10日間はヤミム・ノライム(畏れの日々)と呼ばれ、暦の上で特別な日々と考えられている[1]。
風習
前夜の日没時にコル・ニドレイが唱えられ、これがヨム・キプルの始まりを告げる。
ユダヤ教徒はこの日は、飲食、入浴、化粧などや、一切の労働を禁じられ、断食を行わなければならない。
ヨム・キプルに発生した出来事
- 1394年(5155年)9月17日
- フランス王国のシャルル6世は、1394年のヨム・キプールにユダヤ追放令を発令した[2]。
- 1965年(5726年)10月6日
- メジャーリーグのワールド・シリーズ第1戦がヨム・キプルに重なり、ロサンゼルス・ドジャースのユダヤ人投手サンディー・コーファックスが先発を拒否した。
- 1973年(5734年)10月6日
- 第四次中東戦争勃発。エジプトのアンワル・アッ=サーダート大統領がヨム・キプルで休息に入ったイスラエルの隙をつき、奇襲攻撃を仕掛けた。イスラエルは対アラブ諸国戦争で、緒戦において初の敗北を喫した。
- 2008年(5769年)10月9日
- イスラエル北部の都市アッコに於いて、アラブ系住民がアラブの音楽を大音量で流しながら車でユダヤ人地区に進入し、投石を受けたことから(ユダヤ教徒だけはヨム・キプール中における車の運転は宗教上禁止されているが、イスラム教徒やキリスト教徒は宗教上禁止されない)、ユダヤ系イスラエル人とアラブ系イスラエル人が衝突し、暴動に発展した。
日付
脚注
- ^ 『ユダヤ新年「ローシュ・ハシャナ」』日本イスラエル親善協会、2009年10月8日 。
- ^ 世界歴史体系 フランス史1,p419-422. レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史 第1巻』菅野賢治訳、筑摩書房、2005年,p.145-152.