ウィリアム・スタンホープ (第2代ハリントン伯爵)
第2代ハリントン伯爵ウィリアム・スタンホープ(英語: William Stanhope, 2nd Earl of Harrington、1719年12月18日 – 1779年4月1日)は、グレートブリテン王国の貴族、軍人、政治家。1742年から1756年までピーターシャム子爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]初代ハリントン伯爵ウィリアム・スタンホープとアン・グリフィス(Anne Griffith、1719年12月18日没、エドワード・グリフィスの娘)の息子として、1719年12月18日に生まれた[1]。双子の弟トマス(1743年没)がいるが、母は双子の出産で産褥死した[1][2]。1732年よりイートン・カレッジで教育を受けたとされる[3][4]。
1738年にエンサインとして第10歩兵連隊に入隊、1739年に大尉に昇進して第14歩兵連隊に転じ、1741年に中佐に昇進して近衛歩兵第3連隊に転じた[1][4]。1745年5月、オーストリア継承戦争のフォントノワの戦いで戦功を挙げ、同年に近衛騎馬グレナディアガーズ第2大隊隊長(軍階は大佐)に昇進した後[1]、1755年に少将に、1758年に中将に、1770年に大将に昇進した[4]。
1741年イギリス総選挙ではエイルズベリー選挙区から出馬して庶民院議員に当選、1747年イギリス総選挙ではベリー・セント・エドマンズ選挙区とコヴェントリー選挙区で当選、前者の代表として議員を務めた[3]。議員としては概ね政府を支持したが、政治に関わることは少なく、同時代にはもっぱら放蕩さで知られた[4]。
1756年12月8日に父が死去すると、ハリントン伯爵位を継承した[1]。
1779年4月1日に死去、息子チャールズが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1746年8月11日、キャロライン・フィッツロイ(Caroline Fitzroy、1722年4月8日 – 1784年6月26日、第2代グラフトン公爵チャールズ・フィッツロイの娘)と結婚[1]、2男5女をもうけた[2]。
- キャロライン(1748年4月15日 – 1767年2月9日) - 1765年10月7日、初代シーフォース伯爵ケネス・マッケンジーと結婚、子供あり
- イザベラ(1819年1月29日没) - 1768年11月27日、初代セフトン伯爵チャールズ・モリニューと結婚、子供あり
- アメリア(1749年5月24日 – 1780年9月5日) - 1767年4月16日、第6代バリーモア伯爵リチャード・バリーと結婚、子供あり
- ヘンリエッタ(1750年10月26日 – 1834年10月18日) - 1776年3月20日、第2代フォーリー男爵トマス・フォーリーと結婚、子供あり
- チャールズ(1753年3月17日 – 1829年9月5日) - 第3代ハリントン伯爵
- ヘンリー・フィッツロイ(1754年 – 1828年8月20日) - エリザベス・ファルコナー(Elizabeth Falconer)と結婚、子供あり
- アンナ・マリア(1760年3月31日 – 1834年10月18日) - 1782年5月2日、第3代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=クリントンと結婚、子供あり。1800年2月7日、チャールズ・グレガン・クロフォードと再婚
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward, ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 172.
- ^ a b "Harrington, Earl of (GB, 1742)". Cracroft's Peerage (英語). 23 April 2009. 2020年7月27日閲覧。
- ^ a b Lea, R. S. (1970). "STANHOPE, Hon. William (1719-79), of Elvaston, Derbys.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年7月27日閲覧。
- ^ a b c d Brooke, John (1964). "STANHOPE, William, Visct. Petersham (1719-1779).". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年7月27日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ジョージ・チャンピオン クリストファー・タワー |
庶民院議員(エイルズベリー選挙区選出) 1741年 – 1747年 同職:チャールズ・ピルズワース |
次代 インチクィン伯爵 エドワード・ウィルズ |
先代 トマス・ハーヴィー トマス・ノートン |
庶民院議員(ベリー・セント・エドマンズ選挙区選出) 1747年 – 1756年 同職:フェルトン・ハーヴィー |
次代 フェルトン・ハーヴィー ユーストン伯爵 |
先代 ウィリアム・グローヴ ユーストン伯爵 |
庶民院議員(コヴェントリー選挙区選出) 1747年 同職:ウィリアム・グローヴ |
次代 ウィリアム・グローヴ サミュエル・グレートヒード |
軍職 | ||
先代 ロシズ伯爵 |
近衛騎馬グレナディアガーズ第2大隊隊長 1745年 – 1779年 |
次代 アマースト男爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ウィリアム・スタンホープ |
ハリントン伯爵 1756年 – 1779年 |
次代 チャールズ・スタンホープ |