アンティステネス
アンティステネス(アンティステネース、希: Ἀντισθένης、Antisthenēs、紀元前446年 - 紀元前366年)は、古代ギリシアの哲学者。同時代人であるソクラテスの影響を受けつつ、独自の思想を展開した。ディオゲネスらキュニコス派の祖としても知られる。
概要
[編集]トラキア人の母のもと、アテナイに生まれた[1]。ソクラテスの影響を受ける以前は、ゴルギアスやヒッピアス、プロディコスといったソフィストのもとで修辞学などを学んだとされる[2]。その後、アテナイ郊外のキュノサルゲスを学園として自らの思想を説いた[3]。
逸話の一つとして、彼はソクラテスの言葉を聴くためにピレウス港からアテナイ市街へと毎日徒歩で通い、友人たちにも共に来るように薦めていたといわれる[4]。
彼は清貧を重んじたため、彼のもとには多くの貧しい人々が集まるようになった。彼は、世界を高貴であったり壮麗であったりするものではないと考え、袖なしの外套のみを纏い、哲学の象徴として杖一本とずだ袋一つだけを所持していた。彼の追随者はみなこの装いを真似るようになったが、あまりにもこれ見よがしであったため、ソクラテスは彼を次のように非難した。「おおアンティステネスよ、私には外套の隙間から君の自惚れが見える」[5]。
アリストテレスによれば彼は無教養で単細胞であるとされ、またプラトンによればディアレクティケーの困難さに対して無駄な努力をしているとされている。ただし、これらの悪評は、学派間の張り合いによって少なくともいくらかは脚色されていると思われる。他方で、マルクス・アウレリウスはストア派の立場から『自省録』の中で彼に言及し、「善をなしながら粗末に生きることは素晴らしい」と評価している。[要出典][注釈 1]
思想
[編集]ディオゲネス・ラエルティオスによればその著作は十巻にも及び、倫理学を中心に言語哲学や自然哲学を説いたとされる[7]。しかしながら、現在はその断片しか残されていないため、彼の思想には不明な点が多い[8]。叙述形式としては対話篇を好んだとされる。
注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ ブルクハルト『ギリシア文化史2』筑摩学芸文庫、1998年、104頁。
- ^ ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(中)』岩波文庫、1989年、109頁。
- ^ G・マレー『ギリシア宗教発展の五段階』岩波文庫、1992年、127頁。
- ^ ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(中)』岩波文庫、1989年、110頁。
- ^ ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(中)』岩波文庫、1989年、115頁。
- ^ アリストテレス『政治学』岩波文庫、1967年、158頁。
- ^ ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(中)』岩波文庫、1989年、120-125頁。
- ^ クセノフォーン『ソークラテースの思い出』岩波文庫、1975年、257頁。
関連文献
[編集]- 納富信留『ギリシア哲学史』「第22章 アンティステネス ソフィストとソクラテスのハイブリッド」 筑摩書房、2021年。ISBN 978-4-480-84752-2