アメリカ合衆国第80議会
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アメリカ合衆国第80議会 | |||
アメリカ合衆国議会議事堂 (1956年) | |||
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期間: 1947年1月3日 – 1949年1月3日 | |||
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上院議長: | 空席 | ||
上院仮議長: | アーサー・H・ヴァンデンバーグ | ||
下院議長: | ジョーゼフ・W・マーティン | ||
議員: | 上院議員 96名 下院議員 435名 準議員 3名 | ||
上院多数党: | 共和党 | ||
下院多数党: | 共和党 | ||
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会期 | |||
第1会期: 1947年1月3日 – 1947年12月19日 特別会期: 1947年11月17日 – 1947年12月19日 第2会期: 1948年1月6日 – 1948年12月31日 特別会期: 1948年7月26日 – 1948年8月7日 | |||
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アメリカ合衆国第80議会 (80th United States Congress) は、アメリカ合衆国連邦政府の立法部門の議会であり、上院と下院から構成された。ワシントンD.C.にて1947年1月3日から1949年1月3日まで開会された。これは、ハリー・S・トルーマン大統領の任期のうち、3年目及び4年目に相当する。今回の下院の議席配分は、1940年の第16回米国国勢調査に基づく。共和党は上下両院で過半数を占めた。共和党は前の議会で過半数を占めており、次の議会で過半数を奪回した。
ハリー・S・トルーマン大統領は、第80議会を「何もしない議会 (Do Nothing Congress)」と呼んだ。議会は、フランクリン・ローズヴェルト政権時に通過した法律の多くに反対した。彼らは、トルーマンのフェア・ディール関連諸法案の大半に反対した。その一方で、企業を優遇する法案の多くを通過させた。1948年の選挙の際、トルーマンは対立候補のトマス・デューイに対してと同様に、「何もしない議会」に対しても攻撃を加えた。
主な出来事
[編集]- 1947年1月3日: 議事が初めてテレビ放送される
- 1947年3月12日: 上下両院合同会議の席上、トルーマン大統領がトルーマン・ドクトリンを宣言[1]
- 1947年7月18日: 太平洋諸島信託統治領が国際連合の信託統治下に入り、米国によって管理される
- 1947年7月20日: ソ連との緊張が高まる中、トルーマン大統領が米国における2度目の平時徴兵を発表
- 1947年11月24日: 下院、いわゆるハリウッド・テンに対する議会侮辱罪での告発を決定
- 1948年7月26日: トルーマン大統領が大統領令第9981号に署名。米軍内での人種差別が終焉
- 1948年8月25日: 下院非米活動委員会、テレビ放送による初の公聴会を実施: ウィテカー・チェインバーズとアルジャー・ヒスとの「対立の1日」
- 1948年11月2日: 1948年総選挙:
- 大統領選: ハリー・S・トルーマンがトマス・デューイとストロム・サーモンドに勝利
- 民主党が上下両院の主導権を奪還
主な立法
[編集]- 1947年5月22日: ギリシャ=トルコ援助法(トルーマン・ドクトリン), Sess. 1, ch. 81, Pub.L. 80–75,
- 1947年6月23日: タフト=ハートリー法, Sess. 1, ch. 120, 61 Stat. 136
- 1947年7月26日: 1947年国家安全保障法, Sess. 1, ch. 343, 61 Stat. 495
- 1947年8月7日: 取得地における鉱床開発権の賃貸に関する法律, Sess. 1, ch. 513, 61 Stat. 913
- 1948年1月27日: 合衆国情報教育交換法, Sess. 2, ch. 36, 62 Stat. 6
- 1948年4月3日: 対外援助法(マーシャル・プラン), Pub.L. 80–47, Sess. 2, ch. 169, 62 Stat. 137
- 1948年4月3日: 1948年ギリシャ=トルコ援助法, Sess. 2, ch. 169, Pub.L. 80–75, title III, 62 Stat. 157
- 1948年5月26日: 民間航空警邏法, Pub.L. 80–557, 62 Stat. 274
- 1948年6月17日: リード=ブルウィンクル法
- 1948年6月25日: 大統領継承法, Sess. 2, ch. 644, Pub.L. 89–174, 62 Stat. 677
- 1948年6月28日: 1948年商品金融公社憲章法
- 1948年6月30日: 連邦水質汚濁対策法, Sess. 2, ch. 758
- 1948年7月3日: 1948年戦争請求法, Pub.L. 80–896, 62 Stat. 1240
- 1948年: 1948年農業法
憲法の条項
[編集]- 1947年3月21日: アメリカ合衆国憲法修正第22条案を上程
党派概要
[編集]上院
[編集]当議会の開会時から閉会時まで、党勢に変化はなかった。
所属 | 政党 (色付きの欄は、多数党であることを示す)
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合計 | |||
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共和党 | 民主党 | 進歩党 | 空席 | ||
第79議会閉会時 | 38 | 57 | 1 | 96 | 0 |
開会時 | 51 | 45 | 0 | 96 | 0 |
閉会時 | |||||
最終的勢力比 | 53.1% | 46.9% | 0.0% | ||
第81議会開会時 | 42 | 54 | 0 | 96 | 0 |
下院
[編集]民主党は1議席を失った。この議席は第81議会まで空席のままであった。
所属 | 政党 (色付きの欄は、多数党であることを示す)
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合計 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
共和党 | 民主党 | 労働党 | 進歩党 | 空席 | ||
第79議会閉会時 | 191 | 242 | 1 | 1 | 435 | 0 |
開会時 | 248 | 185 | 1 | 0 | 434 | 1 |
閉会時 | 244 | 184 | 2 | 430 | 5 | |
最終的勢力比 | 56.7% | 43.1% | 0.2% | 0.0% | ||
第81議会開会時 | 171 | 263 | 1 | 0 | 435 | 0 |
指導部
[編集][目次: 上院: 多数党(R)、少数党(D) • 下院: 多数党(R)、少数党(D) ]
上院
[編集]- 上院議長: 空席
- 上院仮議長: アーサー・H・ヴァンデンバーグ (R)
多数党(共和党)指導部
[編集]少数党(民主党)指導部
[編集]下院
[編集]- 下院議長: ジョーゼフ・W・マーティン Jr. (R)
多数党(共和党)指導部
[編集]少数党(民主党)指導部
[編集]議員
[編集]上院
[編集]上院議員の3分の1は、議会が改まる2年ごとに州規模で改選される。任期は6年。下表に掲載された議員名の前にある数字は上院における部類であり、議員の選出周期を示している。
下院
[編集]全州規模の大選挙区から選出された下院議員の氏名の前には、「At-Large」の表示がある。また、各選挙区から選出された議員の氏名の前には、選挙区の番号が付されている。
下院選挙区の番号は、当該選挙区の項目にリンクされている。なお、選挙区の区割りはしばしば大幅に変更されている。リンク先の項目はあくまで今日存在する選挙区についての項目であり、第80議会当時のそれではない場合がある。
議員の交代
[編集]下表は、第80議会第1会期の開会以降の交代を反映している。
上院
[編集]3人が死去し、2人が引退し、1人が中間選挙で落選した。
選出州 (部) |
退職者 | 退職理由 | 後継者 | 後継者の就任日 |
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ミシシッピ州 第1部 |
セオドア・G・ビルボー (D) | 1947年8月21日死去。 後継候補が当選し、任期を満了 |
ジョン・C・ステニス (D) | 1947年11月17日就任 |
ルイジアナ州 第3部 |
ジョン・H・オーヴァートン (D) | 1948年5月14日死去。 後継者が指名され、補欠選挙まで在任 |
ウィリアム・C・フィーゼル (D) | 1948年5月18日就任 |
サウスダコタ州 第2部 |
ハーラン・J・ブッシュフィールド (R) | 1948年9月27日死去。 後継者が指名され、補欠選挙まで在任 |
ヴェラ・ブッシュフィールド (R) | 1948年10月6日就任 |
サウスダコタ州 第2部 |
ヴェラ・C・ブッシュフィールド (R) | 1948年12月26日引退。 後継候補が当選し、任期を満了 |
カール・ムント (R) | 1948年12月31日就任 |
ルイジアナ州 第3部 |
ウィリアム・C・フィーゼル (D) | 1948年12月30日引退。 後継候補が当選し、任期を満了 |
ラッセル・B・ロング (D) | 1948年12月31日就任 |
ノースカロライナ州 第2部 |
ウィリアム・B・アンステッド (D) | 落選。1948年12月30日退任。 後継候補が当選し、任期を満了 |
J・メルヴィル・ブロートン (D) | 中間選挙で当選。1948年12月31日就任 |
下院
[編集]9人が死去し、7人が引退した。
選出選挙区 | 退職者 | 退職理由 | 後継者 | 後継者の就任日 |
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アラバマ州8区 | 空席 | ジョン・スパークマンは上院議員選に当選した後、前議会中に引退した | ロバート・E・ジョーンズ Jr. (D) | 1947年1月28日就任 |
ウィスコンシン州2区 | 空席 | ロバート・K・ヘンリーは前議会中に死去した | グレン・R・デーヴィス (R) | 1947年4月22日就任 |
ワシントン州3区 | フレッド・B・ノーマン (R) | 1947年4月18日死去 | ラッセル・V・マック (R) | 1947年6月7日就任 |
ペンシルベニア州8区 | チャールズ・L・ガーラック (R) | 1947年5月5日死去 | フランクリン・H・リクテンウォルター (R) | 1947年9月9日就任 |
メリーランド州3区 | トマス・ダレッサンドロ Jr. (D) | 1947年5月16日引退。ボルティモア市長に選出される | エドワード・ガーマッツ (D) | 1947年7月15日就任 |
ミシガン州11区 | フレッド・ブラッドリー (R) | 1947年5月24日死去 | チャールズ・ポッター (R) | 1947年8月26日就任 |
テキサス州9区 | ジョーゼフ・J・マンズフィールド (D) | 1947年7月12日死去 | クラーク・W・トンプソン (D) | 1947年8月23日就任 |
テキサス州16区 | R・ユーイング・トマソン (D) | 1947年7月31日引退。テキサス州西部地区裁判所判事に任命される | ケネス・M・リーガン (D) | 1947年8月23日就任 |
マサチューセッツ州9区 | チャールズ・ギフォード (R) | 1947年8月23日死去 | ドナルド・ニコルソン (R) | 1947年11月18日就任 |
インディアナ州10区 | レイモンド・S・スプリンガー (R) | 1947年8月28日死去 | ラルフ・ハーヴィー (R) | 1947年11月4日就任 |
オハイオ州4区 | ロバート・F・ジョーンズ (R) | 1947年9月2日引退。連邦通信委員会委員に就任 | ウィリアム・M・マカロック (R) | 1947年11月4日就任 |
ニューヨーク州14区 | レオ・F・レイフィール (D) | 1947年9月13日引退。ニューヨーク州東部地区裁判所判事に任命される | エイブラハム・J・マルター (D) | 1947年11月4日就任 |
イリノイ州21区 | ジョージ・E・ハウエル (R) | 連邦請求裁判所判事に任命された後の1947年10月5日引退 | 第81議会まで空席 | |
バージニア州4区 | パトリック・H・ドルーリー (D) | 1947年12月21日死去 | ワトキンズ・M・アビット (D) | 1948年2月17日就任 |
ニューヨーク州24区 | ベンジャミン・J・ラビーン (D) | 1947年12月31日引退 | レオ・アイザクソン (AL) | 1948年2月17日就任 |
ケンタッキー州2区 | アール・C・クレメンツ (D) | 1948年1月6日引退。ケンタッキー州知事に就任 | ジョン・A・ウィテカー (D) | 1948年4月17日就任 |
ケンタッキー州9区 | ジョン・M・ロブション (R) | 1948年2月17日死去 | ウィリアム・ルイス (R) | 1948年4月24日就任 |
ミズーリ州10区 | オーヴィル・ズィマーマン (D) | 1948年4月7日死去 | ポール・C・ジョーンズ (D) | 1948年11月2日就任 |
バージニア州6区 | J・リンジー・アーモンド Jr. (D) | 1948年4月17日引退。ヴァージニア州検事総長に選出された | クラレンス・G・バートン (D) | 1948年11月2日就任 |
イリノイ州7区 | トマス・L・オーウェンズ (R) | 1948年6月7日死去 | 次の議会まで空席 | |
インディアナ州6区 | ノーブル・J・ジョンソン (R) | 関税および特許審判裁判所判事に任命された後の1948年7月1日引退 | 次の議会まで空席 | |
テキサス州15区 | ミルトン・H・ウェスト (D) | 1948年10月28日死去 | ロイド・ベンツェン (D) | 1948年12月4日就任 |
ニューヨーク州7区 | ジョン・J・デラニー (D) | 1948年11月18日死去 | 次の議会まで空席 | |
サウスダコタ州1区 | カール・ムント (R) | 上院議員に指名された後の1948年12月30日引退 | 次の議会まで空席 |
職員
[編集]上院
[編集]下院
[編集]- 牧師: ジェームズ・シェラ・モンゴメリー (Methodist)
- 事務官: ジョン・アンドルーズ
- 衛視: M・L・メレティオ
- Parliamentarian: ルイス・デシュラー
- Postmaster: フランク・W・コリアー
- 衛視長: ウィリアム・F・ラッセル
脚注
[編集]- ^ Truman, Harry S. (1956). Memoirs by Harry S. Truman. Vol. II: Years of Trial & Hope. New York: Doubleday & Co., p. 105-106. ハリー・S・トルーマン 著、堀江芳孝 訳『トルーマン回顧録』 (2 試練と希望の年月)、加瀬俊一監修、恒文社、1966年。:88頁。
演説の 原文 及び 音声 はハリー・S・トルーマン大統領図書館・博物館(以下「トルーマン図書館」)内資料を、邦訳はウィキソースを参照。