ウラジーミル・ダーリ
ウラジーミル・ダーリ | |
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生誕 |
1801年11月10日 ロシア帝国、エカテリノスラフ県ルガーンスキイ・ザヴォート(現ルハーンシク)近郊 |
死没 |
1872年9月22日 (70歳没) ロシア帝国、モスクワ |
プロジェクト:人物伝 |
ウラジーミル・ダーリ(ロシア語: Влади́мир Ива́нович Даль、ウクライナ語: Володи́мир Іванович Даль、デンマーク語: Vladimir (von) Dahl、エストニア語: Vladimir Ivanovitš Dal (Dahl)、1801年11月10日 – 1872年9月22日)は、ロシアの民俗学者、辞書編纂者。
経歴
[編集]ロシア帝国エカテリノスラフ県ルガーンスキイ・ザヴォート(現ルハーンシク)近郊で生まれる。父親 Johan Christian (von) Dahl(1764 – 1821) はのちにロシアの市民権を得たデンマークの医師[1]。母親はドイツ系の流れを汲む Мари́я Христофо́ровна Фрейтаг(Maria Freitag)。両親はともに多言語話者だった。
ダーリは1819年にペテルブルクにある海軍兵学校を卒業。ロシア帝国海軍の海軍将校として任務をつとめたが、船酔いしやすい体質を克服できず、1826年に現在のエストニアのタルトゥ大学にあたるドルパート大学医学部に入学した。同大卒業後、軍医となったがのちに辞して地方の役人になった。フォークロアに関心を持ったことから、官吏生活をおくりつつ地域の様々なことわざやおとぎ話を収集し、さらに方言を集め、のちにロシア語辞典の金字塔とも評される辞書を編纂。1852年に『ロシア語の方言』(О наречиях русского языка)を刊行。1862年に『ロシアのことわざ集』(ロシア語版:Пословицы русского народа)を刊行後、『大ロシア語詳解辞典』全4巻を1863年から1866年にかけて刊行した。またダーリはカザク・ルガンスキー(Казак Луганский)の筆名で数多くの物語を著した。
ダーリはプーシキンと出会い親友になった。1838年にロシア科学アカデミーの会員に選ばれ、ロシア地理学協会設立の発起人のひとりになった。モスクワで死去。ヴァガニコヴォ墓地に埋葬された。
著作
[編集]- 『大ロシア語詳解辞典』(ロシア語版:Толко́вый слова́рь живо́го великору́сского языка́)