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アウルス・ポストゥミウス・アルビヌス (紀元前242年の執政官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アウルス・ポストゥミウス・アルビヌス
A. Postumius A.f. L.n. Albinus
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 ポストゥミウス氏族
官職 執政官(紀元前242年)
監察官(紀元前234年)
後継者 ルキウス・ポストゥミウス・アルビヌス (紀元前234年の執政官)
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アウルス・ポストゥミウス・アルビヌスラテン語: Aulus Postumius Albinus、生没年不詳)は紀元前3世紀中期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前242年執政官(コンスル)、紀元前234年には監察官(ケンソル)を務めた。

出自

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パトリキであるポストゥミウス氏族の出身。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はアウルス、祖父はルキウスである[1]。ポストゥミウス・アルビヌス家は多数の執政官を出しているが、祖先となる人物との関係は不明。紀元前234年の執政官ルキウス・ポストゥミウス・アルビヌスは息子である。

経歴

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第一次ポエニ戦争の最終段階であった紀元前242年に、アルビヌスは執政官に就任。同僚執政官はガイウス・ルタティウス・カトゥルスであった。アルビヌスも戦場に赴く予定であったが、マルス神殿の最高神官(フラメン・マルティアリス)でもあり、神殿を守る義務があったため、最高神祇官(ポンティフェクス・マクシムス)のルキウス・カエキリウス・メテッルスは、アルビヌスがローマを離れることを許さなかった[2]。同僚のカトゥルスはシケリアに派遣され、翌紀元前241年前執政官(プロコンスル)として軍を率い、アエガテス諸島沖の海戦で勝利した。この海戦の敗北のため、カルタゴは講和を受け入れた。

紀元前234年には監察官に就任。同僚はガイウス・アティリウス・ブルブスであった。

脚注

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  1. ^ カピトリヌスのファスティ
  2. ^ リウィウスローマ建国史』、XIX(要約)

参考資料

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古代の資料

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研究書

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  • Aulus Postumius Albin (consul 242 BC) (English) . - in Smith 's Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology.
  • Robert Vincent Cram. The Roman Censors // Harvard Studies in Classical Philology, Vol. 51, In Honor of William Scott Ferguson (1940), pp. 71-110

関連項目

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公職
先代
ガイウス・フンダニウス・フンドゥルス
ガイウス・スルピキウス・ガッルス
執政官
同僚:ガイウス・ルタティウス・カトゥルス
紀元前242年
次代
アウルス・マンリウス・トルクァトゥス・アッティクス II、
クィントゥス・ルタティウス・カトゥルス・ケルコ
先代
ルキウス・コルネリウス・レントゥルス・カウディヌス
クィントゥス・ルタティウス・ケルコ
紀元前236年
監察官
同僚:ガイウス・アティリウス・ブルブス
紀元前234年 XL
次代
ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥス
クィントゥス・フルウィウス・フラックス
紀元前231年