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カーライル伯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カーライル伯爵
Earl of Carlisle
創設時期1661年4月30日
創設者チャールズ2世
貴族イングランド貴族
初代チャールズ・ハワード
現所有者13代カーライル伯ジョージ・ハワード英語版
相続資格初代伯爵の直系の嫡出男系男子
付随称号モーペスのハワード子爵
ギルスランドのデイカー男爵
フリーランドのリヴァン卿(S
モットー欲すれど求め得ず(Volo Non Valeo)

カーライル伯爵英語: Earl of Carlisle)は、イギリス伯爵位。イングランド貴族

3回創設されており、現在の第3期のカーライル伯爵位は1661年ノーフォーク公爵ハワード家の分家にあたるチャールズ・ハワードが叙されたことに始まる。

ノーフォーク公爵ハワード家は代々カトリックであるが、カーライル伯爵ハワード家は代々プロテスタントである[1]

歴史

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カーライル伯爵(第3期)ハワード家の居城だったヨークシャーハワード城
カーライル伯爵(第3期)ハワード家の居城であるネイワース城英語版

第一期のカーライル伯爵は、1322年に初代ハークレイ男爵アンドリュー・ハークレイ英語版(1270頃-1323)が叙されたのに始まる。彼はすでに1321年にハークレイ卿(Lord Harclay)として議会に召集されていた。しかし1323年に国王エドワード2世に独断でスコットランド王ロバート1世と講和したことを大逆罪として追及され、処刑のうえ爵位剥奪となったので、彼一代で終わった[2][3]

第二期のカーライル伯爵は外交官として活躍したジェイムズ・ヘイ英語版(1590頃-1636)1622年9月13日に叙されたことにはじまる。彼はそれ以前に「ヘイ卿 (Lord Hay)」(1606年6月21日)、「ヨーク州におけるソウリーのヘイ男爵 (Baron Hay, of Sawley in the County of York)」(1615年6月20日)、「ドンカスター子爵 (Viscount Doncaster)」(1618年7月5日)に叙されていた[4]。これらの爵位は初代伯の死後、唯一生存していた息子ジェイムズ・ヘイ英語版(1612-1660)に継承されたが、彼に男子が出来なかったので二代で廃絶した[5][4]

第三期のカーライル伯爵位は第4代ノーフォーク公爵トマス・ハワード(1536-1572)の三男ウィリアム・ハワード卿英語版(1563-1640)の曾孫にあたるチャールズ・ハワード(1629-1685)1661年に「ノーサンバーランド州におけるモーペスのハワード子爵 (Howard of Morpeth, of Morpeth in the County of Northumberland)」や「カンバーランド州におけるギルスランドのデイカー男爵(Baron Dacre of Gillesland, of Gillesland in the County of Cumberland)」とともに叙されたことにはじまる[6][7]。彼は清教徒革命の際に議会派軍の司令官を務め、イングランド共和国時代はオリバー・クロムウェルの側近だったが、クロムウェルの死後王党派に転じて投獄されていたため、王政復古後に上記の爵位を与えられたのだった[8]。以降カーライル伯爵位は彼の男系男子によって継承されていく。

本家のノーフォーク公爵家がカトリックとして議会から排除され、政界で活躍できなかったのと対照的にプロテスタントのカーライル伯爵家は議会に議席を持ち続け、18世紀から19世紀にかけてホイッグ党政権下で閣僚職を歴任することが多かった[9]。3代伯爵チャールズ(1669-1738)ステュアート朝末期に第一大蔵卿を務めている[10]。5代伯爵フレデリック(1748-1825)第一通商卿アイルランド総督王室家政長官英語版王璽尚書等を歴任し[11]アメリカ独立戦争中の1778年6月にはアメリカへの使節団(カーライル和平使節団)の団長も務めた[12]。6代伯爵ジョージ(1773-1848)木材・森林長官英語版や王璽尚書等を歴任[13]。7代伯爵ジョージ(1802-1864)は木材森林長官やアイルランド総督、ランカスター公領大臣などを歴任している[14]

第9代伯爵ジョージ英語版(1843-1911)はアマチュアの風景画家としても知られる[15]

第12代伯爵チャールズ英語版(1923-1994)は母ブリジット英語版(1870-1956)からスコットランド貴族爵位フリーランドのリヴァン卿英語版を継承した[16]

その息子である第13代カーライル伯爵ジョージ・ハワード英語版(1949-)2015年現在の当主である[7]

18世紀初頭に3代伯爵チャールズはサー・ジョン・ヴァンブルー英語版設計でヨークシャーハワード城を建設した。この邸宅はイギリス貴族の邸宅の中でも最も壮麗な建築物として有名である。同城は代々カーライル伯爵家に相続されたが、第11代伯爵ジョージ・ハワード英語版(1895-1963)の代の1921年には財産分割で同家の所有を離れている[17]。一方デイカー男爵家英語版から継承したカンバーランドネイワース城英語版はカーライル伯爵家によって現在まで相続されている[18]。土地はカンバーランドを中心に所有しており、1883年の調査では7万8500エーカーという広大な土地を所有していた[1]

現当主の保有爵位

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現当主ジョージ・ハワード英語版は以下の爵位を保有している[19][7]

  • 第13代カーライル伯爵 (13th Earl of Carlisle)
    (1661年4月30日勅許状によるイングランド貴族爵位)
  • ノーサンバーランド州におけるモーペスの第13代ハワード子爵 (13th Viscount Howard of Morpeth in the County of Northumberland)
    (1661年4月30日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
  • カンバーランド州におけるギルスランドの第13代デイカー男爵 (13th Baron Dacre of Gillesland in the County of Cumberland)
    (1661年4月30日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
  • フリーランドの第13代リヴァン卿英語版 (13th Lord Ruthven of Freeland)
    (1651年頃の勅許状によるスコットランド貴族爵位)

カーライル伯爵一覧

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カーライル伯爵 第1期(1322年)

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肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間
初代カーライル伯爵
アンドリュー・ハークレイ英語版
(1270頃-1323)
1322年3月25日-
1323年3月3日[2]

カーライル伯爵 第2期(1622年)

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肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間
初代カーライル伯爵
ジェイムズ・ヘイ英語版
(1590頃-1636)
1622年9月13日-
1636年4月25日[20]
第2代カーライル伯爵
ジェイムズ・ヘイ英語版
(1612-1660)
1636年4月25日-
1660年10月30日[21]

カーライル伯爵 第3期(1661年)

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肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間 続柄
初代カーライル伯爵
チャールズ・ハワード
(1629-1685)
1661年4月30日-
1685年2月24日[22]
4代ノーフォーク公の玄孫
第2代カーライル伯爵
エドワード・ハワード英語版
(1646-1692)
1685年2月24日-
1692年4月23日[23]
初代伯の長男
第3代カーライル伯爵
チャールズ・ハワード
(1669-1738)
1692年4月23日-
1738年5月1日[24]
2代伯の長男
第4代カーライル伯爵
ヘンリー・ハワード
(1694-1758)
1738年5月1日-
1758年9月3日[25]
3代伯の長男
第5代カーライル伯爵
フレデリック・ハワード
(1748-1825)
1758年9月3日-
1825年9月4日[26]
4代伯の四男
第6代カーライル伯爵
ジョージ・ハワード
(1773-1848)
1825年9月4日-
1848年10月7日[27]
5代伯の長男
第7代カーライル伯爵
ジョージ・ウィリアム・フレデリック・ハワード
(1802-1864)
1848年10月7日-
1864年12月5日[28]
6代伯の長男
第8代カーライル伯爵
ウィリアム・ジョージ・ハワード英語版
(1808-1889)
1864年12月5日-
1889年3月29日[29]
先代の弟
6代伯の三男
第9代カーライル伯爵
ジョージ・ジェイムズ・ハワード英語版
(1843-1911)
1889年3月29日-
1911年4月16日[30]
先代の甥チャールズ英語版の子
6代伯の孫
第10代カーライル伯爵
チャールズ・ジェイムズ・スタンリー・ハワード英語版
(1867-1912)
1911年4月16日-
1912年1月20日[31]
9代伯の長男
第11代カーライル伯爵
ジョージ・ジョスリン・レストレンジ・ハワード英語版
(1895-1963)
1912年1月20日-
1963年2月17日[32]
10代伯の長男
第12代カーライル伯爵
チャールズ・ジェイムズ・ラスヴェン・ハワード英語版
(1923-1994)
1963年2月17日-
1994年11月28日[33]
11代伯の長男
第13代カーライル伯爵
ジョージ・ウィリアム・ボーモント・ハワード英語版
(1949-)
1994年11月28日-
受爵中[19]
12代伯の長男

法定推定相続人はいない。推定相続人は現当主の弟フィリップ・チャールズ・ウェントワース・ハワード(1963-)

系図

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 海保(1999) p.174
  2. ^ a b Lundy, Darryl. “Andrew de Harcla, 1st and last Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  3. ^ Fryde 1979, p. 157
  4. ^ a b Heraldic Media Limited. “Carlisle, Earl of (E, 1622 - 1660)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月3日閲覧。
  5. ^ Stephen, Leslie; Lee, Sidney, eds. (1891). "Hay, James" . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 25. London: Smith, Elder & Co.
  6. ^ 海保(1999) p.171
  7. ^ a b c Heraldic Media Limited. “Carlisle, Earl of (E, 1661)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月1日閲覧。
  8. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 338.
  9. ^ 海保(1999) p.173-174
  10. ^ 海保(1999) p.173
  11. ^ Barker, George Fisher Russell (1891). "Howard, Frederick" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 28. London: Smith, Elder & Co. pp. 14–17.
  12. ^ 今井(1990) p.347
  13. ^ "Howard, George (1773-1848)" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  14. ^ "Howard, George William Frederick" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  15. ^ CENTRE FOR WHISTLER STUDIES George James Howard, 1843-1911” (英語). 2014年11月19日閲覧。
  16. ^ Heraldic Media Limited. “Ruthven of Freeland, Lord (S, 1651)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月3日閲覧。
  17. ^ 海保(1999) p.194
  18. ^ 海保(1999) p.245
  19. ^ a b Lundy, Darryl. “George William Beaumont Howard, 13th Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  20. ^ Lundy, Darryl. “James Hay, 1st Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  21. ^ Lundy, Darryl. “ames Hay, 2nd Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  22. ^ Lundy, Darryl. “Charles Howard, 1st Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  23. ^ Lundy, Darryl. “Edward Howard, 2nd Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  24. ^ Lundy, Darryl. “Charles Howard, 3rd Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  25. ^ Lundy, Darryl. “Henry Howard, 4th Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  26. ^ Lundy, Darryl. “Frederick Howard, 5th Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  27. ^ Lundy, Darryl. “George Howard, 6th Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  28. ^ Lundy, Darryl. “George William Frederick Howard, 7th Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  29. ^ Lundy, Darryl. “Reverend William George Howard, 8th Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  30. ^ Lundy, Darryl. “George James Howard, 9th Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  31. ^ Lundy, Darryl. “Charles James Stanley Howard, 10th Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  32. ^ Lundy, Darryl. “Lt.-Cdr. George Josslyn L'Estrange Howard, 11th Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。
  33. ^ Lundy, Darryl. “Charles James Ruthven Howard, 12th Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月19日閲覧。

参考文献

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